昨年の11月中旬、東京は朝から暖かい日差しに包まれた絶好の小春日和。街路樹のイチョウが色づき始めた中、レポーターたちが向かった先は、国会議事堂の近くにある参議院議長公邸。就任後3ヵ月を経た江田五月議長から“熱烈歓迎”を受けた一行は、芝生の緑が映える庭園内を散策したあと、公邸の2階にある執務室にお邪魔して議長と懇談。はてさて、いかなる“質疑応答”が繰り広げられたのか?
議員生活30年で、「今」がいちばん手ごたえ
―― 参議院議長になられて、どんな感慨や決意をおもちでしょうか。
江田 参議院は創立60周年を迎えました。戦前の貴族院に代わって、「民主主義」をかかげたいわば戦後体制の象徴ともいえる参議院が誕生したんですね。ところが、衆参ともにずっと自民党が牛耳ってきましたから、民主主義の参議院の力がどうしても弱くて、「衆議院のカーボンコピー」などといわれてきました。しかし、先の選挙の与野党逆転で、“がんばらなきゃならない参議院”になったわけです。これまで衆議院の与党多数による強行採決にお手上げでしたが、これからはやりたい放題にはさせません。
議長になった当初、戦後にできた参議院が衆議院と一味違う役目を果たさなくてはいけないと頭の中で考えていましたけれど、ここへきて、民主党の出した法案が全会一致で通るなど、現実に与党も野党のいうことを認めるようになりました。そういう姿が少しずつ見えてきたところで、「参議院は国民の期待をしっかり引き受けなければならない」と、議長としてその中心に座り、責任の重さをますます痛感しているところです。
―― 政治家になって最も強く印象に残っているのはどんなことでしょうか。
江田 私の父(日本社会党書記長などを務めた江田三郎氏)は、当時の民社党や公明党と手を組みながら、「国民の期待にこたえられる政治をつくらなきゃならん」と、一人で党を飛び出したんです。ところが、その直後、父が急に亡くなり、そのとき僕は裁判官をやっていたのですが、父の遺志を受け継ぎ、政界に出てきたわけです。
親子二代で取り組んできた課題が、「政権交代のある政治をつくろう」ということでした。政界デビューも印象に強く残っていますが、それが今、参議院で与野党が逆転し、次の衆議院選挙の結果いかんで政権交代も夢でなくなりました。いよいよ日本の政治が本質的に変わる。そういう局面での参議院議長ですから、30年の歩みのなかでも、「今」がいちばん手ごたえを感じています。
―― 多忙な議員生活の中で、どの様に気分転換なさっていますか。
江田 気分転換になるような趣味はたくさんあって、高校時代は書道部のキャプテンを務めていました。また、体を動かすことも好きで、小学校のときから古式泳法をやっていて、神伝流という流派の九段(範士)なんですよ。変わったところでは、国会コーラス愛好会に所属していて、テレビのコンクールで吉本興業や落語家の皆さんと競って優勝したこともあります。でも、なかなか時間がとれないのが現実でとても気分転換にはなりません。岡山の実家に戻って草取りするとか、野菜の苗を植えるとか、それがいちばんの気分転換かなあ。
江田五月議長、大変お忙しい中、インタビューへのご協力ありがとうございました。これからもお体に気をつけて、参議院の代表としてがんばってください。