2010年12月22日

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小野桂華先生 弔辞


小野桂華先生 弔辞

 十二月二十日早朝、議員宿舎の私のところに妻から電話が掛かってきて、小野桂華先生のご逝去を知りました。ちょうど一週間前の一三日にお見舞いに行ったばかりなので、具合が良くないことは分かっていましたが、以前にお見舞いにうかがった後には、江田効果だかどうか、食事ができるようになったと聞いており、今回も持ち直すのではないかと、はかない期待をかけていたのですが、叶いませんでした。

 私は書道では、孤高を持って誇りとする河田一臼先生の弟子なのですが、小野先生はそんな私を可愛がって道文会の顧問にしていただき、会の行事には必ず呼んで、先生のお隣に席を用意してくださいました。先生との会話は、時に鋭い針の箴言を含み、楽しい中に深い味わいがありました。会の展覧会にも、出来の悪い私の作品を、一番目立つところに展示してくれ、いつももうちょっと頑張れば良かったと後悔したものです。先生の叱咤激励だったのでしょう。

 参議院の議長時代に、一度ぜひ議長公邸に来ていただきたかったのですが、体調が一進一退で叶いませんでした。しかし、素晴らしい先生の六曲屏風一双「あふみの海」を参議院に贈呈していただきました。優雅な万葉のかな作品ですが、料紙が大胆な躍動感あふれる構図で、日本の伝統的様式美と現代のポップアートが見事に融合した作品です。外国からの賓客を招いた晩餐会などで、大いに会場を盛り上げてくれています。先生の岡山県三木記念賞の受賞祝賀会の席で、議長として感謝状を贈らせていただいたのも、楽しい思い出です。

 小野先生は、短歌も超一流でした。ご自分の不自由な足を慈しむ歌、筆に込めた力の足りなさを悔しがる歌。細やかな思いを込めて人生の襞々を観察し、それを歌にされました。そして自詠の歌を、ご自分の感性を振り絞った筆力で作品にされました。流麗な調和体作品を加工して、番町交差点から後楽園に向かう通りにあるご自分の母校、就実高校の壁面に掲げられ、生徒諸君やご近所をはじめ多くの皆さんに、暖かいメッセージを送り続けられました。

 先の戦争を直接に知る世代として、荒々しい戦争を憎み平和を強く希求されました。一瞬のうちに広島を焼き尽くして二十万人という犠牲者を出した原爆の炎をバックにした作品は、今もまぶたの裏に鮮やかです。そして、時々の言動にも、その思いがほとばしり出ました。社会の出来事にも常に批判の警鐘を鳴らされ、人物批評もなかなか手厳しいところがありました。こうした先生の心のあり方は、書に向かうときでも歌に向かうときでも、まったく変わりませんでした。そしてそのまま、人生を全うされました。

 先生は、多くの素晴らしいお弟子さんらに囲まれました。小野玲華さんという素晴らしい後継者を得て、道文会は年々、「継続は力なり」を身をもって実践しています。新しい世代には新しい世代のやり方があります。小野先生、後は安心して任せましょうね。もちろん私も、必要ならばもうしばらくお手伝いをします。

 小野桂華先生、本当にご苦労さんでした。そして、有難うございました。どうぞ今は、世俗のややこしいことには煩わされず、若かりし道子さんに戻ってあの世で天真爛漫の日々をお過ごしください。さようなら。

    二〇一〇年一二月二二日

道文会顧問
参議院議員  江田 五月


2010年12月22日

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