1981/09 五月会だより No.9 ホーム主張目次たより目次前へ次へ

江田五月会だより 家族ぐるみ移転完了
江田五月・東奔西走
国会活動レポート
新築披露で大わらわ

江田五月さん
地元で活動に拍車  “おはよう7・30”欠かさず

「みなさん、お早うございます。毎週月曜日の七時半参議院議員の江田五月とともに、この一週間に起きた、さまざまなできごと、政治、経済、社会の問題について考えてみませんか」

五月カラーのグリーンに白抜きで、“おはよう7・30江田五月”の横断幕をかけた宣伝カーの上から大亀幸雄岡山社民連書記長のあいさつではじまる辻説法は、四月から天候に関わりなく毎週行われており、今や岡山駅前の名物になりつつあります。

早朝、行き交う市民は、江田五月のさわやかな弁舌に耳をかたむけ、回を重ねるごとに大きな反響を呼んでいます。

四月のある月躍日には、岡山で起きたコンクリートパイル幼児転落事故も、全国各地に例をみる問題として訴えました。高度成長時代に着工され、その後、未完成で危険な状態のまま放覆されている現状に対する江田五月の指摘は、地元の事故だけに多勢の人が足をとめてじっと聞き入っていました。

また、非核三原別については、「亭主が浮気をする場合、前もって女房と相談する約束になっている。相談がない場合はどんなに怪しいと思われることがあっても浮気はしなかった。こんな話を信用する女房がどこにいますか。今の政府の姿勢はこのような理屈になる」歯切れのいい比喩に通勤途上のサラリーマンも思わずニヤり!。

こんな具合に山積するさまざまな問題を訴えていますが、いつも繰り返されている江田議員の強い主張がある。

「野党は団結し、自民党単独政権に歯止めをかけなければならない。フランスでは、社会党書記長のミッテラン氏が大統領になった。日本においても野党がケンカぱかりせず、もっと手を組んで政権交替を実現しなければならない。」

今は亡き江田三郎以来の主張であるこの言葉に、通勤ラッシュでざわめく駅前の朝の空気はひきしめられます。

回を重ねるごとに車中からの声援もふえ、五月会事務所への激励電話も続々とかかってきています。

さらに、宣伝カーからの一方的な語りかけだけでは満足せず、最近では街角で即席の対話集会も行っています。まず、江田議員が語りかけて、立ちどまって耳をかたむけている人がいれば、ワイヤレスマイクでインタビューします。

聴衆と江田議員とのあいだに問答がはじまり どんな質問にも手際よく答えます。

まだはじめたばかりで、仕掛ける側も十分に慣れていないこともあり、質問する人はあまり多くありません。しかし状況を鋭く分析し、具体的に問題を提起し、市民と共に考えていきます。

このような市民との接触を通じて政治を考えていこうとする江田議員の姿勢が好感と期待を持って受け入れられつつあることは確かです。


家族ぐるみ移転完了 郷里の岡山市へ

三月二十八日、江田五月氏一家は、新築なった岡山市の新居(岡山市山崎)へ引っ越しました。

以来地元でのスケジュールはまさに殺人的。国会のあいまを見ては、いっ時を惜しんで岡山に帰ってきます。岡山での日程は、大亀社民連書記長を中心に三人の秘書も加わって、びっしり組んであります。これを一つ残らずこなしていくという今日このごろ。別記「江田五月東奔西走」はほんの一例。

転居以来、一区県下一円の団体・個人へのあいさつ回り、地元町内会への個別あいさつ、新築披露パーティー(百人余の出席者)、各界の人々との懇談会等々、これらを京子夫人、お母さんの江田光子さんはもとより、ボランティアの多くの婦人たちの手まで借りながら消化している日常です。

三人の子女も各々地元操南中学校と旭操小学校に転入学し、名実ともに地元岡山の議員に変身しつつあります。


足でする猛勉強 江田五月・東奔西走

最近の江田五月参議院議員の足でする勉強ぶりには目をみはるものがあります。今号ではその一部をご紹介することにします。

太陽博を見学

三月二十二日からからオープンした四国は仁尾町における太陽博の初日にいち早く訪れて、案内役の仁尾町長に太陽熱発電についてやつぎばやの専門的質問を浴びせて回りの人々を驚かせました。

苦悩するわが国のエネルギー政策に対するその真剣な勉強姿勢が感じられた一日でした。(四面に関連記事

コンクリートパイル転落事故で政府を督励

四月二日に岡山市内で起こった三井製糖工事中断跡地のコンクリ−トパイル転落事故を重視、翌三日、早速事故現場をつぶさに視察。

さらに、同七日に開かれた参議院建設委員会において「何らかの理由で、未完成のまま放置きれている全国の工事中断現場において、純一ちゃん死亡事故のようないたましいことが、再び起こることのないよう」政府をきびしく督励した。(会議録

これに対して、政府は、早速、建設省を通じて通達を出し、未完成のまま工事を発注者に引き渡す際には発注者、業者とも万全の安全措置を講ずるよう指令するという具体的成果を引きだしました。人命事故に対する江田五月氏の鋭敏、迅速な反応と行動が高く評価されています。

建設省が早速通達

江田議員の質問を受けた 建設省は、早速「未完成建築物等の安全確保について」次のような通達を出しました。

 未完成建築物の安全確保について

 建設工事の施工に伴って発生する公衆災害の防止については、かねてより市街地土木工事公衆災害防止対策要綱(昭和四十六年十一月十九日付け建設省計建発第九六号)を定めて、建設業者を指導してきたところでありますが、去る昭和五十六年四月二日三井製糖株式会社岡山工場の原糖野積み場拡張予定地において発生した死亡事故に鑑み、別添写のとおり関係建設業者団体あて、工事目的物を契約条件に基づき未完成のまま発注者あて引き渡す場合の公衆災害の防止について協力を要請したので、貴殿におかれても工事の発注にあたっては、かかる場合適切な措置が講じられるよう協力をお願いいたします。

瀬戸大橋建設現場を視察

また四月三十日には、岡山社民連の執行部とともに、ケーソンの打ち込みが始まった瀬戸大橋建設現場の視察を行いました。

本四架橋公団事務所の案内で児島−坂出間のすべてのポイントを視察した後、まるで小山のようなプラント船「世紀」に案内され、ビデオフィルムを見、工法等の説明を受けました。江田五月氏は、大架橋(世界で五番目)建設と瀬戸内の優美な景観の保存との関連等につき、鋭い質問を交えての勉強ぶりで、公団の専門係官の説明にも一段と熱が入っていました。

また、この橋の完成により、職を失うかあるいは大きな打撃を受ける航路業者や労組の代表等関係者を、岡山の江田事務所に招いて、政策の整合性を求める勉強会を催しました。

これらの実体的学習を背景にした参議院建設委員会での江田五月氏の質問は、関係官僚の答弁を圧倒し、地元岡山をはじめとする多くの関係者に好評を博しています。

吉備高原都市・新空港予定地を視察

五月十八日には、岡山県政の大型プロジェクトである吉備高原都市と日応寺の新空港予定地を視察しました。懇親会をも兼ねて組織されたこの視察には、婦人方も含めて総勢三十二名が参加しました。

県の担当者が、岡山から水先案内をして下さり、まず新空港予定地を見学しました。現地はまだほとんど手がついていない自然のままの状態であり、美しく広がる緑の線に、参加のご婦人たちの中には、この緑を失ってまで新空港を建設する必要性がほんとうにあるのだろうかと、疑問を投げかける人もいました。

21世紀の人間都市

昼前に賀陽町と加茂川町にまたがる吉備高原都市建設予定地に到着、スライドと口頭による説明を受けたあと、各自持参の個性豊かな弁当を広げて、しばし行楽の気分を味わい、午後から各予定地の見学に移りました。

岡山県の長野県政が最も目玉とする21世紀を先どりする福祉都市・人間都市だけあって、広大な土地が学術地区あるいは産業地区、また医療地区、あるいはまた健康地区等々多くの目的地区に分けられ、各々が独立しつつ全体が有機的に結ばれる三万人都市の建設がほとんど緒に着いたばかりでした。

「現在はまだ人の頭の中にあるこの都市が、何年か先に現実のものとなったとき、千人ばかりの先住民の中に三万人の人々が移入し、この人々とこの都市が、先住民に何を為し、彼らとどう結びつくかによって、この壮大な実験の成否が決まろう。それこそがまさに政治の問題だ」――江田五月氏は美しい自然の中に始められた工事をみて回りながら、感想をもらしていました。

米軍岩国基地を視察

六月八日には、あやしくなった非核三原則の実態調査のため、楢崎弥之助、秦豊両国会議員らとともに、米軍岩国基地の視察へと赴きました。

しかし、米軍のガードは固く、核兵器の存否は、正直の所灰色のままで終わりました。今後のさらなる調査を期待したいと思います。

笠岡干拓地を視察

翌九日は、休む間もなく岡山県は笠岡市の干拓地(農水省が開拓した)を視察。米の減反政策により、二千余ヘクタールの干拓地の将来にかげりが見えだし、この用途につき、農水省の県・市との間に若干のズレが生じているため、笠岡市議会の方から「お知恵拝借」の声がかかり、勉強に出かけたという次第です。

長期にわたる大型プロジェクトは、時代の急速な変遷で、思わぬ伏兵に出会うことも十分ありうることで、笠岡干拓も今から二十三年も前に農水省の事業として始められたもの。長期にわたるプロジェクトの難しさを思い知らされた一日でした。


以上特徴的にいくつかの足跡を紹介しましたが、江田五月氏は、地元岡山は山崎に自宅を構える前後から活発な動きを示しており、明晰な頭脳と四十歳という働きぎかりの若さに、これまで以上の期待がよせられています。


江田議員・国会活動レポート

松くい虫防除 “空中散布”で万全か  公害・交通特別委で質問

高度経済成長末期、西日本一帯を中心に拡がった松枯れはここ数年、北海道などわずかの道県を除いて、ほぼ全国的に蔓延しています。

これに対し政府は、昭和五十三年に「松くい虫防除特別措置法」を制定し、これまで約二百七十億円の補助金を使って特別防除(空中散布の法律用語)を実施してきましたが、松枯れは増加し、法制定時前の約二倍の二百万立方メートル以上となりました。

一方、この空中散布による直接被害が全国各地で発生し、その効果や安全性をめぐって批判が相次いでいます。

この問題に関し三月十八日、江田五月議員は、参院公害・交通安全対策特別委員会で政府に対し、(1)「特別措置法」の最終年度である昭和五十六年度に松枯れを徴害に終息させるとの目標達成は、ほぼ不可能 (2)松は大気汚染など種々の要因で弱くなっている (3)空中散布だけでは松枯れは防止できない (4)環境庁は、空中散布が生態系の破壊の可能性があることを認識し、松枯れ対策に多大な関心を示せ――などの点を質しました。

江田議員の質問に対し、林野庁黒川指導部長は、「空中散布は松枯れ予防の一つの方法であり、他に伐倒などの予算増もお願いしている」「専門家からなる『松くい虫防除問題懇談会』で検討中。近く結論が」と答弁しました。

さらに江田議員の「国土保全は、松だけに頼らず、長期的視点から樹木の変遷を促進することも考えよ」と真剣な対策を求めました。

また江田議員が農薬の問題に触れたのに対して鯨岡環境庁長官は「農薬で土壌や河川が汚染される」ことを認め、「今後、林野庁とよく話し合う」と約束しました。(会議録


フェニックス法案で計画のズサンさを追及  ――参院連合審査会

環境保護を訴える市民グループを中心とした反対論が強まる中で、「広域臨海環境整備センター法案(フェニックス計画)」は六月三日、自民党を始めとする賛成多数により参院本会議を通過、成立しました。

本法案に対し、江田五月議員はリサイクルの観点の欠如、海水汚染や交通公害の惹起、利権ばらまきの要因などの理由から反対し、五月二十九日、参院の運輸・地方行政・社会労働・公害交通特別委の連合審査で次のように政府にただした。

「今回の政府試算ではリサイクルは一%にしかなっていない。ところが武蔵野市ではリサイクルによってゴミは五割近くまで減量化している。本法案の根拠となった都市人口の変動予測も大きく違ってきており、三全総(第三次全国総合整備計画)も見直しを決定したではないか」――。

厚生省の山村水道環境部長はこれに対し「昭和五十二年ベースではそうだった。ご指摘の通りで、来年度には(ゴミ発生量に関する)全面的見直しを行う」と答弁。政府自らがフェニックス計画のズサンさを認めたことになりました。

さらに江田議員は、東京湾と大阪湾での湾岸工事工法の違いについても追及。「厚生省が八億円をかけて行った調査書では、東京湾では二重鋼管矢板方式(清水建設の特許)、大阪湾ではケーソン方式(鹿島建設の特許)を前提にしている。建設業者とのゆ着があるのでは」とただしましたが、山村部長は「特許については知らなかった」と答え、厚生省の不自然さが明瞭になりました。

「建設、土木工事による残土、しゅんせつ土砂についても疑問が残る」(江田議員)との指摘に対しても、「運用上で。配慮する」「実施計画で見直す」(山村部長)と、厚生省は終始逃げの姿勢。

計画の段階から法案の作成過程まで二転三転したいわくつきの本法案は、いずれにせよ成立したわけですが、今後実施されるまでの間に市民運動をさらに展開し、政府が全面見直しを行うよう、今後の対応が要求されています。(会議録


車検制度にユーザーの声を  公害・交通特別委で

現在わが国は、ドライバー四千二百万人、自動車数三千八百万台の時代にあります。そこで全交通システムを見直す議論がいろいろに行なわれていますが、その中でとかく議論の対象となるのが車検整備制度。

車検整備費用の総額が年に一兆五千億円にものぼり、税や保険には納得するユーザーも欧米諸国に例を見ない高額整備費に泣かされています。

最近の車検整備制度の見直し論議の口火を切ったのは、昨年十一月、中曽根行管庁長官の車検期間一年延長発言。衆参の交通安全対策特別委員会が改革論議の舞台となりますが、運輸省や関係業界の猛烈な反対があって各委員の姿勢も及び腰。

しかしながら、従来からもテレビ等で積極的に制度改革を主張し続けてきた江田五月議員は、三月二十五日、ユーザーの立場から国会質問を行ないました。答えたのは塩川運輸大臣、宇野整備部長。

江田議員の質問の要旨は次の通りです。

(1)技術進歩に伴い、自動車の性能が格指に高まり、二年ごとの車検は不要 (2)検査の基準・技術等を改善すべきだ (3)車検と整備を明確に分離し、不要な部品交換・不明朗な請求はなくせ (4)安全対策を効果あらしめるために「白書」に欠陥の実態を明記せよ (5)運輸技術審議会にユーザーの意見を反映させ、特に「車検オンブズマン」的な機関をつくれ。

以上のような江田議員の指摘に対し、運輸大臣を始め政府委員から、大筋として前向きに対処するとの答弁がありました。

その主なものは、(1)運輸技術審議会では抜本的改革を含め、制度そのものを見直し、一年以内に結論を出す、(2)「安全対策白書」の形にするかは今後の問題、(3)ユーザーの声を聞くのは当然であり、オンブズマン制度も、自動車局でいかに対応するか、考慮していきたい。

この日のやりとりは車検整備制度改革への前進と言えます。現行の制度改革のため、“声なきユーザーの声”を大きく広げる必要があります。(会議録


本四架橋・早期開業を  江田議員、大臣に迫る  建設委

国家財政の破綻の行政改革の推進という厳しい環境の下で、「本四連絡橋」の建設が凍結される可能性があります。これに関連し、江田五月議員は六月二日の参議院建設委員会で、具体的数字をあげ「計画どおり本四連絡橋を建設することの方が、経済的効果・財政合理性がある」と政府に質問しました。

江田議員が質問した第一点は、工事の進捗率の虚妄性です。

政府は従来、昭和五十二年度価格に基づき、当初の三〇%の事業費を使ったから進捗率は三〇%だ、と説明してきました。しかしその間の物価上昇は周知の事実です。今回の江田議員の調査によると、五十二年から五十五年の三ヵ年に人件費は三八%も上昇しています。このことは建設費を大きく左右する鉄・セメント・土地の価格についても同様です。当初予定されていなかった環境対策費も必要となりました。つまり工事の進捗状況は大きく遅れているわけです。

さらに本四公団の財政は借入金が大部分で、約八割を占めています。工事が延期または凍結されると金利ばかりが嵩み、不健全財政になることは明らかです。本四公団は償還主義、つまり建設費用を料金収入から三十年間で償還してゆく、をとっているためその金利の分も利用者が払わねばなりません。

このように本四連絡橋の工事延期・凍結は地元の熱い期待を裏切るばかりでなく、国家財政の再建の観点からも誤った選択だといえます。その上、本四連絡橋が架けられることにより影響のでる一般旅客定期船事業関係者の不安をさらに高めることにもなります。

本四公団に限らず、一般に各種公団の経理は複雑なためなかなか理解しにくいものですが、江田議員のち密な論理展開と現地視察も含めた丹念な調査により、本四連絡橋工事を予定通り完了し、開業すべきであることがはっきりしました。斎藤建設大臣も、「江田議員のご指摘の通りで第二臨調も十分に配慮していただけることになった」と答弁しました。

このほか、この日の質疑を通じ、(1)児島−坂出ルートの料金負担が、他の地域振興橋の建設費のために過度になってはならない (2)航路再編は早期に、かつ広範囲にわたって検討する (3)稗田・柳田地区のルート決定に関係住民に誠心誠意な態度を貫く (4)水島新航路について今後慎重な検討が必要である (5)工事の地元発注は可能な限り最大限に実施する、などの政府答弁がありました。 児島−坂出ルートの開業は昭和六十二年の予定です。開業ののテープカットが行われるまでに今後とも紆余曲折が予想されますが、この日の江田議員の質問のように、早期開業が最も賢明な方法である事を広く理解してもらう事が重要です。(会議録


環境行政の強化を  公害・交通特別委で強調

最近自民党や財界は、環境行政を後退させ、良好な生活環境より経済の高度成長を優先させようとしています。骨抜きの「アセス法案」を国会に提出したり、合成洗済追放運動とも関連する「湖沼汚濁防止法」の国会提出を見送らせるなど、環境行政を後退させようとしています。

その端的な例が、議員内閣制の原則上、本来環境行政の前進を最も強く主張すべき森下泰・自民党環境部会長が「環境庁はスクラップにすべきだ」と発言していることです。

このように環境行政が厳しくなるなかで、江田五月議員は六月三日の参院公害交通対策特別委員会で、「環境行政の後退は許されない」「市民は公害追放のためには賢明な行動を行うので、そのシステムの確立を急ぐべきだ」と政府の姿勢を質しました。

これに対し、鯨岡環境庁長官は「江田議員の環境行政へのご支援は本当に心強い」と答弁し、今後とも環境行政に真剣に取り組むことを表明しました。(会議録


生活を考えた公団住宅を  建設委で独創的提案

「ウサギ小屋」と欧米で酷評されるわが国の住宅事情を象徴するのが、住宅公団の「高・遠・狭」の問題です。その住宅公団が宅地開発公団と統合して「住宅・都市整備公団」として発足することになり、建設委員会を中心に国会で議論がなされました。

江田議員は五月十二日、参院建設委員会で質問に立ち、「住宅に関する国民のニーズが多様化し、新公団はそれに応えねばならない。身障者の利用しやすい住宅を造るとともに、ゴミのりサイクルなどを通じた新しいコミュニティーづくりが必要だ」と提案しました。さらに利子補給金の膨張に伴う公団経営の悪化を指摘し、その改善を要求しました。(会議録


情報公開法 4党提案のまとめで奔走

情報公開法の議員立法を実現しようと、社民連、公明党、民社党、新自由クラブ四党の協議がまとまり、五月十九日衆議院内閣委員会に法案が提出されました。

これには社民連の江田五月議員も積極的な役割を果たしてきました。そして、五月十三日に江田議員を含めた各党の政策委員長、政審会長が会談を行い「公文書公開法案骨子」を承認しました。その後、「外交文書の二十年後公開」問題と「情報公開監視委員会」問題について、法律的なつめを行い、法案作成の作業を進めてきました。

四党で合意に達した「法案」は、「政治・行政の国民への公開は、民主政治の原点である。公開と、それにもとづく自由な批判に耐えうることなくして、民主政治はその活力と自浄作用をもつことができない」という趣旨に基づいています。

公開の対象となる官庁は、“国及び地方公共団体(国・地方公共団体が二分の一以上を出資する公社・公団等を含む)”で、その情報をすべての人が“閲覧・謄写”する権利を明記しています。

さらに同「法案」では、公文書の公開を請求された機関が“原則として二週間以内に、公開の当否を決定し、拒否する場合は、その理由を明示しなくてはならない”ことになっています。

情報公開法の最大の問題である「非公開とすることのできる」情報は次のような範囲に限られます。

(1)国の防衛・外交に関する事項で、公開により国家の安全又は利益を著しく害するもの、(2)行政機関内部の人事事項で、人事行政に著しく支障が生じるもの、(3)行政機関内部の意見交換に関するもので、機関の意思形成を害する場合、(4)個人の思想・職業・財産・経歴等、個人のプライバシーを害するおそれのある場合、(5)企業・団体の利益を著しく害する場合、(6)犯罪捜査、公正な裁判を侵害する場合、(7)他の法律で非公開が定められた場合、のみです。

なお、外交に関する公文書は、二十年後にすべて公開するとされています。

また、情報公開の制度的な保障措置として「公文書公開監視委員全」を設定することになっているほか、公開拒否に対する不服申し立てがあった場合は、六十日以内に行政機関が裁決しなくてはなりません。

そして、情報公開の円滑化をはかるために、各都道府県に「国民情報サービスセンター」の設置もうたっており、法律的にもかなり整備されたものといえます。


中村紘子さんが高々と鯉のぼり  新築披露で江田氏大わらわ

四月十二日、花曇りの空のもと、岡山市は山崎の江田五月新邸において、新築披露パーティーが催されました。

江田五月氏は、言うまでもなく岡山(一区)生まれの岡山育ち。幼稚園から高校まで、友人たちも大勢住んでいる岡山に、今後の政治活動の本拠地を持ちたいと考えていましたが、その念願かなった江田五月氏は、住宅ローンの重みもものかは、お祝いにかけつけた百三十人余の人々に、にこやかに、接待にこれ努めていました。

お祝いの人々も多士済々、遠く山形選出の阿部昭吾衆議院議員、参院全国区の秦豊議員、全県下からかけつけてくれた岡山社民連の仲間、同窓会のメンバー、江田氏自身が幼年時代から今日まで続けている古式泳法神伝流の仲間、労組の代表者、親戚などなど。

中でも、異彩を放っていたのが、世界的ピアニスト中村紘子さん。彼女はたまたま前日、岡山市でピアノリサイタルがあり、かねて友人の江田五月氏のために当日の時間を取ってくれたということ。彼女のご主人庄司薫氏から五月氏に因んで鯉のぼりがお祝いとして贈られ、中村紘子さん自身の手で、薄陽のさす空に高々とあげられ、満場の喝釆をあびました。

片山泰行翠松高校理事長の音頭による監杯でセレモニーは最高潮に。

庭と屋内の各々二ヵ所に用意されたテーブルの上には、新五月邸のまわりに住む婦人たちが前日より集まって作った手造りの料理がならべられ、集まった人々の舌を楽しませました。岡山県二区選出、民社党の衆院議員林保夫氏もいかにも美味しそうに舌鼓を鳴らしていたのが印象的でした。

江田五月邸新築工事を請け負った建築スタッフの面々も、江田氏本人から手書きの感謝状を授与され、日本瓦の大屋根と白壁、黒タイルの敷きつめられた土台という自分たちの作品に改めて満足した様子で、酒も料理も大いにすすんでいたようです。

当の江田氏本人は、ホスト役として、あちらで一分、こちらで三分と気をまわしながらの接待でしたが、ピアニストの中村紘子さんには、ことのほかの気の遣いようで、サインぜめにあう披女を、うれしいやら、心配やらで、はらはらしながら、みつめていました。

宴はいつ果てるともなくつづいていました。


勉強と懇親の一泊旅行太陽博を見学 岡山社民連

三月二十一日、二十二日、岡山社民連では恒例の春の一泊旅行を行いました。

日頃お世話になっている稲荷交通の観光パスを駆っての四国路の旅でしたが、本年の目玉はなんといっても同二十二日から開かれた仁尾町の太陽博の見学でした。

会場の広大な敷地では二基の太陽熱発電所が建設中で、いずれも当初発電量は一千キロワット、巨大な凹面鏡を使ってタワー(三菱方式〉あるいはパイプ(日立方式)に太陽エネルギーを集積するもので、量産に入っていないので一枚四百五十万円もするというミラーが、一基に七百枚以上も使われているということです。

しかし早くもオーストラリアなど外国からの打診が入っているとか。将来は仁尾町の電力はこの発電所でまかなうということです。詳しくは岡山社民連へ!


倉敷社民連で代表者会議  協議会軸に活動本格化へ

三月八日、倉敷市社民連の代表者会議が開かれ、各地域、職場を代表する活動家たち二十五名が参加しました。

会議は、先に行われた市議会議員選挙の総括に始まり、社民連結成以来の活動全般にまで及ぶものでした。

活発な議論のなかでさまざまな意見がだされましたが、なかでも、これまでの活動は、決して十分でなかったという反省点が指摘されました。故江田三郎氏の社会党離党、社市連結成、社民連への発展という歴史的経緯をふり返えるとき、“わが倉敷市こそ党発祥の地”という自負がもてる一方、地域活動を盛りあげるための責任は重いという認識で一致、全員で決意を新たにしました。

討論の後、新しい役員を選出するとともに、新たに五地域、二職場を統合する協議会の設置を決めました。今後、倉敷社民連の活動は、この協議会を中心に行われることになり、財政、組織面でも統合された力を発揮することになりました。専従書記も決まり活動は本格化する運びです。

機関紙については、会員全員がその拡大に努める申し合わせがなされ、戸別手配り体制の確立を確認しました。

会 長
副会長
 〃
 〃
 〃
書記長
 
 金谷光夫
 平松亀次(水島社民連代表)
 緒方憲市(東京製鉄)
 垣本信勝
 井上彰子(倉敷)
 佐古信五
 

しめやかに開眼供養  建部町に故・江田三郎氏の墓碑

五月二十四日、江田家主催による故江田三郎氏の墓碑建立がなり、その開眼供養が、菩堤寺妙福寺(岡山県御津郡建部町福渡)で行われました。

地元をはじめ、全国から百人を超える人々が参列し、開眼供養にひき続き催された「江田三郎を偲ぶ会」では、故人に縁のある人々が客殿に会し、各々の思い出と思いを込めた話が披露されました。

光陰矢の如し、江田三郎氏が逝ってはや四年、しかし故人の提唱した野党間の連合への歩みはまさに牛歩、参会者のことごとくが今さらながらに故人の死を惜しんでいたのも、むべなるかなです。十字架を背負って歩みつづける長子江田五月氏の心中は――。

骨つぼを掘り出すときは小雨模様であった空も皆が寺を去る頃には、うっすらと光がさしていました。

なお墓碑建立は故人の同窓の方々のご芳志によるものです。


地元秘書に橘民義さん

江田五月氏の三人目の地元秘書が決まりました。四月一日からすでに活動中。

現在は岡山市内に在住していますが、瀬戸内海の塩水が産湯代わりという下津井港の産。一男(鉄平くん)一女(夕子ちゃん)の父。新聞による公募に応じた二十名の中から面接と論文試験で選ばれた逸材です。名は体を表すといいますが、民の義に生きる青年です。まことに江田議員の秘書にふさわしい人物です。皆さんどうぞ江田五月氏同様、よろしくお願い致します。

○氏名 橘 民義(たちばな・たみよし)
○昭和26年2月4日生、30歳。
○味野中学・広大附属高校を経て早稲田大学理工学部卒、一年間政経学部にて正式聴講。
○家業(株)たちばなマリンを経て現職に至る。


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