2004年12月12日 |
江田五月の国会レポート 第34号 |
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「南アフリカ共和国公式訪問及び各国政治事情等視察」 法務委員会で質問〔刑法等改正案・裁判所法改正案〕 |
自民党最大のスポンサーのひとつである日本歯科医師連盟による旧橋本派への1億円献金問題は、臨時国会の最重要テーマのひとつである「政治とカネ」の中心課題でした。平成13年7月2日に日本歯科医師会の臼田前会長が、橋本龍太郎元首相に1億円の小切手を提供。ところが旧橋本派は領収証を発行せず、政治資金収支報告書に記載しなかったので、この点が虚偽報告に当たるとされ、会計責任者の滝川氏と村岡元官房長官が政治資金規正法違反で起訴されました。小切手を受け取った橋本氏と、そこに同席した青木自民党参議院会長は不起訴、同じく同席した野中広務元幹事長は起訴猶予となりました。
民主党は、政治倫理審査会での弁明を希望した橋本氏らの証人喚問を強く要求しました。政倫審では、偽証罪が適用されず、言いっ放しなのです。しかし与党は、国会最終盤の11月30日に、橋本元首相の希望どおり政倫審を非公開で開きました。弁明内容は、小切手受領の事実は認めるが、記憶にはないというもので、まるで他人事。元首相としての衿持はみじんも見えない寂しいものでした。
国会最終日の12月3日に、滝川元会計責任者に対し、禁固10月、執行猶予4年の判決が言い渡されました。滝川氏との共謀はもとより、かかわり一切を全否定する村岡元官房長官の初公判は、12月14日ですが、その前に、共犯者の裁判をすべて終えてしまうという展開です。暴力団事件などではありうることでしょうが、政治家がらみの事件でのこの急ぎようは異例で、落選・引退の元議員にすべてを押し付けるという政治的陰謀の可能性さえありうると思います。
この日歯連の献金疑惑では、旧橋本派にとどまらず、巨額のカネが自民党の政治資金団体を経由して、個々の議員に渡った迂回(うかい)献金疑惑も指摘されました。そこで民主党は、迂回献金禁止を含む法改正を提案しました。与党も改正案を提案しましたが、迂回献金禁止に触れていません。そのうえ、委員会審議で議論を深めようともせず、通常国会に先送りしてしまいました。国民不在の対応です。何としても次期通常国会では、民主党提案に沿った法改正を実現したいものです。
この臨時国会中に、江田五月が積極的に関わった選挙がいくつかありました。結果は3勝1敗でした。
まず9月12日、岡山県の早島町長選で佐藤友彦さんが初当選。高校の2年先輩で、最終日に本隊車に乗った甲斐がありました。その後、友好議員の林勇さんが早島町議会の議長に就任されました。
10月24日には、岡山県知事と岡山県議補欠選挙(倉敷市早島町選挙区)の投開票が行われました。民主党推薦で現職の石井知事は、3選されました。民主党も県政与党として責任ある立場となり、課題山積みの岡山県政に全力で取り組みます。県議補欠選挙には片山みかさんが、定数1名に無所属市民派で挑戦。事実上の公認候補として全力支援しましたが、準備期間が2ヵ月と短く、現職市議会議員だった相手候補にわずかにおよびませんでした。しかし、次につながる足がかりは出来ており、捲土重来を期して欲しいと思います。
倉敷市は、今春で市長も変わり、次回総選挙は自民党候補も新人に変わります。民主党としても、最重点選挙区としていきます。
11月27日投票の四国中央市議選に、民主党公認候補の合田陽子さんの応援にいきました。前夜、瀬戸大橋線が強風で運転を見合わせ、深夜到着で睡眠4時間強での強行スケジュールでした。合併直後の突然の選挙で、有権者の動向が見えず、はらはらしましたが、29人中25位で当選。応援し甲斐がありました。同日投開票の栃木県知事選のように、自民党に巻き返された選挙もいくつかありました。まだまだ自民党の底力は残っており、真剣な検討が必要です。
第161回臨時国会が、10月12日から53日間の会期で開かれました。民主党など野党3党は、延長を要求しましたが、与党は拒絶。12月3日で幕を閉じました。江田五月議員は、参議院民主党の議員会長として、党の役員会、常任幹事会などの党務に多くの時間を割かれ、質問などの議会活動が最終盤に集中したため、レポートの発行の期間が空いてしまいました。五月会だよりでは触れられていない活動についてレポートします。
9月14日から22日まで、扇議長と一緒に、イギリス・南アフリカ・フランスへ出掛けました。機中泊が3回もある強行日程でした。主だった日程は以下のとおりです。
14日 =12時、成田発。16時、ロンドン着(時差8時間)。20時、折田大使の公邸で夕食会兼政治経済事情説明。 15日 =11時20分、テート・モダン美術館(廃止された発電所を改装し、2000年に完成したもので、リノベーションによる現代建築の代表例)の見学。21世紀記念の一環として、歩行者専用橋として建造されたミレニアム・ブリッジを眺め、12時に、カナリー・ワーフ地域の都市再開発地区(ロンドン南東部の貧困地区が、再開発で巨大商業集積地域に変身)を見学。ロンドン・ドックランズ開発公社を訪ね、概況説明を受けました。17時40分、ロンドン発。 16日 =11時間の飛行で、8時、ヨハネスブルグ著。11時、ギャラガー・エステート会議場で全アフリカ議会(アフリカ大陸の54カ国のうち、53カ国がアフリカ連合(AU)に加入しており、そのうち46カ国がこの議会の条約を批准し、各国から5名ずつの議員を派遣。1名は女性と決まっている。)の開会式。14時、ムベキ南アフリカ大統領と会談(アパルトヘイトに対する闘いの支援の話など)。15時、ソウェトのタウンシップ(マンデラさんが1963年に逮捕されるまで住んでいた住居・最極貧の地区の一番奥にあるクリップタウン職業訓練組合など)の視察。18時ムベテ下院議長(女性)とマシュラング上院副議長との会談。19時、在留邦人との懇談会(貧困、犯罪、エイズの克服は、まさに難問などと討議)。 17日 =8時、ケープタウンヘ。11時、コアリ上院議長(アパルトヘイトと闘った労働組合出身の女性議員で、出身はソウェト。安定感があり好人物。江田議員は、南アの民主化支援に努力してきたことを話し、ソウェトの現状と超高級ビルの立ち並ぶ地域との格差の是正に取り組んで欲しいとお願いした。残念ながら11月に急逝。謹んでお悔み申し上げます)を表敬訪問。12時、ウィンドフォエル上院議運委員長らと会談。13時から各級議員と意見交換。19時、コアリ議長主催の晩餐会。 18日 =10時、喜望峰。12時半、ケープタウン市副市長との昼食会。午後、ボッシュンダール・ワインエステート等視察。19時30分、答礼宴(江田議員も挨拶し、アパルトヘイトをなくすることが政治活動で最も力を入れたテーマのひとつだったことを紹介し、南アの皆さんの一層の努力をお願いしました)。 19日 =10時、ロベン島(政治犯の刑務所のある島で、アパルトヘイト当時に、マンデラさんをはじめ多くの人が収容されていた)。15時40分、ヨハネスプルグへ。飛行機を乗り換えて、機中泊でパリへ。 20日 =6時、パリ着。10時、ルーブル美術館(ミロのビーナスやモナリザの写真撮影が自由なこと、中国人観光客で溢れていることに驚く)。13時、平林大使の公邸で昼食会。20時、ヴァラード上院日仏議連会長主催の夕食会。 21日 =11時、バルビゾン散策(人口2000人ほどの小さな集落で、ミレーなどの画家が好んで住み、名画を描いたところ)。20時、成田へ。 22日 =14時30分、成田着。
11月30日と12月1日に2日続けて、法務委員会で質問しました。民主党の法務部門では、法務委員会にかかる法案の担当者を決めて、その法案が本会議や委員会で審議される時に、その担当者が質問するというルールになっています。今国会での江田議員の担当は、いわゆる刑法の重罰化法案(凶悪犯罪の刑期を重くするなど)でした。
11月30日の13時から17時半まで、法務委員会で刑法改正案の質疑が行われました。まず参考人質疑。木村光江教授、神洋明弁護士、石塚伸一教授の3人から意見聴取の後、江田議員も15分間質問しました。次いで対政府質疑に入り、60分間質問。ほとんどが南野千恵子法務大臣とのやり取りで、政府参考人(いわゆるお役人)とのやり取りは最小限に留めました。南野大臣は、法務関係についての知識が豊富とはいえません。そこで大臣の常識人としての感覚を質すことにより、今後の法務行政改善への指針を引き出す質問をしました。民主党も賛成で可決。附帯決議は全会一致でした。
翌12月1日にも法務委員会で、裁判所法改正案の質疑。司法修習生の給費制を貸与制に変えようというもので、司法制度改革推進本部提出法案で成立を迎える最後の法案です。45分間質問しました。司法制度改革の制度設計が終わり、今後それをどのように国民に開かれたものとして実現していくかという点に重点をおいた質問しました。法案は、衆議院で施行を4年延長する修正をしたもので、民主党も賛成し可決しました。
来年の通常国会では、冒頭に小泉首相の所信表明に対し、民主党を代表して質問を行い、国会緒戦の口火を切ります。頑張ります。
2004年12月12日 |