1999/09 五月会だより No.92 ホーム主張目次たより目次前へ次へ

これからが正念場

東ティモール情勢報告

世界中の人々が注目する中で、東ティモールの独立是否を問う住民投票が8月30日行われました。江田五月は、民主党国会議院監視団の一員として現地に行き、住民達の投票を見守りました。

長年の運動実る

民族自決のうねりに抗しポルトガルの植民地のまま残った東ティモールは、1975年やっと独立。しかし、次の瞬間インドネシアが軍事侵攻で占領し、以後今日まで、独立を求める住民に村するインドネシアの徹底的な血なまぐさい弾圧が続いていました。

スハルト大統領退陣で事態が急変し、住民投票が行われることになったものの、二十数年に渡る敵対関係は容易に解消せず二回の延期の後やっと8月30日に投票が行われました。

私は1986年、国連で国際社会の責任を訴え、議員懇談会を作り、民族自決の応援をしてきましたが、いよいよクライマックス。民主党監視団を作り現地に行ってきました

前日の首都ディリは、さすがに緊張、人影が見えません。泊ったホテル(といっても日本なら海水浴場の海の家なみ)も、数日前民兵に襲撃され、コックさんが逃げて食事もなし。

当日は、食べ物はカロリーメイトひとかけら、飲み物は持参の水だけで、国連のトラックが襲われたリキサや避難民のいるハトケシまで行きました。回った十ヵ所の投票所はどこも目を輝かせ登録書を握りしめた住民で溢れ、国連職員の案内で整然と投票が行われていました。投票率は98.6%。住民投票は大成功でした。開票結果は78.5%が独立支持。住民の意志は、はっきり示されました。

20世紀最後の民族自決

それでも武装した民兵の暴走は各地であり、丸腰の国連職員が殺されています。軍と警察は見て見ぬふりです。

それどころか、その後民兵は暴徒化し、事実上の戒厳令が出されても、軍や警察まで加わって、凶暴化しています。インドネシアは、本気で問題を解決する気がないのです。これを放置したのでは、国際社会に正義も信頼もなくなってしまいます。正念場です。

日本は大戦中、3年半ここを占領。戦後もインドネシアに遠慮して民族自決に冷淡。これでは世界から当てにはされません。アジアの平和や安定を言うなら、東ティモール支援から始めなければなりません。まずODA凍結ぐらいやったらどうでしょう。舵を切り換えるときです。私の責任も重大です。


国会報告

通常国会はお盆前まで延長され国家の支配力を強める法律が次々と成立。これは「自自公」連携が進んだからできたことで、秋の内閣改造の不気味さを暗示しています。

私は相変わらず超多忙。国旗・国歌特別委員会の理事で、連日交渉また交渉。市民の危惧や不安を最大限審議の場に乗せるよう頑張りました。

私としては、やはり戦前の歴史の汚点は消えておらず、さまざまな愛国心の示し方を認めないおそれのある法制化は反対でした。そこで慣習のままでいいと主張し、民主党として法制化は「日の丸」だけとする修正案を提出しました。否決されたのは残念。

この過程で大いに踏んばり、国家公務員倫理法を成立させました。高価なプレゼントなどは報告されるというものです。私が理事だったからできたと思っています。

最後は電話や電子メールを盗聴する通信傍受法と国民総背番号でプライバシーを危うくする住民基本台帳法改正で八月十一日から延々三十時間近くのロングラン本会議。私たちは牛歩ではなく、映画「スミス氏都へ行く」のような長時間弁論で勝負しようとしたのです。だから円より子さんは中断を含め三時間、その他の女性議員が次々と演説をしました。

しかし、議長や、与党側は時間制限。そこで私は急遽、議長不信任案の提案に立ち、民主主義は違った意見に対する寛容さが不可欠だと説きました。原稿なしの即興演説は緊張しましたが、感動したとの感想もいただきました。結局は数で敗れました。あとは選挙で民主党を増やしてもらうしかありません。


民主党代表選挙9月25日実施

菅 直人をよろしく

民主党は「市民が主役」の政党、その顔はやはり「菅直人」さんです。たたかれた後だけに、かえって気分一新。市民政治の原点に戻って立候補。

私も、代表世話人を引き受け、全力で支えます。どうぞご支援ください。


自自公VS民主党の衆議院選挙の準備がいよいよ始まりました。民主党岡山県連が公認決定した、それぞれ個性のある有能な候補者です。五月会の皆さんの応援がなければすばらしい結果を出すことはできません。ご協力を是非ともお願いします。


かわだ 英正 予定候補者 衆議院一区

私は、弁護士として、森永砒素ミルク中毒事件、豊田商事被害事件、霊感商法事件、豊島産廃事件などを担当してきました。この経験を生かし、市民が主役の政治を実現するために立候補することを決意しました。江田代表の裁判官から政治家への突然の転身の決意に比べれば、小さな決断ですが、政治を変える礎となるために頑張りますので、よろしくご支援をお願いいたします。

中桐 しんご 予定候補者 衆議院二区

年金・医療・福祉の改革や雇用・失業状況の改善など国民生活の安定を図るために経済再建を最優先で行います。そのために、これまでの「えこひいき型」の政治・行政を打破していきます。

これらの改革を民主党を中軸とする新しい政権に交代することによって実現します。


たるい 良和 予定候補者 衆議院三区

私、樽井良和は、閉塞状態をうち破るべく若さと創造力で新規事業を育成し、新しい雇用と資本の創出システムを作りだし、夢と活気にあふれた社会に向けて積極的に政策を打ち出していきます。また3区は2市7郡と広大で県政でも重要です。あらゆる力を結集し新世紀にはぜひ新人を!

江田五月会国政報告会

昨年7月に皆さんの大変なご支援のおかげで、江田五月は参議院議員として国政に復帰させていただきました。参議院は衆議院よりは時間に余裕があるのではと思っていましたが、昨年秋の金融国会から今年の8月13日に終了した通常国会まで、参議院民主党の要の仕事が相次ぎ、目の回るような忙しさ。その分地元のご報告がおろそかになってしまい、申し訳なく思っています。

このところ倉敷女性の会、岡山市南輝学区五月会、新庄村五月会、美作地区五月会などでやっと国政報告会を開くことができました。10月3日には御津郡五月会で報告会を行います。今後もなるべく多くの地域で国政報告会を開いていきますので宜しくお願いいたします。


美作地区江田五月会

9月11日(土)16時から、津山文化センターで美作地区江田五月会の国政報告会と懇談会が開かれました。昨年の選挙以降なるべく早い時期に五月会を開きたかったのですが、昨年秋の津山市をはじめとする県北の水害や、年が明けてからは中心人物のお一人である神崎さんのご病気とご不幸もあってこの日の開催となりました。国政報告会の出席者は77名。江田議員は、この日は民主党代表選挙の告示日で、菅直人候補の選対責任者(代表世話人)として届出に立ち合う必要もあったのですが、1年ぶりで1ヶ月以上も準備された五月会の方に出席しました。(京子夫人も参加。)

小野陽子さん(事務局長)の司会、額田克海さん(会長)のあいさつの後、江田議員は40分の予定をはるかに超える1時間20分の国政報告に熱弁をふるいました。額田会長からは、昭和58年第一回の衆議院選挙の時とあまり変わらない若々しい演説だったと言われました。熱心な質疑応答もあった後、別室で懇談会(会費2000円、60名参加)。楽しい会になりました。懇談会では衆議院三区の民主党公認候補に決まった、たるい良和さんもあいさつ。出席の皆さんから激励を受けました。美作地区では今後、各郡・町単位でも五月会を開催する予定です。(報告/湯川憲比古)


神崎裕康さんのご冥福をお祈りします。

8月22日早朝、前津山市議(市議8期・議長2回)の神崎裕康さんが脳こうそくのため永眠されました。64歳でした。

神崎さんは江田三郎の秘書から津山市議になられた方です。少年時代の江田五月を東京駅に迎えた神崎秘書は、まだ大学生でした。

当時全国的人気の江田三郎書記長を支え、酒と涙と感謝の短すぎる人生でした。

常に江田五月応援団の中心の一人でもあり、とくに津山・美作地区では応援団長として江田五月を支えていただきました。通夜・葬儀の際は、江田議員は東京からかけつけ、葬儀委員長をつとめ、中尾津山市長とともに弔辞を献げました。


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