1993/05 五月会だより No.68 ホーム主張目次たより目次前へ次へ


“地球時代”担う新党の結成を!!

今こそ断とう自民支配、政治腐敗
「新党の核」江田五月支援の輪を広げよう

 戦後47年間続いた自民党の一党支配体制が、今、音を立てて崩れようとしている。

 ロッキード、リクルート、そして佐川急便事件…。自民党は定期的にスキャンダルを繰り返し、そのつど「政治改革・政治の浄化」をお題目のように唱え、逆風をやりすごし、政権を握り続けてきた。

 しかし今、状況は大きく変わっている。国民が「社会党に政権を取れ」と言っているわけでは、もちろんない。むしろその逆である。「自民党にはトコトン愛想が尽きた。それと同じくらい、いやそれ以上に旧態然とした、米ソ対立の冷戦時代の思考の尻尾を捨てきれない社会党にも期待は持てない。もし『まともな』新党が誕生するなら、政権を任せたい」。これが多くの良識ある国民の率直な気持ちだろう。

選挙制度にベストはない

 折しも国会では「政治改革関連4法案」に関する審議が続けられている。中でも議論の中心は、選挙制度改革だ。「諸悪の根源は、選挙に金がかかること。だから、あらゆる政治改革の中で最も重要なのが選挙制度改革だ」というわけだ。

 では社・公両党が主張する「併用制」、あるいは自民党の言う「単純小選挙区制」、民間政治臨調の提唱した「連用制」のいずれかを採用しさえすれば、政治腐敗は無くなるのか。答えは「否」である。

 ロッキード事件の時、評論家の立花隆氏が造った「構造汚職」という言葉は、その後起こったリクルート、佐川両スキャンダルにも見事に当てはまる。一つの政党が半永久的に政権の座に着き、官僚、財界を包括した利権の「構造」を作り上げており、その中で「汚職スレスレ(常識で言えば立派な汚職)」が日常的に行なわれている。そして時としてその「氷山の一角」が姿を現す、ということだ。

 これを打ち破るには「構造」の基礎である自民党一党支配に終止符を打つしかない。

 ただ単に「金のかからない選挙」をめざすのであれば、極端な話、現行の中選挙区制度下でも、公職選挙法の罰則を強化し、運用を極めて厳正にすればこと足りる。しかしそれでは、前述の「構造」そのものを変革することは不可能だ。そこで二大政党制、政権交代を視野に入れた、選挙制度改革に関する丁々発止のカケヒキが生じる。

 さらに、選挙制度改革にはその成り行き自体が政権交代のプロセスと密接に結びついている、という側面がある。具体的には羽田派の動きだ。選挙制度改革の流れいかんでは、羽田派が自民党を飛び出し、それが政界再編、新党、政権交代のきっかけになる可能性がある。

「古い革袋」は通用せぬ時代

 今や「国会議員総改革派」の観がある。しかし、口先で「改革」を唱える議員イコール「改革派」ではない。

 たとえば社会党の中には、表面上は党の提出した「併用制」の選挙制度改革を支持するように見えて、その実「自分の議席を守るのに都合がいいから」という理由で、中選挙区制度に未練たっぷりの議員も少なくない。自民党とて事情はさほど変わらない。党議決定した「単純小選挙区制」の成立を阻もうとする動きがあちこちで見られる。

 つまり、衆議院議員の相当数は、国民の怒りをかわすため、表面上は「改革派」を装いながら、その実、自分の立揚を維持することに汲々としている、と言わざるを得ない。

 しかし、そのような低い次元でうごめく政党・政治家に舵取りを任せて、果たして日本に未来はあるのだろうか? 

 冷戦が終り地球連帯時代が到来した今、世界一と言われる経済力を持つ国となった日本は、新しい国際秩序、世界平和のビジョンを自らの口で語り、行動しなければならない時を迎えている。

 しかし残念ながら、自民党はもとより、少なくとも「現在の」社会党には、そうした時代の流れに対応し、新しい政治を構築して行くだけの力はない。だからこそ、江田五月は今、以前にも増して熱意を込め、「政権を担える新党」の結成を訴えるのだ。

 政治改革を巡る動きがどういう方向に進むか、予測は非常に困難だ。しかし、次の総選挙の前後に大きな変革が起こることだけは間違いない。もし、ここで大変革が起こらなければ、もはや日本に明日はない。事態はそこまで深刻なのだ。次の総選挙は、「最後のチャンス」なのである。

極めて重要な次の総選挙

 次の総選挙(早ければ夏、いくら遅くとも来年2月には任期満了)は、江田五月にとってもある意味で「最後のチャンス」だ。

 過去16年間、江田五月が主張し、目指し続けてきた「政権交代可能な政治の枠組み作り」が、にわかに現実味を帯びてきた。江田五月にとって、今こそ「正念場」なのだ。国民も新しい政治、新しい政権の担い手として、江田五月に期待を寄せている(ある新聞調査によれば、「これからの日本のリーダーにふさわしい人物」として、江田五月は日本新党の細川代表とともにトップの位置を占めている)。

 その江田五月がもし議席を失うようなことがあれば、あるいは当選しても「滑りこみ」というのでは、「新党」「政権交代」の行方に暗雲が広がることは否定できない。

 どのような選挙制度になるかは、現時点では誰にもわからない。単純小選挙区制でも並用制でも連用制でも、仮に現行の中選挙区制度であっても、「やはり江田五月」と全国民に納得される形で国会に送り出し、活躍の場を与えることが、江田グループの務めではないだろうか。

 過去3回のトップ当選は、極端に言えばさほど重要ではない。すべては「次」の選挙にかかっている。


選挙制度改革は「リトマス紙」

 江田議員は国会報告会などの場で、次のような主旨の発言をし、選挙制度改革の必要性を訴えている。

 「(本音の部分で)選挙制度の改革に熱心かどうかが、『守旧派』と『改革派』を分ける一つのポイントになると思う。党利党略で議論したのでは道は開けない。『わが党』『自分の議席』のことはあえて後回しにし、自ら血を流してでも制度を変えようとする議員こそが、真の改革派ではないか」


 去る4月17日・18日の両日行われた「桃太郎祭り」に、韓国のミス5人が参加し、花を添えてくれた。

 最近市民の間で韓国との交流が盛んになってきたが、大変喜ばしいことである。

 岡山市議会でも昨年9月に県都の市議会としては初めて日韓議員連盟ができ、過半数の議員が参加したと聞く。すでに、30数年ぶりに再開された韓国の地方自治体2都市からの行政視察団の受け入れもこなし、活発な活動をしている。

 また今年2月には日朝友好議員連盟も結成され、南北の自主的・平和的統一の雰囲気作りの一助になればと様々な交流が準備されつつある。

 昨今、外務省においても外交の多元化論が言われ、自治体の国際的都市間交流が盛んになりつつあるが、私たち日本が気をつけなければいけないのは、「過去」の問題に目をつぶらないということだ。

 第2次世界大戦において、日本が世界に対して、特にアジアに対してなした蛮行、このことに対する真摯な反省が交流の基礎にならなければ、アジアの諸国から、本当の信頼と友情を得ることはできないだろう。天皇の訪中に際しても、欧米諸国のマスコミでさえ、唯一の関心は「天皇は過去について謝罪したか」であったし、その結論は「NO」であった。

 国土を奪い、名前さえ奪い去った過去の植民地支配に対する徹底的な反省があって初めて、世界の諸国民からの真の友情をかち得ることができるのだ。


「市民民主主義」の胎動を実感

江田議員、米国でクリントン政権要人らと会談
国連本部訪れ「スーチー女史解放とビルマの民主化」を求める衆参424議員の署名も提出

 3月14日から20日まで、江田議員はアメリカを訪問しました。15日と16日はニューヨーク(100年ぶりの大雪でした)、17日と18日はワシントン。訪米の目的は2つで、アメリカのクリントン新政権がどういうものか議員自身の目と耳で確かめることと、日本の野党の政治家の立場から日本の政治の現状と改革の展望について直接メッセージを伝えることでした。

 ニューヨークでは「ジャパン・ソサエティ」で『Trival Politics in Japan(日本の族議員政治)』と題して英語で講演。

 さらに国連本部でガリ事務総長のオフィスに、ビルマのアウンサン・スーチーさんの解放と民政移管のための措置を国連に要請する日本の国会議員の署名(衆参で過半数を越す424名分)を手渡しました。

 ワシントンでは国務省関係者(アジア・太平洋担当次官補、人権担当次官補など)、下院議員3名、上院議会スタッフ、人権・環境NGOの人々、ゴア副大統領の主席補佐宮などと会談。クリントン政権のスタッフには人権・環境NGOから政権入りした人も多く、新しい「市民民主主義」の芽が育ちつつあることに感銘を受けたとのこと。同時に日本でも速やかに政権交代が必要だとの決意を新たにした、江田議員の今回の訪米でした。


 今回、江田議員がまとめ役となり、日本の国会議員の過半数を超す署名を集め、「スーチー女史の解放とビルマの民主化」のための行動を求める要望書を国連事務省庁宛てに提出したことに対し、在日ビルマ人協会会長・ウインナイン氏から感謝のメッセージが寄せられました。

 ここにその全文をご紹介いたします。

ビルマ民主化運動と日本

 世界人権宣言が出されてから今年で45年になります。この世界人権宣言に言及されている人権が、4000万以上もの人口を抱えるビルマではこの30年間無視され、侵害され続けてきました。30年の間に多くの人々が人権を回復するために闘い、命を落しました。

 ビルマに対する諸外国からの2国間援助のおよそ80%は日本からのものです。また、日本は「国家法秩序回復委員会(SLORC)」を名乗る軍事独裁政権を、先進民主主義諸国のなかでは最も早く承認しました。さらに、日本は長くビルマと友好親善関係を保ってきた国でもあります。こうしたビルマとの関わりを持つ日本は、ビルマにおいて人権が尊重される社会を実現する運動に関して、また本当の民主主義を打ちたてるための運動をすすめるなかで、極めて大きな役割を果たす国であると私どもは確信しています。

 「1989年7月20日以来自宅に軟禁されたままの1991年度ノーベル平和賞受賞者アウンサン・スーチー女史をはじめとするすべての政治犯の釈放、1990年の総選挙に示された国民の総意に基づく国民政府の樹立、こうした課題の実現に向かって国連事務総長としてのその権限を最大限行使されたい」とする要望書には衆・参両院あわせて424人の国会議員の賛同署名を得て、国連事務総長のもとに提出することができました。

 ビルマ政治に関わるこの種の要望書に、外国の国会議員の過半数が賛同の署名をされたのは、恐らく世界でもはじめてのことと思います。さらに特筆すべきは、政府与党に属する議員119名が署名に賛同されたことであります。私たちはこうした国会議員の方々のご協力を喜ぶとともに大きな励ましを得た気持ちでおります。

 署名行動を推進して下さった江田五月衆議院議員をはじめ、鯨岡兵輔、二見伸明、中野寛成各衆議院議員、竹村泰子、上田耕一郎、井上哲夫、小池百合子各参議院議員の皆さま、それに署名に賛同して下さった国会議員の皆さまに心からお礼申し上げます。

 さらにご賛同の署名をいただいた要望書を、江田五月議員が国連本部にまで赴かれ、直接提出されたことも、この行動の意味するところをさらに強く世界にアピールできたものと言えます。また、日本の国会議員の55%がビルマ情勢を憂慮していることを示すこの要望書および署名のコピーは、やはり江田五月議員が4月2日に河野洋平官房長官に手渡されました。私たちにとってはなお一層うれしく、意を強くした次第です。

 4月5日付けのタイ国「ネーション」紙は、「ビルマの政治状況に関する日本の動きはアセアン各国も見習うべきである」とする社説を掲げました。このなかには、前述の日本の国会議員の署名行動を詳しく紹介し、高く評価しております。まさに日本の国会議員の動きが世界に波紋を広げたものと言えます。

 私どもはノーベル平和賞受賞者アウンサン・スーチー女史とともに、ビルマに真の民主主義を建設するために今後とも努力していく所存であります。日本政府ならびに日本国民のみなさまにご支援、ご協力をたまわりますようお願い申し上げます。

 祖国ビルマに、国民のひとりひとりが人間らしく生きられる新しい社会が、一日も早く実現するよう心から祈ります。

    【ウインナイン】


主張 カンボジアで散った、二つの貴い志を無にしない道とは…

PKO協力法の早急な見直しを

 カンボジアのPKO活動で、国連ボランティアの中田厚仁さんに続いて文民警察官・高田晴行警視が武装ゲリラ(ポル・ポト派?)に襲撃され死亡した。岡山県警所属の高田さんの死に、江田議員も心から哀悼の意を表し弔電を送った。

 カンボジアの情勢は非常に厳しくなっており、日本から派遣されたPKO要員の安全問題だけでなく、総選挙が予定通り実施されるのか、パリ和平協定の枠組は守られるのか、などUNTAC(国連カンボジア暫定統治機構)の根幹に関わる部分で大きな揺らぎが生じているのが実情だ。

 カンボジアでのPKO活動には重大な「ボタンのかけ違い」が2つある。一つはPKO協力法である。自公民3党は、十分な国民的合意のないままこの法案を強行成立させるに当たって派遣に関して「PKO参加5原則」なるものを示した。即ち(1)停戦の合意、(2)受け入れについての当事者の同意、(3)PKO活動の中立、(4)日本独自の判断による任務の中断・撤収、(5)武器使用の限定、である。現在カンボジアにおいては(5)を除くすべてが崩れかけていると言える。

 もう一つはUNTACのカンボジア和平の進め方である。パリ和平協定では、まず紛争4派の武装解除を行い、その後総選挙を実施することになっていたが、現状では武装解除が行われないまま総選挙が強行されようとしている。また、UNTACが「中立」というよりむしろ「紛争当事者」のような立場になっていることも問題だ。UNTACはパリ和平協定の原点に戻るべきである。

 私たち社民連は国連のPKO活動に参加することには、もちろん賛成だ。PKO法案審議の過程でも、自衛隊とは「別組織」で、武力行使を伴うPKFには直接参加せず、PKO活動の実施計画ひとつひとつについて国会の事前承認を必要とする内容の修正案を提案した。

 この立場から私たちは、前述の2つの「ボタン」のかけ違いを改める必要があると考える。2つの貴い命が失われた今、日本人だけでなく、すべての要員の安全確保のための対策(撤収を含む)を取ることをUNTACと国連安保理に強く働きかけるべきだ。もちろんPKO協力法も、国民合意の法律に改める必要がある。


One Point News

江田発言、社党に波紋
「(今さら基本政策の見直しを言っても)国民の常識から3周遅れていたのが2周遅れになるだけ」「社会党が居座ったままで新党を作ってもダメ。2つに割れるか、政治方針を大転換するかだ」といった『江田発言』に、社会党の一部が反発。しかし他方では「江田さんは本当のことを言っている」とのエールも…。

平成維新の会と懇談
4月10日、「平成維新の会」の岡山の代表者6名が江田事務所を訪れ、江田五月議員と約1時間にわたり懇談した。懇談は、維新の会からの質問に江田議員らが答える形で進められた。主なテーマは(1)道州制、(2)世界分業論、(3)選挙制度改革、(4)途上国支援、(5)教育改革、(6)天皇制、(7)農業政策など。


特集 『本陣山疑惑』のゆくえ

 中央での政治腐敗が極致に達している中、岡山でも同じように発覚した本陣山ゴルフ場の事件は、まだまだ決着がついていない。

 疑問点が多すぎる

 この事件のポイントは3つある。(1)有力県会議員(これまでに名前が挙がったのは門木県議と山田県議)によって、県行政が歪められたのではないか。(2)門木県議は1千万円の受け取りを認めているが、これは本当に賄賂ではなかったのか。同様に、金銭を受け取ったと言われる山田県議は金銭の授受そのものを否定しているが、事実はどうなのか。(3)他にもこの事件に関係した議員がいるのかどうか。またこの事件以外でも、県政を巡って似たようなことが行なわれてきたのではないか、の3点である。

 (1)に関しては、県議会で「調査特別委員会」を作り、真相を究明しようとしているが、県当局のガードは非常に堅い。(橘民義県議も一般質問で厳しく迫ったが、知事は木で鼻をくくったような答弁に終始した。)

 (2)については、門木、山田両議員とも、「別件」で警察の事情聴取を受けた。門木県議は「車庫飛ばし」にからみ暴力団との関係を取り沙汰される中、家宅捜索を受け、その結果10億円もの蓄財、そして脱税の疑いもかけられている。どこかで聞いたような話だ。金丸氏の場合がそうだった。金丸氏のもとに流れこんだ膨大な金は、国民の常識では立派な(?)賄賂である。しかし、「法的に」これを立証することは極めて困難と見た東京地検特捜部は、「脱税」という別の切り口を見いだしたのだった。

 一方、山田県議(御津郡)は「金は受け取っていない」と「潔白」を主張し続けているが、渡した側である清水・光地所元役員が県議会の調査特別委員会に提出した回答文書には、金額・日時・場所さらに渡した方法などが具体的に記されている。(その後山田県議は、政治資金規正法で書類送検されたが、容疑を否認。全面的に争う構えだ。)

 (3)に関しては、「本陣山事件」だけに限っては、「関係した」議員は前出の2人だけかも知れない。しかし、ことは「本陣山」だけなのだろうか。「本陣山」は氷山の一角で、「事件」にならない「事件」が他にも沢山あるのではないか。今回名前の挙がった2人以外の議員は、全員「清廉廉潔白」と言えるのだろうか。疑問は尽きない。

 『潔さ』はどこへ?

 さて、この事件に県民は大きな怒りを感じたが、現状ではまだ何も決着してない。

 かつて江田三郎氏が県会議員だった頃、「ブリ事件」なるものがあった。年末、県会議員にブリが配られた。ところがそのブリは「ヤミ物資」だった。後でことが問題視されるや否や、江田三郎氏は議員をきっぱり辞職した。

 門木県議の場合はどうだろう。貰ったのはブリならぬ、腹に百万円入った新巻鮭。腹の中のものは返したそうだが、最終的には1千万円を開発業者から受け取り、おまけに10億円の蓄財が発覚しても、慌てて税金を払って知らぬ顔。

 山田議員の態度はどうか。何と山田県議は、つい最近まで本陣山事件の調査特別委員会の委員を務めていたのだ(3月19日、ようやく辞任)。「潔白」であっても、むしろ潔白であればなおのこと、自分のかかわる事件の調査委員は辞退するのが普通であろう。

 決して許されない

 県議会では、民主クラブ、社会党、公明党の3会派が門木、山田両議員の辞職勧告決議案を6月議会に提出することを決め、あわせて調査特別委員会の再開を申し入れることとしたが、2議員は辞職は考えてないと言う。

 自民党議員の中からも「いい加減にしてくれ。でないと、自分たちも同じように見られて迷惑だ」という声が出始めている。しかし、本当に事件を深刻に受け止め、真相究明に全力をあげようとは考えていないようだ。それどころか、本陣山事件は、自民党内で、県会議長などのポストを巡っての「派閥抗争」の道具にされた観すらある。

 国レベルの政治改革の行方に注目するのと同じ、いやそれ以上の関心を持ち、そして金まみれの政治に対する怒りを忘れることなく「本陣山」に注目し続けたい。そして決してうやむやのままの「終結」を許してはならない。


五月会 ふるさと便り

町民本位の町政  赤磐郡・吉井町 高原小太郎

 今日もお年寄りの笑顔が佐伯北の谷間に響きわたる。それは、デイサービス、シティサービスを利用しておられる朗らかな声である。
 わが町の行政は、すべて住民本位を主眼として推進されている。たとえば企業誘致にしても、従業員を大切にしない企業は一切誘致しない方針である。それがどんなに小規模な企業でも、住民が楽しく働ける職場であれば、全力をあげて協力するのである。
 このような姿勢で町政に取り組む町長は、熱烈な江田理念の信奉者でもあり、毎年開催する町の産業祭には、必ず江田さんを招待し、わが町の姿を十分見聞きしてもらい、一層の助言を受けている。
 このほか江田さんは、一年に一度、松茸の採れる季節にはファミリーでわが町を訪れるが、そんな時の先生は激務から離れた解放感でとても楽しそうである。
 こんな親交を今後とも存続させていきたいものだ。

恒例・桃の花見   岡山市・一宮

 昨年から始まった、一宮五月会主催の桃の花見会。
 今年も板野日出男さん宅をお借りして、一宮を中心に各五月会から約80人が参加。
 あいにく「主役」の桃はまだ二分咲きだったが、江田五月議員をはじめ五月会の皆さんのパワーで宴席は満開。
 安宅敬祐岡山市長も途中から歓談の輪の中に加わった。酒席にもかかわらず、市長に辛口の意見など出るあたりは、さすが五月会?
 最後に蔵本先生(宇野五月会)ご寄付の版画が当たるクジ引きが始まった頃からにわかに雲行きが怪しくなったが、すぐに温室に移り、カラオケ大会に転換。この段取りの良さも、さすが五月会?
 春の嵐を吹き飛ばす五月の風、今年は政界でも吹き荒れてほしいものだ。


第1回 江田五月会総会
会長 河原昭文・事務局長 橘民義

 4月11日(日)、岡山労金ビルで江田五月会の総会が開かれた。

 結成されて16年になる五月会だが、意外にも今回が正式には初の総会。発足以来会長を勤めてきた河原太郎弁護士と、事務局長として過去3回の江田選挙で采配を振るってきた大亀幸雄氏がともに辞意を表明したのを期に、役員の一新と組織の一層の活性化を目的として開催された。

 総会は、まず議長に神崎裕康・津山市議と森安恭子さんを選出し、続いて会長挨拶と来賓祝辞、大亀氏による活動報告の順で進行。長年大任を果たしてきた河原、大亀両氏に対し、約150名の参加者からねぎらいの温かい拍手が贈られた。

 規約、役員人事、来る衆議院選挙の運動方針などが満場一致で承認された後、江田五月議員が登壇「今をおいて時はない」と、政界再編・政権交代への意欲を力強く表明、「そのためにも、私が『後顧の憂いなく』頑張れるよう五月会の皆さんにお力添えをお願いしたい」と結んだ。

 最後に、新会長に選出された河原昭文弁護士が、「親子二代の『世襲』会長だが、正式に承認を得た会長としては『初代』。会長が代わって選挙がダメだった、などといわれことのないよう、精一杯頑張りたい」とユーモアを交えつつ就任の弁を語り、総会は定時に幕を閉じた。(なお、大亀幸雄氏は、政界再編をにらみ、今後は社民連書記長として党務に専念することとなった)

 新役員は以下の通り(一部省略・敬称略)
▼常任顧問/大亀幸雄、河原太郎 ▼会長/河原昭文 ▼副会長/金谷光夫、神崎裕康、五藤裕子、田原清美、西崎武芳、増田文嘉、森安恭子 ▼事務局長/橘民義 ▼事務局次長/寺田明生、羽場頼三郎、(他事務局1名) ▼会計/山辺誠 ▼会計監査/元田弘祐、守安昭雄 ▼常任幹事/明石重良、安東賢介、伊丹祐輔、井上康生、入屋健二、浦上一美、緒方憲市、垣本信勝、川淵明、櫛下信久、楠木裕樹、国富橿雄、蔵本浩司、里田春樹、桑原一、小土井洋二、篠原新二、柴田清美、柴田政武、庄公寿、須藤暁子、末石朝夫、高野昌信、田原清正、塚本弘道、野口武志、畑肇、平中彰、富士松勝弘、藤井孝洋、藤井康平、藤原裕示、丸尾和良、丸尾勝、丸山健司、樅野志郎、森芙美、山瀬康也、和田知矩


シリウス・市民クラブ発足  「新党」への布石?

 江田五月・シリウス代表幹事は4月14日、衆議院会館で記者会見し、「シリウス・市民クラブ」の結成を発表した。

 同クラブはシリウスのメンバー31議員を財政・政策立案の両面から支援し、政権を担う政治勢力の結集を目的としたもので、山岸章・連合会長、江橋崇・法政大学教授、作家の高橋三千綱さん、立松和平さんなど、各界から呼掛け人が集まっているのが特長。

 7月上旬に総会を予定し、2万人程度の市民の参加を目指している。

 「新党」への布石として、大いに注目される動きだ。


倉敷社民連、石田選挙に全力投球

 倉敷社民連は4月9日、倉敷労働会館で運営委員会を開催し、衆議院岡山2区から立候補予定の前中国短大教授・石田みえさんの当選に向け全力で取り組むことを確認した。

 社民連では、すでに去る2月26日に発足した「石田総合後援会」に大亀書記長をはじめ金谷倉敷市議、緒方憲市、垣本信勝、柴田政武各氏が役員として参加しているが、今回の運営委員会はこの役員参加を正式に承認し、あわせて半常駐体制の確立、地域での後援会活動への積極的な参加、独自集会の計画・開催など、具体的な石田選挙への参加方針を打ち出したという点で意義がある。


ポスター撮影修了 選挙に向け始動!

 3月27日、岡山市内の写真スタジオで江田五月議員の写真撮影が行われた。
 今回撮影したのは、次期衆院選挙のポスターに使用する写真。「写真慣れ」しているはずの江田議員だが、多少緊張のおももちでカメラの前に立った。
 約3時間をかけ撮影は無事終了。さて、仕上がりは?


編集後記
 マンガ家の柴門ふみさんが「一つのスタイルを守り続けていれば、いつか『流行』に当たる。流行を後追いしていたのでは、永久に時代遅れになる」という意味のことを書いておられます。

 江田五月議員が一貫して訴えてきた「政権交代」の主張も、今、ようやく「時を得た」感があります。


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