2008年1月 | 「改革者」インタビュー |
ネジレ現象で、参議院は海図のない航海に出た。こうした新たな状況の中で就任した参議院議長が、国会の変化と参議院改革の課題について語る。
◎インタビュアー 谷藤悦史 早稲田大学教授
二院制の下でネジレは当然出る
谷藤 新年号を飾るインタビューです。よろしくお願いします。
〇五年の衆議院選挙では自民党が大勝し、〇七年の参議院選挙では民主党が大勝する結果になりました。世論が大きく揺れ動いています。参議院議長としてこうした政治状況をどのように捉えていますか。
江田 当時の安倍首相が「戦後レジーム(体制)からの脱却」を掲げ、民主党は「生活第一」を訴えました。
〇七年に参議院は創立六〇年の祝賀を祝いました。戦前・戦中には貴族院で、戦後改革で参議院が生まれました。参議院とは何かを考えると、これは戦後レジームの象徴のようなものです。したがって、「戦後レジームからの脱却」ではなくて、「戦後体制の象徴である参議院は、戦後改革をさらに進めるためにがんばれ」という答えを出したのが今回の参議院選挙だったと私は見ています。
三年前の総選挙では、小泉さんは郵政問題は言ったが、戦後レジーム云々は言っていませんでした。安倍前総理は戦後六〇年の歩みに攻撃を加えてきました。これに対し戦後の平和や民主主義や人権が大事だという答えが参議院選挙で出たのです。
二院制というのはネジレがあるのはあたりまえで、今までなかったほうが異常なのでしょう。与党が三分の二の衆議院に対し、参議院は戦後価値でがんばる野党が過半数を得た時代に入りました。
参議院は一歩引いたほうが議会政治はうまくいくという言い方もありますが、時代によってそれは変ります。今は、参議院が積極的に政治に役割を果たしていく時代になっていると思っています。ネジレのエネルギーをどう引き出して、知恵ある解決に持っていくかが、今参議院に求められているのではないかと思います。
谷藤 衆議院も参議院も国民の代表であると憲法で規定しているわけですから、そうなっている限り、今までこのような状況がなかったのが不思議でした。
この状況を前提として、どう国会の政策決定過行を進めて行くかが今の日本に問われています。マスコミはこの現象を否定的に捉えているようですが、私は肯定的に捉える視点も大事だと思います。
人事案件に「ノー」で民主主義に緊張感が出てきた
江田 衆議院で多数を取っている政治勢力が政権を担当するのは仕方がありませんが、参議院はそれと違う勢力が多数ですから、与野党で意見が一致しないものについては、衆議院で決めても参議院で通らないことになります。そうなると国攻が麻痺するから大変だというのですが、別に麻痺しているわけではなく、時の政権担当勢力の思うことが通らないということに過ぎません。
テロ新法が葬り去られると、国会は答えを出せなかったと捉える向きがあります。そうではなく、それは継続しないということを国会が決めたということになります。今の憲法で与えられているシステムを使い切って、出た結論が国会としての結論だと考えていただけばいいと思います。その結論がいいか悪いかは、あまり短期に考えないほうがいいだろうと思います。
仮にインド洋における給油は継続しないという結論を国会として出したとして、日米関係がギクシャクするかもしれません。しかし、日米関係がギクシャクすることが悪いことであると言い切れるのかどうか、にわかに判断できません。アメリカの政治も変わっていきます。あまり近視眼的に見ずに、民主主義が緊張感を持って動いて、そのことが新しい可能性を生み出していくというように捉えてほしいと思います。
谷藤 私もそれに近い考えです。新たな政治状況の中で、どう答えを出していくのか。国会の問題解決能力そのものが問われていると思うのです。
江田 とはいえ戸惑いはあります。今までは、衆議院で法案が通ると、それで仕上がりというようなのが新聞の書き振りでした。それで、参議院は衆議院のカーボンコピーであるとか、参議院無用論が言われていましたが、もうそうは言えません。
本当の意味の民主制が始まろうとしているのです。衆議院の多数派も、参議院にいったらそのままではうまくいかないということをつい忘れがちです。昨年も人事案件で参議院が二八人中三人に不同意を出すと、「参議院は何をしているのか」といった感情的な言葉を発してしまうことが出るのです。これは衆議院の多数派が慣れていない現れです。
参議院の多数派も、参議院が「ノー」といったら、本当に「ノー」になるということの重要さを、まだ体得していない面があります。とにかくやってみなくてはなりません。
例の人事案件不同意の問題も、次の展開が生まれるための段取りのような気がします。
谷藤 人事案件不同意の問題は、今まで国民に見えなかった案件にトランスペアレンシー(透明性)が出て、私は評価しているのですが。
江田 人事案件が先に新聞に出ると両院の議院運営委員長の間で、受け付けない場合があることを確認しました。そうするとマスコミは「けしからん」と書きました。従来ですと、マスコミ辞令が出た段階で決まってしまったのですが、国会がどういう結論を出すかは別だということを示した点で大きかったと思います。
これから国会同意人事にもさまざまな注意深い準備が始まるようになると思います。場合によっては国会が話を聞く機会を持つことも出るかもしれません。政府が決めればすぐそのとおりになる今までがおかしかったと思います。
谷藤 見えない行政過程が開示されて、国会の民主的統制が強まると思います。
議院内閣制の二院制の下で、さらにそれぞれの院の勢力が違う下で、どう成熟した政策決定をしていくのか。世界でも初めての実験ではないでしょうか。アメリカのような大統領制とは全く異なる状況の下で、成熟した政策決定ができるならば、二院制の新しいモデルになる可能性もあります。
江田 日本のような、議院内閣制の元での対等な二院制は、珍しいのかもしれません。うまくいくかどうかはやって見なければわかりません。議院内閣制の元での二院制をうまく動かす努力をしながら、制度設計はどうあるぺきかの研究もそろそろ着手する必要があります。
参議院の制度と選挙制度改革に手をつけたい
谷藤 世界に類を見ない高い権限を持った日本の参議院。衆・参どちらも国民の代表として憲法で保障され、代表の選び方も大変に複雑な選挙制度によって支えられています。
江田 仮にダブル選挙になると、衆議院選挙区選挙で個人名を書いて、次に比例区は政党名を書く。しかし先に書いた個人名の投票も一定の機能を果たす。次に参議院の選挙区選挙で個人名を書く。比例区は政党名でも個人名でもいい。これは大変です。
谷藤 小選挙区が、二党制を推進する形になっています。一方、比例代表制は、二党制を抑制する働きをしています。この選挙制度を続ける限り、この状況はずっと続くような感じがします。
私は「二党優位多党制」と言っています。二党優位状況はつくるが多党化状況は決してなくなりません。比例区があるからです。
江田 衆議院と参議院の両方を組み合わせてよい選挙制度をつくるという意識が薄かったと思います。それぞれ別個に考えていったので、結局同じような選挙制度になってしまったのだと思います。
いずれにしても参議院の選挙制度は抜本的な検討をしなければなりません。選挙区選挙の定数配分が最高裁から限りなく憲法違反に近いと言われていますから、今の定数配分では持ちません。今の選挙制度で定数配分をいじってみても、抜本改革はできません。制度自体に踏み込まなければならないというのは、各会派の共通認識です。こうした申し送りを受けて選挙制度を考えていくことになっています。
谷藤 何増何減では限界です。民主主義を成熟させる意味で、参議院の選挙にかかわる制度設計が改めて問われていると思います。
江田 今の制度で選ばれた参議院に制度を考えろというのですから大変です。しかし、これはやらなければなりません。
谷藤 平成の大合併で、三千を超える自治体が千八百台になり、基礎自治体の構造が変わりました。そうすると、都道府県などの中間自治体の制度段計が問われてきます。それが参議院そのものの制度設計に影響を与えてくると考えるのです。
江田 最高裁は、一票等価は憲法上の原則だが、都道府県単位に選挙をすることは憲法上の要請ではないと言っています。都道府県境は絶対かどうか疑開符が付きます。ですから、都道府県を単位に参議院の選挙区を考えることをどうするのか議論をせざるを得ません。
この議論が一定の結論に結びつけば、卵の殻が割れて、中の卵をどう料理するかの議論になっていきます。卵の殻が固かったので、なかなか割れませんでした。殻が割れれば、参議院だけでなく、地方制度の新しい展開が出てくるかもしれません。
参議院は政権交代に補助的機能果たす
谷藤 そういう意味では、大変重要な時期に議長に就かれましたね。
江田 与野党逆転は九年ごとに起きています。今度は三度目の正直で、過去二回のように第一党は自民党ではなく、民主党が第一党になって、かなりはっきりした与野党逆転になりました。
議長は第一党から、副議長は第二党からというかなり強い了解事項があって、自民党も私に投票してくれて全員一致で議長に就任することになりました。数の構造が従来の逆転とは質的に違う参議院ですから、いわば海図の無い航海に乗り出すことになりました。
参議院で否決した法案を衆議院が三分の二で採決することが起こるかどうか分かりませんが、現実のものとなりました。法案はそういった処理ができても、人事の問題は処理できません。こうした事態に直面し、国民みんなが日本の民主主義のあり方を原点に戻って考え直しながら、前に進めていくことになります。
帝国議会が日本国憲法を審議したときに、「関連法や慣習など全てが明らかにならない中でこの憲法典を審議したので未成熟であリ、政府は速やかに関連法体系を整えるべし」といった趣旨の付帯決議が、衆議院の委員会で付けられています。
以来六〇年、基本的には一党支配できましたから、「まあまあ」とこれまでの慣行をそのまま踏襲してきました。例えば、傍聴が許されない両院協議会はこのままでいいのか、というようなことがあリます。こうしたことは原点に立ち返って議論し、改革すべきは改革するときが来ているのかもしれません。
谷藤 日本国憲法の統治溝造の設計にはかなりラフなところがあります。例えば議院内閣制と大統領制が混在するような面もあったりして…。原点に立ち返る改革は熱心にやってきませんでした。
江田 帝国議会のことがそのまま続けられている面もあります。今までの続きでやってもそれなりに動いたので、改革の必要を感じなかったのでしょう。
谷藤 参議院には調査会のように沢山いいものがあります。長期的な視点から制度設計や憲法のあり方など議論できる体制を持っていたと思います。それらを再活性化する必要がありますね。
江田 私は一九七七年に初当選して、ちょうど三〇年です。初当選の頃も参議院改革と言っていました。押しボタン投票とか、ODA(政府開発援助)チェックを重点的に行うとか、決算重視など改革の成果は上がっています。まだまだやるぺき改革はあります。
谷藤 参議院とは何かというコンセプト(概念)を根本的に問いかける必要があるのではないでしょうか。
江田 これが難しいのです。良識の府といった教科書的説明は間違いではありませんが、日本の政治の一番大きな問題は国民が政権を選ぶ構造ができなかったことです。今この点が動き出しているわけですから、政権を選ぶのは参議院の直接の機能ではありませんが、日本の政治を成熟させていくためには、国民が政権を選ぶために参議院が補助的な役割を果たすことはあるだろうと思います。今の政権が悪いから民主党が政権を取るべきだというのではありません。国民が政権を選ぶことで政権が変る可能性を秘めて政治が動く議会にするために、補助的な役割を果たすという意味です。その意味では今のネジレ現象が機能を発揮する時だと思います。
ネジレ現象は国民が選んだ民主主義への期待だ
谷藤 政治学では、熟慮と包括の政治が言われています。サッチャー政権の対決と排除の政治の反省から出てきたものです。イギリスは九〇年代から二一世紀にかけて、包括と合意を作り出すための熟慮課程の大切さを問いかけてきました。その意味では、日本の今の状況はいい状況にあるのです。衆議院での包括の仕方と、違った参議院の包括の仕方や熟慮のし方が可能になったからです。
江田 インクルージョン(包括)が第三の道としてイギリス労働党により主張されてきたと理解しています。日本は、“ツー・マッチ・インクルージョン(過剰包括)”です。何もかもひっくるめたのが自民党で、それに対して何でも反対に近い野党がありました。それは包括にはならずゴッタ煮です。
自民党もある種のところを包括し、民主党も生活レペルで政治が必要な人たちを包括してくる。それがネジレなり政権交代という形で戦われる。その激突の中で双方が統合されてある種の合意が出来ることになれば、本当の熟慮民主主義の統合ができていくのだろうと思います。対立のための対立をしても仕方が無いので、そこをアウフヘーベン(止揚)して、もう一段上の統合に導く知恵を発揮しなければなりません。
議長とは何かと言うと、議論を集約した立場にいるのが議長です。衆参で別の結論が出た場合には、いい調整をしてまとめるという意味で、衆・参議長が高い立場で合意への努力をする、こうしたことが起こるかなという感じがしています。まだそこまで行きませんが…。
谷藤 こうした中、連立構想が出てきました。これについてはどうお考えですか。
江田 議長の立場から発言しにくい問題です。大連立は頭から悪いことだという見解は持っていません。西ドイツ(当時)ではキリスト教民主同盟と社民党が大連立して東方外交を進め、やがて社民党政権にまでいった例があります。しかし、今のネジレ現象を解消するために行う大連立というのは、安易に過ぎるだろうと思います。
国民の政治参加の中でことが解決されていかなければならないと思います。選挙結果の見方として、主要政党が連合した政権を国民が期待したのだと解釈できる場合もあるかもしれません。先般のあの議論は、いいところに落ち着いたと見ています。
谷藤 連立は手段で、これが目的化すると問題です。ドイツでもイギリスでも転換期や混乱期に連立があったわけですが、ネジレを解消することが政治の目的となるのでしょうか。
江田 今度の選挙で国民はネジレ現象を選んで、これをばねに日本の民主主義を前に進めようというものですから、この意向に反する解決は意味が無いと思います。
市民政治と政権交代が父譲りの信条
谷藤 議長としてではなく、個人的な政治信条をお聞かせください。
江田 私の父は官僚や利権のための政治ではなく、市民の願いが通じる政治を目指そうとしていました。市民の政治と政権交代は父が悪戦苦闘しながら求めたものです。そこで政権交代をになえる政党を作ろうと、一人で旧社会党を飛び出して、すぐに亡くなりました。その日は私の誕生日でした。
私は裁判官をしていたのですが、父の旗を拾い上げて走り出して三〇年たちました。ですから私の願いは、父の旗であった市民の政治と政権交代です。その政権構造を日本の政治に確立するぎりぎりのところに来ているという思いがあって、ここは踏ん張りどころです。
政権交代を目指すのが議長の仕事ではありませんが、その場をどうつくっていくかというのは議長の仕事です。いい場がなければいい状況にはならないわけですから、重要な任務を与えられたと思っています。
今までのような一党支配構造にドップリ浸かった人が議長をやっていては、政権交代的議論をする議会にはならないでしょう。
谷藤 市民の政治は世界的にも課題になっています。各政党は少数の人々から支持を受ける政党になりつつあります。日本は一党支配が続いたこともあって、市民の参加を低下させてきました。何かが動き出した今、新しい市民参加を作り出すいい機会でしょう。
江田 先日大阪の市長選挙がありました。そこで投票率がやっと四割を回復したと言われました。逆に、それでも四割止まりということが問題です。明確な支持政党を持った人が国民の大多数になることは、ないのではないかという気がします。
学生時代丸山眞男ゼミで吉野作造を報告しました。吉野作造の政党論は、党員は少ないほうがいいというものです。国民の間に党員が広がりすぎると、国民が自由な判断ができなくなるというのです。支持政党なしの人が多数派で、その人たちの政治意識が高く、政党が出す政策に対しメリハリの利いた選択をしていく構造が望ましいと思います。しかし、政党が党内の手練手管で政策を出し、それを国民が観客民主主義で観ているのはまずいと思います。さまざまな意見を持つ市民とぴったり合うようなメッセージを政党が発する努力が必要です。
ただ、日本はもっと政治のことを自由に話せる環境が必要です。そこに市民社会の政治的成熟度があると思います。成熟度はかなり遅れています。
谷藤 政党をはじめとして従来の中間集団そのものが衰退してきています。一方でNPOなど新しい集団もたくさん出てきました。その可能性もあると考えるのです。
江田 高度成長期には、利権配分の政党にみんながぶら下がる構造でした。もうこれは立ち行きません。環境や福祉や街づくりなど新しい政治テーマがたくさん出てきていますから、これらを素材にして政党が政策をつくる時代ではないでしょうか。
新しい政治テーマに関して市民社会の中にさまざまな動きがありますから、政党がもっと敏感に接点を探り出す努力をすれば、市民社会は十分成熟していくと思います。
谷藤 参議院制度改革、政党の活性化、それに市民参加は、すべて高い関連性をもっています。市民が政党を媒介に参議院ともつながっているという感覚ができれば、参議院のレーゾンデートル(存在価値)を高めることになるのではないでしょうか。
江田 参議院制度改革はまだ頭の体操の段階ですが、議論する意義はあると思います。例えですが、参議院を職能代表から選ぶなどいろいろな方法があります。いろいろ議論して、どこかの段階で憲法的議論もきちんとする必要があります。
谷藤 衆議院とは違う市民の空間が参議院にできたらいいと思います。
大変な状況が続くと思います。今後のご活躍をお祈りします。
えだ・さつき――■ 1966年 東京大学法学部卒業。 1968年 東京地裁判事補。以後77年まで千葉、横浜地裁判事補を歴任。 1971年 オックスフォード大学法学部法律証書科修了。 1977年 参議院議員選挙(全国区)で初当選。 1983年 衆議院議員選挙(旧岡山1区)で初当選。86年再選、90年三選、93年四選。 1998年 参議院議員選挙再選、2004年三選。 2007年8月より参議院議長。
政策研究フォーラム発行 「改革者」 平成20年1月号掲載
(11月21日収録・文責編集部)
2008年1月 |