1986/01 五月会だより No.28 | ホーム/主張目次/たより目次/前へ|次へ |
明けましておめでとうございます。
ご家族おそろいで、すばらしい新年をお迎えのことと思います。
トラ年なので、「虎嘯」と揮毫してみました。虎が息を吹き出して叫ぶように活躍するさまです。あくまでも志を高く持って、政治の改革のために今年も全力投球します。
昨年は、社民連の代表に就任し、まさに東奔西走でした。おかげで「再生・前進」も着実にスタート。衆議院での議席倍増をめざして頑張ります。
昨年のニュースで最大のものは、何といっても米ソ首脳会談です。人類の運命だけでなく、地球そのものの運命を握っているのに、「核戦争三分前」と言われるほど仲の悪かった両国首脳が、六年半ぶりに会って握手をしたのです。世界が新しい軍縮時代のスタートラインに立ったと言えるでしょう。
しかし、放っておいたのでは軍縮は前へ進みません。世界中がそのための努力をしなければなりません。
中曽根首相の軍拡政策をストップさせ、平和に向かって前進を始めることが、今年最大の課題です。
昨年もう一つ大問題になったのは、「いじめ」です。じめじめしつこく精神的苦痛を与え続け、たくさんの子供が学校に行けなくなったりしました。自殺する子も出ました。
学業にばかり熱中した教育が続きました。社会も又、物と金に熱中してきました。その「つけ」がたまって、子供たちのところに出てきたのだと思います。
国民みんながホンネで話し合い、一人ひとりの生き方や意識を変えていくことが必要です。人間の価値は勉強以外にいっぱいある筈です。この再発見のため、全員参加の教育改革を今年も進めます。
六月の参議院選挙と同時に、衆議院選挙もあるのではないかと噂されています。「どんと来い」と言えるよう、全力をつくします。
私も今年でいよいよ国会議員九年目。年齢も四十五歳になります。妻・京子も子供たちも元気一杯。昨年は母・光子が倉敷を引き払い私たちと同居を始めました。東京チョンガーはつらいけど、負けてはいられません。
国会の申し合わせで年賀状を出すことができません。例年どおり、この紙面を借りて、みなさまのご多幸をお祈りし、一層のご指導ご支援をお願いして、新年のご挨拶といたします。
昭和六十一年元旦衆議院議員・社会民主連合代表
昭和六十一年は「昭和還暦」にあたる。今、中曽根首相が唱える「戦後総決算」に象徴されるように、右へ、右への潮流が勢いを増しているのは事実だろう。還暦にあたり、昭和日本の足跡をふり返ってみることは、かつての日本がたどった軍国主義への道を再び歩まないためにも、また、経済大国日本が世界の“孤児”にならないためにも、大切なことではないか。
戦前の政党政治をふり返ると、昭和初期の政友会、民政党の二大政党の対立、無産政党への弾圧、十五年戦争の中での政党の没落・無力化と大政翼賛会の発足…と、ファシズム・戦争という時代の流れに屈していった政党の姿が浮き彫りにされる。戦後、左右社会党の統一と保守合同により、いわゆる「五十五年体制」が出来上がる。しかし、五十八年総選挙での自民党の大敗後、中曽根首相と新自由クとの保守連立、公明、民社両党も加わった自民総裁選での二階堂擁立工作などにみられるように、五十五年体制はもはや風化している。そして今、「連合」「連立」の時代を迎えているといえる。
そうした政党政治の流れをながめると、改めて政党のあり方、なすべき役割が問われつ。いかに「連合」「連立」の時代とはいえ、政策論議抜きの「連合のための連合」であってはならない。日本が軍事大国にならないことを基本に、もっと政党間の論議を深める必要があろう。そうした状況になれば、小なりとはいえ、野党再編を目指す社民連の代表江田五月の活躍の場面はめぐってくる。社民連に期待されるのは、とかく政党間のみの議論に終わりがちな連合構想に、国民の視点、良識を持ち込むことにある。
シリーズ教育 2.
いま、子どもたちは・・・
津山市教育相談センター海山塾 塾長 藤原 修己氏
教育相談活動のなかで、この一ヵ月、子どもたちの気になる発言をみると
「おやじのいうこととおかんのいうことがちがう。どちらのいうことをほくは聞けばよいのか。おやじは理屈が通らなくなると暴力でぽくをおさえようとする。」(小六男)
「おかあさんは、わたしの前に立ちふさがっているくせに、何んでも自由にさせていると思いこんでいる。だからこの口うるさい親には、何もいわないでください」(中三女)
「ちょっとテレビやマンガを見ていると『すぐ勉強しんちゃい』とどなりつけられる。ぼくの息抜きはどこですればいいんだ」(中二男)
など、親子関係の曲がりかどに立つ子どもたち、支配的で肥大化する母親たちの姿が目立つ。これ等のなかには、ゆれ動き、いらつき、不安でいっぱいの子どもたちの安らぎの場はどこにも見当たらない。
反抗心それに自分勝手さもある子どもたちは、子どもの行動を非難し叱る親、説教をくりかえす親を受け入れるはずはない。自分を理解してくれる大人、自分の味方になってくれる大人を求めているのです。
つまり、子どもの示す行動は、その行動そのものが問題なのではなく、その行動を起こさざるを得ない状況に子どもたちがおかれていることに問題があり、それを子どもは行動で示し、大人に訴えようとしているのです。
最近社会問題となりつつある登校拒否・家庭内暴力・いじめなどいずれも共通の基盤に生じたものであって問題児が増加したのではなく、問題児をつくりだす社会状況にあるのではないでしょうか。
今こそ、大人一人ひとりが自分には関係がないという態度をすて、子どもたちの幸せにつながる教育の方向性を見いだす努力をすることが緊急の課題だと思います。
スポットニュース
再び 青春!
10月9日・10日の両日、朝日高校昭和35年卒の仲間が、「修学旅行」を行った。
当時受験一本槍の校風に反対して江田五月等は修学旅行復活運動を起こしたが、自らの代では果たせなかった。この思いを卒業25周年目にして実現したわけだ。参加人員58名は、“再び青春”を満喫した。
熱 唱 報告:河原 昭文
テレビ東京の「お次の番だょ!歌合戦」の国会議員チーム対抗戦に、江田五月さんチームが出場しました。監督は菅直人議員、選手は江田議員、女性の山岡さん、西田さん、それに私。第一回戦、相手は公明党の黒柳明さんチーム。トップバッターは江田議員。得意の「昂」を歌いましたが、さすがの江田議員も相当上がっていたらしく、少し早く出すぎて惜敗。次は私。歌は「浪曲子守唄」。二人負けたらおしまいなので緊張し、途中から手がふるえ、最悪の出来。得点は同点でしたが、審査員の挙手で二対三の負け。山岡、西田さんには、せっかく岡山から行ったのに歌う機会も与えられず、誠に残念でした。
八八会総会
中小企業八八会第四回総会が、十二月七日夜、まきび会館で開かれました。八八会は発足いらい満二ヶ年になりますので、来年は“連帯と親睦”を目標に頑張ることを申し合せました。総会後は、ご馳走をいただきながら友情あふれるパーティーでした。
新役員にはつぎの方が就任しました。
教 育
「子供のために・教育はいま…」と親して各地の江田五月会が講演会を開いた。
岡山市で4ケ所・郡部で5ケ所と11月・12月はこの教育シリーズの講演会で江田議員も大ハッスル。文教委員江田五月の教育論を聞こうと多くの人々が集まり、各会場とも熱心な論議がなされた。
五月杯ゴルフ
第三回江田五月杯争奪ゴルフコンペは、十一月七日、岡山C・Cで催された。生憎の雨も競技が始まる頃にはあがり、絶好のゴルフ日和。
江田議員をはじめ一二五名が参加。晩秋のフェアウェイも熱気ムンムン、汗ばむほどでした。優勝者はグロス八〇、ネット七二・五の竹原和正氏で、賞品のオートバイを獲得しました。
山陰への旅
江田五月会恒例の旅行は、自然がいっぱいの山陰への旅でした。
一行は、朝岡山を出発し、昼食を鳥取砂丘でとり、左手に実しい日本海の景観を満喫して、一路、城崎温泉へ。
情緒のある柳並木の川筋を、浴衣姿でそぞろ歩きを楽しみ、魂の洗濯をしました。
翌日は、城下町出石と、天の橋立を訪れ、歴史と自然の香りを嗅ぎながら、楽しい二日間を過ごしました。
編集後記
一九八六年を迎えました。今年は選挙の当たり年。七月には、参院選を控え、社民連の動向が気になるところです。また、今後の政局の動きいかんによっては衆院解散、ダブル選挙の可能性もあります。このほか、新見、総社市の市長選、市議選なども行われます。
つまり、江田さんにとってこの一年は、相当厳しい年になりそうです。社民連の党首としての力量に、多くの県民が注目、期待することになりそうです。(K)
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