1982年 | 第三回全国大会(1983/01/23) |
全国大会にむけて 政治方針
一、八三年度運動方針を二つの「反カク」運動に集約する
a 反角運動
政治倫理問題は、今秋予定の田中元総理に対する検察側の論告求刑を契機として」政界大乱に発展する可能性は依然として大きい。
われわれはそのため臨時国会早期召集を要求し、佐藤議員辞職勧告決議案の処理、議院証言法改正(改正が失敗すれば現行法)によって灰色高官の証人喚問を実現するためねばり強く闘い、最終的には田中論告求刑にターゲットをしぼって政治倫理確立を果たすと同時に、「政治倫理法」議員立法化を成功させるため、リーダーシップを発揮する決意である。
同時に、院外における「反角」運動を、街宣・署名運動を通じ活発に展開してゆきたい。
b 反核・平和運動
反核・軍縮運動は最近急激に加速度を増した右傾化の大きなうねりの中で、一段と重要になってきた。
今回の「教科書問題」は、日本の平和運動に大きな警鐘になったといえる。ともすれば反核運動が被害者意識にだけ流され、かつての「侵略戦争」における加害者としての自責と自省が薄れてゆくとすれば、それは全く平和運動としては失格であり、中国をはじめとするアジア近隣諸国との平和友好関係も根本からゆらぐことになりかねない。
「過ちを再びくりかえさない」という誓いを「日本民族の道義」として国際的に訴えてゆく視点を、社民連は正しく踏まえて、今後の反核・平和運動を推進してゆくことにする。
二、臨時国会およぴ通常国会対策
八三年選挙決戦の前哨戦として、政治倫理、歳入欠陥、景気対策、減税および国民的行政改革を中心として自民党内閣と鋭く対決し、人勧・仲裁裁定問題では制度の主旨を踏まえて対処する。
三、八三年度選挙闘争方針
a 衆・参・地方選挙を一体のものとして闘うため、代表を闘争本部長、書記長を事務局長とする「八三年選挙闘争本部」を設置する。
b 特に参議院全国区の選挙はわれわれの代表の闘いであり、まさに社民連の存亡を賭けた闘いになる。したがって全国区選挙については、衆議院総選挙、地方選挙と整合性のある闘い方を選択する。
C その他は選挙闘争方針参照。
四、われわれの指向する政治勢力結集と政界再編の展望(口頭説明)
外交・防衛政策と南北問題の解決(案)
一、 外交防衛政策
(1) 五十七〜八年にかけて、われわれは日本の安全と防衛についてひとつの、しかし重要な選択に迫られている。
なぜなら、ここ数年の間確実に増大してきた軍事費がついにGNPの一%枠を超えようとしているからであり、加えてヨーロッパにおけるパーシングH型ミサイルと巡航ミサイルの配備と見合って第七艦隊に巡航ミサイル・トマホークが配備されようとしているからである。
(2) ここ数年の軍事費の増大の特長は、国家予算において軍事費が“聖域”となって来ていること、そしてその性格が専守防衛を謳った防衛力の基盤整備から、脅威対抗のための防衛力へと目的を転換して来ていることにある。
(3) われわれは日本の軍事力の現状をもって直ちに軍事大国とは見なさない。しかし、軍事支出の聖域化は軍事大国の歯止めが失われることを意味するものであり、GNP一%枠の突破は軍事大国への道の里程が超えられることを意味する。すでに専守防衛の枠からはみ出しつつあり、世界で第七〜八位の水準に達している日本の軍事力をこれ以上に増強させることを阻止しなければならない。
(4) 本来、われわれは五十七年度予算の軍事突出に反対であり、現状の陸海空三軍の整備はすでに専守防衛の枠を超えているがゆえに、その縮小を求める立場に立つ。われわれが言うところの「現状程度の自衛力」とは現有兵力とりわけ陸上兵力の一定の縮小を要求するものである。「現状程度」と言うがゆえに、年を追って確実に増強されている現状を追認することはできない。
われわれが主張する軍縮とは、まず何よりも米ソ両大国の、とりわけ核軍事力の削減、縮小を意味するものではあるが、しかしそれは日本の軍事力を例外とするものではないはずである。
(5) しかし、今直ちにその削滅に着手することができない以上、まず五十八年度の予算編成において軍事費の支出は五十七年度並みとし、増額すべきでないことを主張する。財政再建が焦眉の急となっている今日、この要求のための国民的合意の成立は十分に可能である。
(6) ここ数年の防衛力増強、防衛分担能力の向上は、自衛隊の戦力を専守防衛力から脅威対抗型の戦力へと変質しつつある。それは、端的に、アメリカの対ソ極東戦略に積極的に加担するもの、とりわけ攻撃型のミサイル原潜を中心に編成、展開する西太平洋全域にわたるアメリカの対ソ核戦略に見合うものとなりつつある。
昨年五月のレーガン・鈴木会談によって合意されたシーレーン防衛論は、この変質を合目的化するための口実に過ぎない。フィリピン以北、グァム以西の海域を日本の防衛責任・海域とするために、海上自衛隊の外洋艦隊化、航空自衛隊の航続距離と攻撃能力の増大が当然のことのようにまかりとおり始めている。
(7) およそ非資源国、貿易立国たる日本のわれわれにとって、シーレーン防衛なるものは成り立ち得ない。地球のすみずみにまで貿易の網の目を広げた日本の航路を防衛することが、およそ軍事的、経済的に不可能なことは誰の目にも明らかである。
かりに、一千カイリの南東、南西の両航路を防衛するとしても、そのために要する経費は莫大なものであり、しかもそのコストは、日本の経済と生活が必要不可欠としているシーレーンの防衛という点から見て、全く児戯に等しい無意味なものでしかない。
(8) それが現実に意味しているものは、攻撃型ミサイル原潜を基軸に展開されるアメリカの対ソ戦略の補完的役割であり、ソ連極東海軍に配属された攻撃型ミサイル原潜に対する哨海、対潜機能そのものであって、専守防衛は空語に等しい。
(9) われわれは前大会において「非武装中立は、平和憲法の精神として不断に追求すべき人類の崇高な目標であり、世界の恒久平和をねがう日本国民の先見的理想である」ことを確認しつつも、同時に、「独立国家固有の自衛権を否定するものではなく」「国民の八割が憲法改正に反対しながらも、現状程度の自衛隊は必要ではないかと漠然と肯定している」ことをふまえて「われわれの自衛隊に対する態度と方針は、まず現状凍結を基点として結成大会で確認した三段階改組構想を今後とも継承するものとする」とした。
そしてその上で、軍事大国化を阻止するための憲法最低限の歯止めとして、(a)非核三原則の堅持、(b)海外派兵の禁止、(c)徴兵令およびこれに類する一切の行動の禁止、(d)武器輸出禁止三原則の堅持、(e)専守防衛の能力と範囲を超える攻撃的専用兵器の不保持、(f)核兵器を含む国際的軍縮の推進、(g)シビリアンコントロールの厳守を挙げた。われわれは前大会のこの方針を今後とも貫くものである。
(10) その場合、(e)に挙げた“専守防衛の能力と範囲”とする歯止めは、憲法第九条の解釈にかかわらず軍事大国化に反対し、平和的な防衛、安全の在りようを求める国民の大多数の合意をいま直ちに求めることができるものである。
当面、それは他のいかなる国に対しても攻撃する能力を持たず、領土、領空、領海の防衛に限定された軍事力である。領域保全のために必要とされる範囲内で、機能的な軽装備のものでなければならない。
(11) ソ連であれ、あるいは中国その他の国であれ、われわれはすべての国との間の核戦争を想定することはできない。それは日本の人びとと国土の壊滅以外の何物でもない。あるいは日本の領域の侵犯、さらに通常型装備と兵力による侵攻に対しては、海空を主力とした機能的な軍事力によって自衛、抵抗の手段を採るとしても、しかしながらわれわれが住み、生活するこの日本は、およそ戦争に対しては最も脆弱であり、平和的環境無くして存続し得ないことを明白に自己認識すべきである。
地球の隅々まで伸び、張りめぐらされた貿易を絶たれて日本の経済は成り立ち得ず、狭い地域に高密度に集積された高度産業構造と過密な都市構造は、およそ近代戦に耐えることはできない。われわれの日本は非軍事国家、平和国家以外の選択が許されないはずである。
(12) したがって、日本の安全にとって軍事力は小さな比重を占めるに過ぎず、日本の安全は、アジアと世界の平和の確保と一体不可欠のものである。ここにわれわれは積極的な平和戦略、すなわち軍縮と南北問題解決のための諸政策を主張するゆえんがある。
(13) 核軍縮のために
米ソを含む核大国の合意による核軍縮協定の締結なしには、核兵器の全面廃棄は実現しえない。われわれは、この究極的課題を目指して外交的努力を強めていくが、それに至る過程で実現可能な部分的核軍縮措置を実現して行かなくてはならない。それには、(a)地下核実験を含む全面的核実験禁止協定の綿結、(b)可能なところから「非核地帯」設置を行い、この非核地域を拡大して行く、(c)核拡散防止条約への加盟国を増やし、核防止条約の実効性をつよめて行く。
この場合、核防止条約批准国への核保有国の核攻撃禁止義務の誓約など抜け穴を防止する手だてが必要である。
また、わが国においては、非核三原則の堅持を内外に鮮明にし、核軍縮へのイニシアティブをとる必要がある。
(14) われわれは以上の政策と要求を日本外交の最優先課題として追求すると同時に、米ソの核戦争準備への加担をきびしく拒否すべきである。
昨年、国論が沸騰した非核三原別についてわれわれはその厳守を強く主張した。米ソの核のカサが全地球を覆っているにせよ、日本が進んでその積極的な加担者となるべきではないこと、むしろ極限を超えて進行する米ソ両国の核軍拡、核戦略に対する抗議と拒否こそ、われわれの国民的悲願であり、責務であることを主張した。
したがって、米国の核武装艦隊、航空機の寄港と発着こそ“持ち込み”拒否の原則に当たらないもの、ないしはその例外であるとして容認することはできない、とも主張した。なぜなら、攻撃型原潜による核ミサイル攻撃を軸に編成された核兵器体系の現状からすれば、日本基地への一時的寄港で十分であり、核兵器の日本国内への搬入と固定は旧式、無用であるからである。
(15) しかるにアメリカは、ヨーロッパとならんで五十九年を目標に、巡航ミサイル・トマホークを搭載した米機動艦隊の極東配備の準備をすすめている。
われわれはこれを断歯として拒否する。そしてこの拒否は党派を超えた国民の多数の意志によって表明されうることを確信するものである。
(16) アフガニスタンへの侵攻、ポーランド民衆抑圧への加担と、ソ連の侵略的、大国的行動に対する非難と抗議は当然のこととはいえ、日本の外交がレーガン戦略の走狗となり軍拡のテンポを加速しつつある現状はきびしく批判され、阻止されなければならない。
われわれは現状をもちろん、近い将来においてソ連の軍事力が米国並びに西側諸国の軍事力を凌駕しているとは到底判断し得ないし、まして日本に対する侵略の脅威が実在するとは考えられない。いわゆる衛星国への公然たる軍事的抑圧と第三世界における紛争と動乱に介入することはあり得るにせよ、ソ連を目して全方位、無限定の侵略国家と見なすことはできない。
むしろ“病める大国”ソ連の病状が対外的オーバー・コミットメント、軍事負担と経済制度、政策の桎梏によってこうじて来ているのがソ連の現実である。日本の安定的な平和は隣国、ソ連との平和的な関係を抜きにはあり得ない。
北方領土問題を交渉の入口から出口に置き換え、シベリア開発その他の経済協力と貿易の拡大によって相互利益、相互依存の関係を拡大し、定着し、コミュニケーションを促進することによって両国間の関係を正常化し、ソ連社会の解放にねばり強く寄与すべきである。
二、南北問題と海外援助の拡大
「軍縮」と「開発」は、世界各国が、共通の課題として追求して行かなくてはならない切実な問題となっている。
今日、全世界の軍事支出総額は、六千億ドル(全世界GNPの六%)に達し、この増加傾向はとどまることをしらない。米ソを先頭にした核軍拡競争と局地的紛争が軍事費の増大に拍車をかけている。このままのすう勢がつづけば、二十一世紀初頭には、世界の軍事費は、一兆ドルを超えることになろう。
軍事のために動員されている軍人、準軍事要員、民間人、軍事生産・研究に従事している人びとの総計は五千万人に達するし、軍事用に浪費されている資源、エネルギーもまた莫大なものである。こうした人類的な損失はいよいよ増える傾向にある。
他方、「宇宙船地球号」を鳥瞰するとき、地球上には、四億五千万人の飢餓人口が存在し、毎年一千七百万人の幼児が死亡している。医療を全く受けられない人が十二億人、文盲は八億人にのぼる。しかも飢餓人口は増大傾向を見せており、このまま放置すれば、一九八〇年代末には「絶対的貧困人口は、八億ないし十億人に達する」(世界銀行)と見られている。
このような地球上における“浪費”と“貧困”のアンバランスは、「軍縮」と「開発」によって解決されなくてはならない。だが、「軍縮と開発」の世論の盛り上がりにもかかわらず、事態は悪化しつつある。
一九七〇年代に、南北間の格差は一層拡大し、二度にわたる石油ショックを経て南の矛盾はより深刻化した。産油国と非産油国の格差は、いわゆる「南南問題」を登場させ、非産油国をより困難な事態に追い込んだ。非産油諸国の累積債務は、四千億ドルに達し、それを解消する糸口さえ見えない。
非産油国の貧困は、人口の爆発的増加、飢餓問題、都市のスラム化をもたらしつつあり、それは一国規模の努力では解決しえなくなっている。この問題は国際的協力による「開発」への着手なしには解決しえないことは明らかである。
南の矛盾は、環境破壊の面からみても深刻な問題を投げかけている。アフリカにおける焼畑農業や過剰放牧は、森林の砂漠化を進行させており(サハラ南部の砂漠は年間三十マイルずつ南下している)、南アジアやアフリカの樹木の乱伐は、熱帯雨林の危機を招いている。この十年間に、地球上では一億一千万ヘクタールの熱帯森林を喪失させ(全森林の六%)、このままの状況がつづけば、二十一世紀までには、森林全体の四〇%が喪失されるだろうと憂慮されている。
今世紀末には、世界の人口は六十二億に達すると想定されているが、その場合、食糧は現在の六〇%増産されなくてはならないと見なされている(国連食糧農業機構=FAO)。森林喪失と砂漠化の進行は、この食糧増産に大きな制約要因となるし、気候の異常化という重大問題も発生させかねない。
こうして、南の抱える諸問題は、長期的には、全人類的問題ないし地球的問題になってこざるを得ない。「宇宙船地球号」的視点から、その克服をはかって行かなくてはならないのである。
わが国の外交のあり方も、こうした大局的展望にたって、いまから本腰を入れてとり組まれなくてはならない。
(1) このために、まず、南への開発援助に本格的にとりかかるべきであり、とりあえず、OECDの目標であるGNPの〇・七%を開発援助にむけることを実現すべきである。現在、わが国の援助額は、GNPのわずか〇・三%程度であるから、とりあえず、その倍増を実現する。
平和憲法をもつ日本が、国防費はGNPの一%に接近しているとき、援助費が〇・三%というのはどうみても不当である。むしろ、防衛費は、一%以下に抑えつつ、これを上回る開発援助を行って、わが国の国際社会への貢献を誇示すべきである。こうした実績に基づいて、世界的軍縮の促進に寄与するのがわが国の基本的外交政策とならなくてはなるまい。
(2)
(a) 国連環境計画(UNEP)を実効あらしめるため、常設の機関を設置し、これに積極的に協力し、砂漠化防止、森林保護、居住改善、水の確保などの諸事業に参画する必要がある。
(b) 国連食糧農業機構(FAO)に、より積極的な協力と支援を行い、地球的規模での飢餓の解消と食糧の確保に尽力する。
(c) 国連国際児童緊急基金(UNICEF)の目標とする「二十一世紀までに、開発途上国の乳児死亡率を千人当り五十人以下に、平均寿命を六十歳以上に、すべての子供を最低四年間学校に通わせる(識学率七〇%)」を達成するために、全面的協力を行う。
(d) 右のような諸事業に必要な政府の支出を拡大し、国連の活動に協力するとともに、そうした国連機関を日本に誘置する。また、これらの活動を担うマンパワーの育成と海外派遣を推進する。
(3) 二十一世紀にむけて人類が「軍縮と開発」を車の両輪のように推進して行かなくてはならないことを、内外に普及する教育、啓蒙活動を強化する。
当面の経済・財政政策(案)
一、景気停滞の現状
第二次石油危機後、先進諸国の経済悪化を尻目に日本経済は世界の優等生といわれた。しかし五十六年からは日本経済も例外的存在でないことがしだいに判明してきた。勤労者の可処分所得の減少、個人消費、民間住宅建設の不振が現れ、個人消費に大きく依存している中小企業の不振がとくに目立った。一方、省エネ、省力化のための大企業の設備投資は依然、堅調で、これがようやく景気を支えていたが、この技術革新投資はそれほど波及効果の大きなものではない。
問題はこれまで内需不足を大きく補ってきた輸出の減退である。強い競争力と思わぬ円安にもかかわらず、五十六年後半から貿易マサツによる輸出規制、世界不況の深刻化で、輸出もまたしだいに停滞局面に入った。五十七年に入っても二月から五月まで連続前年同比マイナスとなり、逆に調整されると思われた在庫は六カ月、連続増加となった。雇用状勢も悪化しており、六月の完全失業率は二・四八%と三十一年ぶりの高水準となっている。
こうして、五十六年度実質成長率五・三%の政府当初見込みは大幅に狂って、一・七%に落ち込み、とりわけ、下半期(十月〜二月)は〇・一%にとどまり、文字通りのゼロ成長となった。これが次に述べる大きな歳入欠陥を生み出したのである。
この景気停滞の原因は大まかに言って、日本経済に、二つのブレーキがかかったためといわれる。一つは主として米国の高金利による円安の長期化と、にもかかわらず輸出が伸びないこと。二つは行革に名を借りた過渡の引き蹄めと実質増税によるデレフ効果である。
そこで公共事業を中心とした財政支出拡大や低金利が期待されたが、肝心な財政の破綻によって内需拡大、景気刺激藁にも制約があり、思うにまかせないのが現状とされている。五十七年度予算における必要以上に引っ込み過ぎた公共投資と、それを一因とする景気停滞による税収入不足が第一だが、そのほかにも政府の無責任が指摘されなければならない。
二、財政欠陥
歳入欠陥は五十六年度二兆八千億(これは補正後の赤字であり、戦後初めて)。おそらく、このまま進むと五十七年度も五兆〜六兆円の税収不足、五十八年度も五〜六兆円か、それ以上の税収不足が見込まれ、三年間で十五兆円ぐらいの財政赤字となる。しかも六十年からは国債償還が始まる。中期的には公的年金の著しい負担増も確実視される。誰が考えても非常にむずかしい局面であることは間違いない。
では、どうしてこのような歳入欠陥が生まれたのか。低成長期に入ったにもかかわらず、高度成長期のほうまんな財政運営をとりつづけてきたためである。五十年代に入ってから、政府は、恒常的に成長率見込みを過大にしてきた。昨年の五・三%成長率が高過ぎることは、民間研究機関はじめ各方面から指摘された。それらは三%を妥当と見たのである。
にもかかわらず、なぜ、政府は成長率を高く見るのか。それは高めの成長率を前提することで、甘い歳入見積もりを行い、予算を組みやすくしようとしたことにある。だから昨年、臨調の第一次答申を受けて、ゼロシーリングのワクをはめたが、それはゼロシーリングではなく、「フンショク予算」に基づいた不十分な歳出カットに過ぎなかったのである。
こうして赤字国債減らしという点からは、数年前に逆もどりしたといってよい。政府の五十九年度赤字国債ゼロというスローガンは、もともとあまり意味のある目標ではなかったが、いまや完全に画餅に帰したのである。
三、決断のとき
要は現在の景気停滞と歳入欠陥の事実を厳格に受けとめ、短期、緊急の財政的手当てと、中・長期的視点からの財政運営の再検討をはかることである。日本経済は現状はともかく、その潜在成長力は四〜五%というのが定説である。この潜在成長力を生かしていく方策を考えることである。
(1) 早急な補正予算を
速やかに臨時国会を召集し、二兆円程度の補正予算を組むべきである。政府の無責任の第一は、国会の会期を大幅に延長しながら、今国会での五十六・七両年に生ずる収入不足の予算的処理を見送ったことである。第二は秋の臨時国会を総裁選挙後にずらそうとしていることである。
そうすると、補正予算の国会提出は十二月にずれ込み、これでは公共投資の追加分が需要効果を現すのは来年春となり、景気失速防止にはとても間に合わない。いまは時間が大切なときである。時間の空費と政策の手順前後が招く責任は重大である。
(公共投資は本来、都市の再開発や、安全・快適な環境の創設、国民生活の質の向上に向けられるべきだが、暫定案としてはできるところ――とくに土地の入手可能が条件――から始めるほかない。火事場には火事場の対応が必要であり、そのかわり、中・長期的にチャンとすればよい。)
つけ加えて言えば、渡辺蔵相は税収不足の理由としてしばしば「予算以上に物価が落ち着いたため」と語っている。たしかに物価が予想以上に鎮静すれば税収は減る。だが、そのことは一方では、政府予算にも削れる余地が出ることを意味する。したがって、今回提出されるべき補正予算案では、景気への影響の少ない経常的支出を中心に減裾補正を織り込むべきである。
なお中小企業向け政策金利の引き下げ策、中小企業向けの政策メニューが早急に必要である。
(2) 国債インフレへの警戒
政府は五十八年度予算で、赤字穴埋めの一方策として、税外収入をふやすことを考えている。補助貨幣準備金の取り崩しで一兆二千億円、国債準備金一兆円、外為積立金三兆円等である。
だがこれらの金は、現在、資金運用部に予託され、運用部はそれらを現金で遊ばしているわけではなく、各種国債の引き受けを行っている。それを返却するとすれば、当然、自ら保有する国債を売却して資金をつくることになる。その場合、市中公募で消化すればよいが、それは国債相場を圧迫するので、勢い、日銀引き受けとなる。これは日銀による国債引き受けと実質的には同じであり、インフレ・マネーの流出はさけられない。
したがって、われわれは運用部の債券売却はあくまで市中公募入札の原則を貫くべきことを主張する。
なお、民間赤字会社の再建でも、積立金などの内部留保を取り崩して一赤字償却にあてることはあり得る。しかし、それは的確な再建計画ができたうえで許されることである。政府が明確な財政再建計画もなく政府内部の積み立てを崩すのは財政再建に逆行するといわねばならない。
(3) 五十八年度予算編成
五十八年度予算編成に当たっては、高めの成長率の見積もりの連鎖をたち切り、一層の歳出カット、マイナスシーリング(とくに経常的支出の)を行うべきである。
また防衛費の増額はストップすべきである。不要、不急の経費削減、臨調答申の精神に基づく三K赤字解消の着手等、あるいは新幹線、高速道路等の経費は優先度を検討すべきである。
現在、景気回復のため発動しうる財政上の手段は公共投資の増加(五十七年度は引っ込みすぎ)と一〜二兆円の所得減税である。だが歳入欠陥と所得減税の全額を歳出力ットで補うことは誰が考えても不可能である。
現実には赤字国債の増発はさけられない。その場合、六十年度から始まる赤字国債償還以前に赤字国債の発行をなくしたいと政府は説明してきたが、それは不可能ばかりでなく、既存の赤字国債を一挙に現金償還しなければならない。経済的必然性はない。金融市場への影響から言えば、むしろ赤字国債も借り替えをした方が自然である。
四、行政改革と財政再建
行政改革と財政再建はむろん密接な関係はあるが、「行政改革」と「マクロの経済運営」は切り離して考えるべきである。行政改革はむだをなくすことであり、いつでも必要なことである。また中・長期的観点から資源配分の効率と分配おょび負担の公正を計画的に実行してゆくことである。このことをマクロ経済の整合性を保つために財政に課せられた機能とはおのずから異なったものである。
重要なことは、「経済あっての財政であり、財政あっての経済ではない」という認識である。早い話が、赤字国債を減らすのは景気がどうなるかに大きくかかっている。景気が上向いて大きな自然増収が生まれれば、赤字国債の減額は簡単にできる。
われわれのスローガンは「行革は徹底的に、財政再建は弾力的に」でなければならない。ところが現実は逆に、行政改革は不徹底で、財政再建は硬直化している。ここに根本の問題がある。
行政改革については、すでに臨調の第二次答申が出ており、これに対する社民連の方針も決まっている。
五、中期経済計画を見直せ
政府はこの秋にも、すでに現実離れした「財政の中期展望」を放棄し、新しい中期目標を定めるべきである。設備投資がいま一つ盛り上がらないのも、また国際相場が暴落しているのも、財政の将来の見通しが不透明なところに大きな原因がある。中期展望を立てるに当たって注意すべきは、財政再建をあまりに狭い視野で考えすぎることによって、経済の安定を損い、かえって財政の基盤そのものを弱める点である。詳述はさけるが、さしあたり、
(1) 過去のマイナスの遺産というべき財政赤字の解消に関しては、経済情勢の推移をみながら、ある程度まで、弾力的、機動的な対応をはかりながら、やや長期の展望で解決してゆく。
(2) 所得税の減税を実施するとともに公正な新税を導入する。
(3) 行政の革新を断行する。行政改革の徹底なくしては、租税や社会保険税の負担の増額も、それが必要とされる場合に訴えることもできない。
(4) 政治に対する信頼を確立することである。
日本の経済、社会、外交のあり方に強大なリーダーシップが要求されているとき、現政府はそれにもっともふさわしくない「何もしない内閣」である。それだけでなく、右傾化や重大な収賄事件の容認など、政権交替の可能性が少ないときだけに国民の不信は一層高まっている。こうした国民の政治不信の中では、その経済運営や財政再建への国民の信頼も得られない。
六、所得税の減税
政府は「増税なき財政再建」といいながら、実際には課税最低限を五年間も押えることによって所得税の自然的増税を進行させている。このような増税のやり方はいくつかの問題を含んでいる。
(1) なしくずし増税による財源を入手することによって、行政改革をあいまいなものにする。
(2) 低所得層の税負担を高めるだけでなく、いわゆる「クロヨン」にみられる税の水平的公平を一層損う。
(3) 可処分所得の伸びが低くなり、消費停滞の一因となっている。
(付 記)
もう一つの問題は、財政運営のいかなるケースをとるとしても将来の大型間接税の導入を約束しなければならないということである。現在の日本の租税構造は欧米主要国に比較して、直接税の比率がとくに高い。これは源泉徴収納税者と申告納税者のあいだに大きな不公平を生んでいる。
他方、間接税はとくに大衆的消費の対象となる必要品、食品等を課税対象外とすれば、逆進性の要素は大幅に低下させ、「クロヨン」的税の水平な不公平をなくすのに役立つ。間接税が物価上昇をもたらすといわれるが、それは導入されるときの一回かぎりの効果であって、定着した一定税率の間接税は物価水準の変化に対して中立的である。
また間接税は所得税よりも税収の所得弾力性が低いから、歳入欠陥の防止にも役立つ。もちろん、これら租税体系の見直しの過程で、その前提として、徹底した行革、所得税の減税、不公平税制を是正すべきことはいうまでもない。
さらにわれわれはこの新税が実施される場合には、後述する「分権化」の立場から地方税として導入することを主張する。
なお、導入する間接税を「福祉税」とする案もある。二十一世紀に向けて、医療、年金の増額はさけがたい。そのためにこの新税を当てる。
したがって新しい間接税は初めは低い税率からスタートさせ、医療費や年金に要する費用が増加するにしたがって、税率を引きさげていく方法をとる。この案には「福祉税」にでもしない限り、兆単位の税収の入る大型新税の導入を国民は受け入れまいとの考え方に立っている。
来るべき選挙をいかにたたかうか
政治再編の動きはジグザグをたどっているが底流は確実に熟しつつあり、そのためにこそわれわれは力を蓄積し、組織をひろげ、同志結集を強め、選挙戦で勝たなければならない。
一、「差し迫る八三年政治決戦の様相とわれわれの決意
自社両党なれあいによって参院選全国区制政党名投票、拘束名簿式比例代表制に公選法改悪が強行された。このなれあいのなかで議院証言法、灰色高宮の証人喚問、政治倫理確立という国民のきびしい批判に対しては完全に食い逃げされ、歳入欠陥財政赤字、深刻な不況に対して有効な手立ては何一つ実現することはできなかった。
このような見るに耐えない状況は、自社なれあい、なかでも野党第一党社会党の混迷と無気力と無責任さに最大の根源がある。
自社なれあい全国区制改悪強行は、野党間の選挙協力を決定的に不可能にし、地方区においては一名区二六、二名区一五の五六議席をはじめから自民独占に道をあけるような状況を作りだしている。
われわれの確信は、わが国民の高い政治意識水準であり、その上に立って、今度の自社なれあい全国区改悪と彼らの党利党略を断じて許さない。良識の府としての参議院改革にむかって、衆議院が政党政治であり、参議院は政党政治の行き過ぎや幣害を、政党を超えた国民的な大きな立場から正すという本来の使命を踏みにじって、参議院を完全に衆議院のカーボンコピー化するというやり方を絶対に許してはならない。
われわれは、自民党一党支配を終わらせるため「社会民主主義勢力の結集を紬に、改革的保守との大担な提携」をすすめ、転換と連合の新しい進路を切り開くことを戦略課題として全力をあげてきた。
八三年政治決戦の位置づけを依然としてロッキード裁判、政治倫理確立問題を柱に、深刻な景気停滞と貿易摩擦、財政の行き詰まりと行革、高齢化社会への突入と福祉問題、いわば積年の自民党一党政治のもろもろの矛盾、そして野党第一党社会党の無気力無責任はもちろんのこと、政治全体の問い直しという立場から展開される果敢な一戦にしなければならない。
二、情勢と経過
われわれは、戦略的課題をふまえながら、護憲、軍縮、分権、福祉、そして政界浄化の旗じるしをかかげて新自由クラブとの院内会派、ダブル選挙直後に参院新政クラブ、昨年九月には衆院に新自由クラブ・民主連合を発足させ、今年一月に公民両党との合同国会対策協議会を設置した。
われわれは、この経過のなかから四党(社民連・公明・民社・新自ク)の選挙協力、合同選対に発展させながら、先般の社会党大会がどのように展開するかに注目し、新しい局面をつくることをめざしてきた。
しかしながら現状は、全国区改悪問題によって野党間の亀裂は大きくなり、社会党に対する中道四党の不信は決定的である。特に、前回ダブル選挙で社公、公民ブリッジ政権構想の主役となった公明党は、「まさに、また裂きにあった」という打撃を受けたという経過と、四党間の再編戦術面での若干の相違なども加わり、八三年政治決戦においては公明党独自の闘いをもって局面を打開する決意を固めるに至っている。
社会党の混迷はいかんともなしがたい状況にあるが一方、自民党内部には今秋の鈴木再選をめぐって、田中軍団支配の状況からの脱却、景気、財政、行革、貿易、軍拡など政策問題とからんで激動の要素をもっている。
われわれはこのようななかで、転換と連合、政治再建の戦略に立って、「当面なしうることを全て実行し、そのために、次の段階、将来においてなさねばならない道をこわさせぬようあらゆる努力」をしなければならない。すなわち「直ちに、手を組むことのできる人たちとは全力で連合し、将来協力しなければならない人たちとは徹底的に信頼関係をつくり理解につとめる」ことが基本である。
三、各党の八三年政治決戦に対する戦略(口頭説明)
地方選挙は政党の土台であり、統一地方選のなかで市区町村議選は全政党の競争競演の場であり、われわれ独白の力、自らの力をもって全てを燃‥焼させ勝利しなければならない。
四、統一地方選対策
A 市町村と政令指定都市の議会議員選挙は、基本的に四党といい、社会党といい、それぞれ候補者を擁立しての総力戦になるという前提をふまえ、われわれもまた、自らの全ての力をふりしぼって闘いとらねばならない。この場合に選対の進め方は、
(1) 既成政党と異なる独自の特色をいかに鮮明にするか創意すること。
(2) われわれが協力関係を持ち得る一切の関係を動員すること(例えば、座間市議選での生活クラブや商業労連、カンボジア救援センター、居住区用地住民に対しての徹底的な働きかけのように)。
(3) 候補者発掘には特に留意すること(例えば、静岡県富士市議選に予定する保科春子さんの場合は、草の根市民の会という市民グループの活動の中心で大きな雰囲気がでているといったように)。
(4) 選対行動力をダイナミックに発揮できるよう留意し、特に候補者がその居住地区において支持支援を得られるようつとめること。
B 道府県議選と指定都市議員選は、統一地方選の第一ラウンドであり、この道府県議選挙については、特に四党間等において選挙協力を行うことのできるところも考えられるが、市町村議選における(1)〜(4)の基本をふまえつつ、他党派や大衆団体との選挙協力について積極的に働きかけることが大切である(例えば、山形においては、われわれの四現役県議と公・民各一現役県議を中心に四党協力による二ケタ議席をめざす段取りをすすめている)。
他党との選挙協力については、現地において働きかけ推進することはもちろんであるが、中央においてテコ入れを要するところは特に連携を緊密にすることが大切である。
C 統一地方選における首長選については、われわれの基本戦略をふまえ、大ワクの上に立って積極的に政策協定等を蹄結し、特に並行してたたかわれるわれわれの当該議員選と関連させて取り組むこととする。
D 統一地方選における公認、推せん、支持候補選任の基準と考え方(口頭説明)。
五、参院選対策について(口頭説明)
六、総選挙対策について(口頭説明)
以上の大ワクの観点に立って、統一地方選、参院選、総選挙戦を立体的に組み立てながら、局面を大きく転換させるために中央と地方および各選対との連携活動を緊密にすすめていく。
(1) 政党と政治運動にとっては選挙戦において勝利することが土台であり、徹底した闘いが全ての根本である。連合協力の場合も、自らが相手側から信頼と理解を得られるだけの体制(組織、宣伝能力、財政など)と努力(人間としての魅力や誠実さ、運動の発展性、可能性など)が必要である(例えば、社民連機関紙などを相手側に購読してもらうことなどは大きな意味をもっている)。
(2) 選挙体制をすすめるなかでの新しい若い人材発掘が大切であり、既成政党と異なるやり方が重要である。
(3) 選挙協力や選対行動(集票の機能、選対組織づくりと運営、選対財政や宣伝力の問題など) の多様な情況を自ら切りひらくため緊急な研修、訓練、討論を行い、行動のなかから勝利の道を切りひらく。これがわれわれの政治決戦のたたかい方である。
地方自治体政策(案)
一、「行政情報を公開し、市民の政治参加を!
− 情報公開条例の制定 −
行政情報を積極的に公開し、市民の政治参加を保証することは、いまや近代国家のすう勢である。
政府が情報公開法制定に踏み切らないため、これに先がけて地方での条例制定が始められている。
山形県金山町では、すでに情報公開条例を制定して行政情報を市民に公開している。また、神奈川県、埼玉県、東京都もそれぞれ条例制定の準備を進めている。
岐阜社民連は、情報公開条例の制定を要求する直接請求の運動を成功させ、市議会はこの問題を議論し始めている。
(a)われわれは各自治体が「情報公開条例」をつくることを要求する。
(1)公開の対象となる行政情報は、個人のプライバシーと法律によって公開を禁じられたもの以外、すべての情報である。
(2)機関委任事務らまた公開の対象となるのは当然である。
(3)情報公開を拒否された場合の救済機関は第三者構成とし、救済の決定権をもたせる。
(b)市民に行政情報を親切に紹介、広報するために「情報サービス・センター」を自治体に設置し、わかりやすい情報を提供する機会をふやす。
二、環境を守り、市民生活にアメニティ(快適性)を!
環境を守り、快適な市民生活をつくりあげるには、次の二つの側面からの自治体政策がなくてはならない。第一に、環境破壊を防止することであり、消極的環境政策である。
(1)資源リサイクルを推し進め、資源ゴミを回収し、ゴミの最終処理量を減らし、環境破壊を防止する。このため、空カンなどのデポジット制を採用させる。また、市民の生活パターンを変え、資源リサイクルの市民運動を創りだす。
(2)「合成洗剤追放条例」を制定させ、湖沼や、河川の汚染を防止する。すでに滋賀県や安孫子市は条例をつくって水を守る先進的行政を始めている。
こうした行政を各地で採択させるよう運動を進める。この場合、われわれの要求は、有リン合成洗剤だけでなく、無リン洗剤も追放の対象とする。
第二の環境を守る政策は、積極的に豊かな環境をつくりあげて行くことである。
(1)「緑の条例」をつくり、「鎮守の森」や古木を守ることを義務づける。
(2)河川堤や道路に植樹を行い、緑の拡大をはかる。
(3)各自治体は都市に人工の森をつくる長期計画を必ず策定させる。
(4)海岸線を保存し、豊かな自然を守って快適な市民生活を確保する。
三、ソフト型の地域福祉目指して
「福祉社会」の実現は、自治体の基本的目標の一つである。なんでも中央政府が管理してしまう社会ではなく、分権と市民参加を柱とする新しい福祉社会の創造こそいま求められている社会のあり方である。
高度成長の時代が終わり、高齢化社会へ接近するにつれて、これからは、福祉と医療を中心にした福祉率の高いコミュニティの建設が要請されている。
(1)地域医療拡充を都市設計の柱に
国民疾病構造が成人病型になるにつれ、治療中心の医療から、保健・予防・リハビリテーションを含む地域医療のシステムがいよいよ重要となってくる。地方自治体こそこのシステムをつくりあげる主体とならなくてはならない。
このため、ハードウェアでは、公的病院の拡充、病院、診療所、保健所の機能分化と協力関係の再編成を急がなくてはならない。
ソフトウェア面では、医師、医療スタッフ、ボランティアの再配置を行い、市民参加を促進するため、「調整機関」を設置する必要がある。
自治体における企画・調整能力を高め、市民参加の下に、新しいコミュニティづくりを行う。
(2)地域福祉(コミュニティ・ケア)の創造
これまでの「施設型福祉」や「収容型福祉」を改め、健常者とハンディキャップをもつ者が共に助け合って生活する「ノーマライゼイション」(正常化)を目指さなくてはならない。
老人は老人ホームヘ、障害者は施設へ、障害児は特殊学級や養護学校へと「隔離」「収容」するのではなく、施設をコミュニティの中に移し、健常者と共に生活するようにする。
このようなコミュニティ・ケアを進めるために、在宅ケア、デーケア・センター(通所サービス)の拡充と福祉・医療サービスを体系的に整理する。
ケア、ヘルプ、訓練、リハビリテーションが総合的に行われるよう専門スタッフ、理療士、医師、看護婦、ケースワーカー、ホームヘルパーを有効に配置し、多数のボランティアがこれを支えるようなシステムをつくりあげる。こうした人間中心の都市への改善と再編は、地方自治体のこれからの最も重要な課題の一つである。
四、教育の分権化と市民自治
(1)教育行政の国家統制を排し、その分権化を推し進めるために、教育委員の任命制を止め、公選制を目指す。その過渡的措置として、とりあえず、教育委員の準公選を実現する。
(2)市民参加による社会教育の拡充をはかる。
例えば、市民が自主的に企画・参加する市民大学を各自治体につくらせ、“市民のための、市民大学”を創造する。
(3)公的図書館の日曜・祭日開館を実現し、市民に読書・研究の便宜を提供する。
この場合、地方公務員とボランティア市民が協力して行う図書館の“協力管理方式”を追求する。
五、市民参加によるコミュニティづくり
古い町内会による冠婚葬祭、スポーツの管理などは、“自治会”とは名ばかりでボス政治支配の道具となっている。これらの自治会の内部改革をはかることは当然であるが、同時に、次のような市民参加型の改革をはかって行くべきである。
市民の自主的な努力でコミュニティ・ペーパーをつくり、行政・社会・文化的情報を市民の手に届け、市民参加を保証して行く。
地域にある福祉・医療の機関とその活動状況、ボランティア組織の分布、文化施設やスポーツ施設に関する情報などを市民に積極的に知らせることは、市民への便宜提供となるだけではなく、自分の属するコミュニティへの参加の関心を高めて行く前提条件である。