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○今週は江田さんです。こんばんは。
こんばんは、久しぶりです。1月以来というのですよね。ずいぶん長くご無沙汰して。このところ台風で岡山も大変でしたね。今日も心配ですが、本当に皆さんお見舞い申し上げます。
○さて、菅政権の大臣を先日退任されました。
これは大変でした。今年になってね、菅さんが、菅内閣の大逆風の中で、1月の半ばに法務大臣になってくれというのでね。私は菅さんとは父親江田三郎の亡くなった直後に、その枕元で握手をして以来、30数年の仲ですから。「議長をやった者が何だ」と言われたりするんですが、それでもこれはやらなきゃいかんというんで、法務大臣を引き受けて。法務省、特に検察の権威が地に落ちていた時なんですよ、大阪の事件とかね。そこで検察の取り調べを録音録画する制度、これに何とか道筋を付けようというのでやってきて…。
そこへ3月11日。これもなかなか大変で、本当に心身ともにクタクタというところへ、だんだん事が進んでいって、6月の終わりに環境大臣が急に辞める、その後をやってくれというので。多くの野党の皆さんからは「法務行政・環境行政をを軽視しているのじゃないか」と言われる。違う、私がやるんだから軽視なんてことじゃないんだと言ってね、やったんですが。実はね、日本の法律の世界では、放射性物質、これは原子力施設、まあ大学なんかも含めて、その中でちゃんと処理できるということになっていて、放射性物質が外へ飛び散るというのは法律が全く予定していない、空白なんです。しかし目の前にあるわけだから、これはやらなきゃいかんというのでやって。そして最後に議員立法ですけど、そうした放射性瓦礫の法案をちゃんと作って、やれるようにしましたし、また今集めている瓦礫をね、広域で処理していく、それの代行法も作って、これも目処を付けてきたと思っています。
○まさに新しい政権に代わってからも震災への復旧復興というのは続いて行くわけですよね。
今度の野田政権で、まあ私は野田政権を作るために縁の下の力持ちの仕事をしたと思ってはいるんですが、これはあまり威張って言うことではないんですけれども。
政権交代というのに日本は慣れていないので、だからもう長い長い飛行がずーっと来て、空港に着陸して、バンバーンとバウンドして、時に滑走路から外れそうになるという混乱期がしばらく続いたけれども、2年経ちました。野田政権になりました。野田さんはね、これは皆さんご覧いただけばすぐわかるように、自分をどじょうに例えて、派手な事はやらないんだと、安定した協調路線で行くんだという事ですから、やっと政権交代の安定期にこれから入って来るんだと思っています。私自身は野田政権で、加わるわけじゃなくて、党の最高顧問で、まあ大所高所からのアドバイス役だと思っています。
この野田政権、今一番の問題は財政負担をどうするかということでね。私は今国民の皆さんは、もう「震災復興のために出すよ」と言っている時ですから、これは政治家はちゃんとその事を語らなければいかんと思いますね。
○どうもありがとうございました。