1983年4月 ’83統一地方選挙 |
’83統一地方選挙 統一地方選挙政策スローガン
(2つのスローガン)
市民の活力を地方政治に!
汗を出し、知恵を出し、市民と共に!
(3つの主張)
(1) 地方政治を清潔なものにしよう
(2) 分権・参加・公開の自治体をつくろう
(3) 平和・軍縮を地方からすすめよう
(7つの基本政策)
(1) 政治倫理条例を制定し、汚職首長・議員はやめさせよう
(2) 非核・都市宣言を行い、軍縮と平和を
(3) 中央の権限・財源を大幅に自治体に移譲しよう
(4) 情報公開とオンブズマンで「参加型行政」を
(5) 「環境アセスメント条例」や「緑の条例」で、きれいな環境を守ろう。
(6) 「収容型福祉」を改め、市民の創意と工夫による「地域福祉」をつくろう
(7) 選別教育の解消と非行化防止のため、知識偏重と偏差値による格付けをやめて、個性と情操を重視した全人教育へ
各地で善戦
八三年政治決戦の行方を占うものとして各政党がシノギを削った道府県議会・政令指定都市議会選挙は十日投票が行われたが、同選挙で社民連候補者は各地で善戦、二ケタ当選(無所属候補も含む)を実現して前途に明るい展望をもたらした。
特に現戦の全県会議員が再選を果たし、また江田五月副代表と楢崎弥之助書記長の地元で新人候補が当選し、総選挙に向かって弾みをつけることができた。
今回の選挙で社民連は、十三道府県で計二十二人の公認および推薦候補を立て、田英夫代表を先頭に全国会議員が一丸となって闘ってきた。この結果、阿部昭吾副書記長の地元・山形ではいずれも現職の守谷吉男候補(東田川郡)と和田広弥候補(鶴岡市・西田川郡)がトップ当選、また佐藤絹一郎候補(飽海郡)と関口修候補(酒田市)が第二位で当選し、圧倒的強さを誇った。
さらに江田副代表秘書の佐古信五候補(倉敷市)は、前回二票差で敗北した無念さを晴らすために政治生命をかけての闘いを挑み、票数を約四五%伸ばして見事に初栄冠に輝いた。
楢崎書記長のお膝元の福岡市では、山田俊作候補(早良区)が、周到な準備をした上で市議選に挑み、初めて議席を得た。一方愛知県では川島実候補(名古屋市瑞穂区)、岐阜県では杉本武夫候補(岐阜市)がそれぞれ現職の強みを発揮、議席を死守した。
加えて社民連推薦の無所属候補である坂下たかし氏(北海道宗谷管内)が自民党現職を破りカムバックを果たし、岩見豊氏(大阪市西淀川区)が大阪府会で引き続き議席を占めることとなった。
二十二人の立候補者中十人が当選を果たすことができたが、一方では六人の次点を出すなど、いま一歩の準備不足で敗退した選挙区もあった。特に横浜市議への返り咲きを図った桜井康信候補(戸塚区)は、新自クの推薦を得て四二%増の票の上積みを果たしたが、僅か百六票の差で共産党現職に敗北した。
また社民連・民社・新自クの三党連合を全国に先騒けて結成し注目を浴びた京都では、東山区と山科区で前回に比べ七倍前後の票の増加を実現するなど、驚異的な党勢拡大に成功したものの、現職の壁は厚く、当選には至らなかった。
新自クの山口幹事長、森田参議院議員の全面的支授を得て埼玉県会に初挑戦した粕谷喜代治候補(所沢市)は、出遅れをカバーできないままに終わった。
前回の市全域の選挙から分区しての聞いとなった広島県の栗原豊候補(広島市東区)は、民社・同盟・新自クの推薦を得て善戦したが、保守系無所属の“金権”候補の猛烈な運動のアオリを受け、遂に議席には手が届かなかった。
滋賀県の瀬津一男候補(大津市・滋賀郡)は約四九%増の票を獲得した。
札幌市西区から道議選に立候補した菊地光治候補、山形県長井市から県会へ立候補した目黒栄樹候補らは、組織力が他党に比べ弱く、今後の課題を残す結果となった。
総括的にいえば、常時後援会活動等で実績のある候補は着実に票を伸ばし、当選を果たしているが、選挙本番前の共闘だけでは当選することは極めて難しい。この非常に簡単、明瞭なことを改めて想起させる結果となった。
声明 統一地方選の結果について
一、知事選のうち、二つの焦点であった北海道、福岡県知事選で、自民党の推す候補がいずれもせり負けたことは、中曽根内閣の軍拡路線・政治倫理の不透明さへの国民の鋭い批判である。
一、社民連はこの結果をふまえ、野党が一致して中曽根首相にたいし、小異をすて、大同について不信任案をつきつけ、その政治責任を追及し、辞職に追い込む好機と考える。その際、一部野党にある衆参同時選挙回避の姿勢はとるべきでない。
一、この政局をふまえ、飛鳥田社会党委員長、田川新自由クラブ代表がそれぞれ提唱している不信任案提出問題、田中元首相辞職勧告決議案問題で、野党党首会談をただちに開くべきことを提唱する。
一、道府県議選、政令指定都市選では、社民連は現有六議席をほぼ倍増して、公認・推薦で二ケタの当選を果たすことができ、大きな前進勝利となった。この党勢伸長を基礎として、六月の参院選、そして予想される衆院選をも攻勢的な取り組みを進めていく決意である。一九八三年四月十一日
社会民主連合
1983年 |