2010年12月17日

戻るホーム2010目次前へ次へ


政治信条 父を継ぐ 江田五月前参院議長


 社会党書記長を務めた父・江田三郎の姿は、自身を政治から遠ざける力として作用した。「構造改革論」を唱え、国民が納得しながら理想社会を求めていくことを訴えた父は、党内左派から激しい反発を受け、孤立していった。

 「政治の道は継がない」

 そんな決意は、党内論争で傷だらけになった父が突然、がんに倒れたことで変わる。1977年のことだ。

 父の最期が「政治の道に命がけで取り組んだ」結果と確信した時、「背中をどんと押された」。息子が裁判官を辞め、政治家になると決意したことを知らぬまま、息子の36歳の誕生日に、父は逝った。

撮影・田中秀敏

 その父が生前、色紙に好んでしたためた言葉がある。

 「もともと地上に道はない。みんなが歩けば道になる」

 中国の作家・魯迅の言葉を父なりに解釈したという。一人で社会党を離党した晩年は「みんなで歩く」ことと逆に映るけれど、「みんなで歩こう」と呼びかけ続けた生き様は、この言葉そのものだ。

 遺志を継ぎ、社会民主連合を結成した。市民一人一人が政治に参加する「参加民主主義」を確立するという志は高かったが、小党の苦労も味わった。一人ずつ、一党ずつは一生懸命だが、どこかに光が当たると、どこかがひがむ。93年、8会派による細川内閣に参画したが、短命政権に終わった。

 つらい時に、あの言葉が支えになった。自分の「道」とは、参加民主主義。そして、情報公開や政治の透明性、環境問題重視といった新しい価値の実現。物質的豊かさの追求とは一線を画するものだ。「道は一人がつくるのではない。夢の実現に向かってみんなが歩くことを示すのが政治家の役目だ」と自らに言い聞かせた。

 民主党の結成には「みんなで『政権』を輝かさなければならない」という機運の高まりを見た。政権交代を果たし、同じ価値観を持つ若手も増えた。「道」は「広く、太くなった」と感じている。

 「人の評価を求めず、自分の信念に従って陋屋(ろうおく)に笑顔で暮らす人」を尊敬し、自らもそうありたいと考える。それは、かつて師事した書家・河田一臼(いっきゅう)氏の生き方であり、まぶたに焼き付いた在りし日の父の姿にも通じる。

 今、民主党には強い逆風が吹く。「政治の可能性を諦めるのは未来を諦めること。力量をつけるしかない。今が正念場だ」と思う。そんな時だからこそ、「陋屋に笑顔」で、もうひと働きも、ふた働きもする覚悟でいる。(政治部 池上由高)

書・木下真理子(秀翠)

えだ・さつき 1941年、岡山県生まれ。66年、東大法学部卒。東京地裁判事補などを経て、77年、参院選全国区で初当選。85年、社会民主連合(社民連)代表。細川内閣で科学技術庁長官を務める。日本新党、新進党を経て、民主党に参画。2007年から今年7月まで参院議長。衆院当選4回、参院当選4回。現在、民主党最高顧問。

読売新聞 2010年12月17日夕刊掲載】


2010年12月17日

戻るホーム2010目次前へ次へ