1985

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第四回全国大会(岡山、1985/02/09〜10)
再生・前進の新体制確立

 社会民主連合の“再生”をかけた第四回全国大会は、二月九、十日の両日、故江田三郎の眠る岡山県御津郡建部町の中央教育センター「友愛の丘」で行われた。大会には全国二四都道府県から八七名の代表者、本部役員、オブザーバー計約百五〇余名が出席。

 第一日めは正午に開会。議長団に寺田明生岡山市議と大関幸蔵東京社民連副代表を選出して、田英夫氏が代表挨拶、議事に入った。

 議事のなかでは、先ず阿部昭吾書記長代行の「活動報告」「活動方針」の提案に対して岐阜、埼玉、東京、静岡、山形、茨城などから、連合問題、前回参院選の取り組み、党運営の問題などで活発な意見と再生・前進へ向けての決意が表明され、両案を採択した。

 第二日めは午前九時から再開。地方組織における活動報告、経験交流などの意見交換の後、代表に江田五月氏、常任顧問に田氏など新役員を選出、満場一致「大会宣言」を採択した。

 最後に江田新代表の挨拶、大柴滋夫顧問の閉会の辞、田新常任顧問の音頭で「ガンバロー」を三唱して、閉会した。このあと、妙福寺に集まり、江田三郎の墓参、偲ぶ集いが行われて午後三時頃散会した。



  代表挨拶    田 英夫

 全国から参集された社民連の仲間のみなさん、遠い所を御苦労さまです。

 今回われわれの第四回大会を、社民連の生みの親である故江田三郎さんのお墓のかたわらで開くことにいたしました。それは江田さんに社民連の再生と前進を誓うためでもあります。同時にお互いに社民連結成の原点に戻り、決意を新たにし、力を合わせて再生のスタートを切ろうということでもあります。

 われわれ社会民主連合は、率直にいっていま存亡のがけっぷちに立っています。このような状態に陥った最大の原因は、代表である私の力の不足、指導力、決断力の不足にあったと仲間の皆さんに心からお詫びを申し上げます。

 しかしいまわれわれは過去を振り返っていることすら許されません。私たちをめぐる情勢は激しく変化しています。いまこそ、みんなで力を合わせ、若干の意志の相違や、過去のいきさつを乗り超えて、前進しなければならないと思います。

 しかも、私たちを取りまく世界の情勢、日本の政治の状況、多くの市民の心情は、明らかにわれわれがかねて予見した通りの方向に向かいつつあります。いまこそ政治は社民連を必要としていると思います。

 まず世界の情勢は、中国の急激な変化に象徴されるように、資本主義か社会主義かという二者択一のイデオロギー時代から明らかに、別の新しい時代に入ってきました。もちろん米ソ両超大国が、それぞれのイデオロギーを背景に、核兵器を中心とした軍拡戦争を激化させ、鋭く対立している状況は、一見相も変わらぬイデオロギー対立、東西対立を思わせています。

 しかしその一方のアメリカでは、市民たちの草の根反核運動がますます大きく拡がりつつあり、それは西ヨーロッパでも同様です。その市民たちの力は、いまや政治を動かすまでに強くなりつつあります。東ヨーロッパでさえ、市民たちの自由を求める声はジワジワと地の下で浸透しているようです。

 最近の中国の動向には目を見張るものがあります。中国共産党の理論誌『紅旗』の最近号においては「中国が現在進めている社会主義建設の方法は、マルクスの著書にある社会主義理論に照らすと、マルクス主義でない面もある。だがマルクスの著書の理論に合わないからといって社会主義の道を踏みはずしたとはいえない」と書いています。さらに「マルクスは社会主義社会にも商品経済が存在しうるとは考えもしなかったのである」とも述べています。

 いまや世界的に古いイデオロギーを乗り超えて、新しい人間社会のより良いあり方を求める動きが湧き上がっているといえるでしょう。

 そして同時に核戦争の危険を察知した市民の側から、国の違いやイデオロギーの違いを超えて、平和を求める声が湧き上がっています。世界は社民連が求め、主張してきた方向へ動き出しています。

 一方、日本国内の状況はどうでしょうか。日本もまた当然のことながら世界と全く同じ方向に動きつつあります。

 「連合の時代」の到来も、決して偶然のことではありません。イデオロギー対立を背景とした自民、社会の五五年体制が崩れ、保守革新の対立から、市民のニーズを基礎とした政治へと移行しつつある中で、当然各政党間の政策の接近が現れてきました。

 政治の基礎が、資太主義対社会主義というイデオロギー対立から「市民」という一つのものになってくれば、政策の違いが少なくなるのは当たり前のことではないでしょうか。

 「連合の時代」とは、こうした基礎の上に生まれてきたのだとおもいます。政策におおきな違いが無くなれば、いくつかの政党が連合して、より大きな力を持って「市民」の願いが実現できる政権を作る。これは理想的な連合といえるでしょう。

 もちろん現在はまだそこまではいっていません。自民、社会両党の中には、まだまだ古いイデオロギーにとらわれ五五年体制から脱却できず、保革の対立のみを考えている人たちも多くいます。それはレーガンとチェルネンコの政治姿勢と同じでしょう。

 そんな中で昨年秋の自民党総裁選挙にまつわる、いわゆる「二階堂擁立劇」をどう考えたらいいでしょうか。これをただ「野党の堕落」という言葉で片づけていいでしょうか。あれはあまりにも唐突であり、無理があったと思います。

 しかし「連合は社会党を中心とした野党連合でなければならない」という論は、社会党の現状をよく知る者からすれば、まだ現実味の乏しいものといわざるをえません。

 それよりも、諸悪の根源とさえいえる長期にわたる自民党の一党支配体制を突き崩すことの緊急性を考えるならば、あのような事態が起こったのも当然といえるかもしれません。

 しかも、もうひとつ見逃せないのは、最近の自民党内の動き、とくに田中派内の新旧のキシミでしょう。自民党内には派閥横断的に新旧のキレツが目立ちます。旧指導層といわゆるニューリーダーの対立です。同時に同一派閥内でも同様の新旧世代間の対立が表面化しています。この縦、横のキレツを政治改革を目ざす立場から見逃してはならないでしょう。

 いずれにしても、そうした変革を押し進める基本は、選挙で自民党をして過半数を割らせるということです。そのためには野党間の選挙協力が絶対に必要であります。また労働組合をはじめとする支持組織の政党系列を超えた協力が大切でしょう。幸いにして、最近労働組合の間で労働戦線統一の動きと並行して支持政党のワクを超えて支援を送る動きが起こっています。このことは全民労協の強化と連動して好ましい方向であります。

 さらにわれわれを勇気づけるのは、最近の「市民」の動きです。日本でも平和を求め核兵器の廃絶を願う草の根の市民の運動は、地味ながらも着実に根を張っています。

 私は昨年二月の全国代表者会議で、日本の「非核国家宣言」を提唱しました。いまここで重ねて詳しく述べることはひかえますが、あの提言に対し、アメリカ、ソ連、中国などから予想以上の反応があったことをご報告します。

 そして日本の市民の間では、いま「非核宣言の家」という運動が北海道の小さな町から全国へと拡がっています。これはいまや四百に達しようとする地方自治体の「非核宣言」とともに誠に嬉しい動きです。

 昨年秋の神奈川県逗子市の市長選挙の結果もまた目を見はるものでした。「市民の政治」は着実に伸びています。

 このような状況を見るとき、われわれ社会民主連合の役割は、ますます重ささえ加えてきたと思います。

 いまこそわれわれは、私たち自身の政治姿勢の正しさを信じ、いたずらに他に頼ることなくわれわれ自身が力を合わせて、日本の政治改革のために力強く「再生・前進」のスタートを切ろうではありませんか。


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