2012年法政大学大学院政治学講義 ホーム講義録目次前へ次へ

2012年11月9日 第 7 回講義「二院制の意義と問題」          講師   江田五月

 

原子力規制委員会委員長人事ですが、候補の田中さんは放射線の人体に影響とか放射線の有効利用などの専門家です。私はいろんな情報を総合し、同意できると思っていますが、どうもそうではない人も民主党の中にいる。今の政治状況でどういう行動にでるかわからず、随分大勢の皆さんが政策の不一致を理由に党を飛び出しました。理由は、本当はそれを言い訳にしてが、むしろ正しいじゃないかと気がします。それがこれから先起きたら、たまったものじゃないというので、緊急事態宣言を通知した。このへんが見透かされていて、さあどうなのかなと。党議拘束をどの程度強く考えるかと関連するわけですが、あまり健全ではありません。それからもう一つ法案修正の問題、最後に列国議会同盟 IPU の話をしました。毎回、その週で起きるテーマを素材にして話をしたらいくらでもあるんで。いろいろありますね今回も。それだけで毎週、これから国会が動きますから。

 

【党首討論】

 報道などによると今月の 22 日までに国会が解散され 12 月 16 日が投票日、と現実になるかも知れません。そういう報道が出てくるとそれはもう止まりませんからね。これでまた解散風が止まって、3ケ月なら3ケ月穏やかに進むなんてことはちょっと考えにくいです。読売によると、 12 ・ 13 日と衆議院の予算委員会をやって、 14 日に党首討論。党首討論は、国家基本政策委員会というのが衆議院と参議院にあります。細川内閣で政治が大きく変わり、細川さん自体は党首討論をしたことはないですが、その後からです。イギリスの党首同士が 1 対 1 で討議するのをやろうじゃないか、イギリスでは党首だけでなく各省大臣とシャドゥキャビネット(影の内閣の大臣)と、これが対になって、討論を随分やるんですね。そんな長い時間やるのではなく、 10 分なら 10 分、火花を散らしてぱあっと別れるというのを頻繁にやっていました。あれは、なかなか政治を活性化する、国民の興味を持たせる、いい方法だから導入しようということで導入して、衆参に国家基本政策委員会というのをつくり、そのための合同審査会というものをやり、そこで与党の党首である総理大臣、一定規模の野党の党首の間で党首討論を衆議院でやったら次は参議院で順番にやります。今回は衆議院の予算委員会の会場を使うなど、野田さんは参議院で問責くらっているけど衆議院でやるからいいだろうということになるのでやれるのです。日本でもそんなに長い時間とるのではなく、火花を散らして頻繁にやろうということになっていたのですが、やはり日本はたてつけを大事にするのです。どういうふうにやりますかというと、だんだん時間配分なんてやっていますと、 40 分が 45 分になり、内閣総理大臣、与党の党首が一方にいて、第一党の野党の党首、安倍さん。第二党の生活、生活の小沢さん。第三党の公明党、山口さんもやる。前に渡辺よしみさんがやったことがあるが、そこまでいくのかどうか。この間、渡辺さんは自民党の持ち分から出て自民党の悪口を相当言って嫌われたから、今回はないでしょう。

 

党首討論は今日、国家基本政策委員会を開いて正式に決まります。いずれにしても 14 日にやります。午後 3 時から 45 分間。私も議長をやる前に、国家基本政策委員長をやりまして、このときは、小泉さんと菅さんがやって、両方が交互に立ってやるんです。しまいには両方が立ち上がって止まらなくなって、しようがないから私も立ち上がって両方とも静まれとやってね、まあそういうことができなければ国家基本政策委員長は務まらないのですが、そんなこともやったことがあります。

 

【問責受けた野田総理】

15 日に、特例公債法案を衆議院本会議で可決しますが、これは数で可決になります。ちなみに、自民党、公明党が反対しても可決になります。そして参議院にくる。 19 ・ 20 日に参議院の予算委員会をやって。特例公債もその間にやったりして、 21 日には参議院で特例公債法案、本会議で通してもいいのです。その間には選挙法のこともやって、社会保障制度改革国民会議、これは委員を出せばスタートできるので、 22 日に安倍自民党総裁がいう通り解散できるのではないでしょうか。参議院は野田総理を問責しているので、野田さんはもう相手にできません。予算委員会に総理大臣を呼ばない、普通はありませんが、ダメだと言っていたわけです。それでも民主党の方は予算委員会だけはと。しかし、自民党は「民主党の方は何を言っているんだ、緊急質問というあんな誤魔化しで、もっとも大事な所信表明演説と代表質問をすっ飛ばして、予算委員会とか委員会審議というのはけしからん。」、こう言っていたのが、昨日自民党の方から日程の提示があり、にわかにそれでよろしいともどうも言い難い、そしてそれでもしやったら、安倍さんがいう 22 日が解散の日になってしまい、人が言うのに乗るのはどうしても嫌だというのが民主党の中に約1名いまして。これまでいろんなことで何故こう決めたんですか、例えば何故 22 日に決めたんですか。それは A さんは 21 日と言った、 B さんは 23 日と言った、だから両方嫌だから 22 日に決めた。輿石さんというのはそういう癖があるのです。 22 日の解散は安倍さんがいうからどうしてもやらせない、もうちょっと遅らせよう。遅らせたらどうなるのか、 22 日の解散なら、 12 月 16 日に都知事選と同時選挙ができるわけですが。それもみんながそういうところへ落とし込むのは俺は嫌だ、で今の輿石さんの頭の中には 12 月 22 日投票日があるんじゃないかと言われたりするんですね。 22 日投票日というのは大安かどうかをみればいいのですが、 23 日が天皇誕生日だから、 24 日になったらクリスマスイブ、年末だとなっていきますから、 12 月 22 日。どこかの新聞に書いてありました、ベテラン政治家になったら、この時期はカレンダーが頭の中に入っていて、ずうっとやるべき仕事を入れていって、その間に困ったことがあったら送る。今回ですと 12 月に日露首脳会談をモスクワでプーチンと野田さんがやると日程調整に入っているのですが、これは遅らせる。日本の方では、プーチンさんがどこかを痛めて体の調子が悪いからできない、だから延ばしてくれと言われたということになっているのですが、しかし、政治記者や政治評論家たちは、 12 月中に日露というのでは解散ができなくなるから、だから延ばしたのだろうと。そんな状況が進んでまいります。問責がいまだにどこかに引っかかって、それが日に日に政治に影響を及ぼしている。しかし、いざとなったらそんなことはお構いなしに事は進んでいくだろう。

 

【 0 増 5 減】

衆議院の定数配分が違憲状態だ、これはどうするんだ。これは困るので、とりあえず、違憲という判断だけは何とかクリアーできるんじゃないかというのが、例の 0 増 5 減、 5 つの県で定数を 1 ずつ減らす。これは自民党、公明党、その他の党も、まあ違憲状態の解消はやるべきだと優先順位がもっとも高いと考えたと思います。同じく民主党も違憲状態の解消はしなきゃならん、国民に増税のお願いをしているので増税の前にやることがある、この声に応えていくにはいろいろやらなくてはならず、国会も支出削減をやらなければいけません。それにはやはり国会議員の定数減が一番で、もともとマニフェストでは 80 名の定数減を言っていたのですが、まあこの政治状況でなかなか大変だから 40 人、半分に値切って、これをやらないわけにはいかない、 0 増 5 減とセットでやる。そういう方針を決めて、具体的には執行部一任になったわけです。 0 増 5 減はやらなければいけない、そうでないと憲法違反の選挙をやることになってしまう。だけど 0 増 5 減をやろうとすると、例えば、徳島県で 1 名減らす、徳島は3区あるが、選挙区の区割りを変えなければいけない、線引きを。どうやってやるかというと選挙区委員会というのがあり、これが各都道府県からいろいろ事情を聞いて、そして選挙区をこういう風に区割りを変えますということをするのですが、それはやっぱり今日明日というわけにはいきません、どのくらいかかるか、一定の日がかかります。それをやっていると 0 増 5 減をこの一週間以内にやったとしてもなかなか間に合いません。でどうするか、法案を通す、従って選挙区それぞれ人が少なくなるのですが、その線引きをやり直して人を確定させ、 0 増 5 減の法案を施行する。法案を通して施行までの間に解散総選挙だったら裁判所は何というだろう。まあ違憲状態ではあるが国会は国会として違憲状態の解消の手立ては講じたわけだから、違憲状態ではあるけれど、その状態のもとに選挙をやったのは国会の行為自体が憲法違反だというわけにもいかん、現に憲法違反状態を解消するアクションを取っているわけですから。だからこれは違憲状態であるけれど選挙は認めようということに多分最高裁としてはなると、 0 増 5 減はやるが、 0 増 5 減のもとで選挙をやるということは何とか別に、好んで回避するわけじゃないのですが、そうできない状況はしょうがないというようなことを今考えています。解散総選挙というのは、ニューヨークを襲ったハリケーンみたいなもので、「大統領選挙があるんだからハリケーン、ちょっと待ってくれ」といったって、そういうわけにはいかず、来るもんはしょうがないのです。解散総選挙も同じようなことで、いろんなことがちょっとまだ困るんでといったってきちゃうんですから、それだけの大きな権限が内閣総理大臣にはあるのです。

 

【大学の認可問題】

これは皆さんに意見を聞いてみたいのですが。田中眞紀子文科大臣が 3 つの大学について大学審議会の答申が出て、その答申を蹴飛ばして不認可といたしました。不認可としたというと言い過ぎになる、という細かな知恵をだしたのですね。不認可というと言い過ぎで、実は不認可にしていない事、理由わかりますか。電話をかけたんです。高等教育局長 坂東久美子さん、僕の高校の後輩なんですが、彼女が大臣にこう言っていますと電話したのです。電話で伝えたのではまだ行政処分が到達したとはいえない。行政処分というのは文書ですよね、これは向うに処分の相手方に到達して初めて効力が生じるものなので、まだ不認可の処分が効力を発生したというにはいたっていない。だからまだ今なら不認可処分が行われたという状態ではないから、だから何とでもできると考え、田中文科大臣は新たな基準をつくって新たな制度のもとで早急に認可、不認可の答えを出すと言ったのです。しかし新たな基準たって、そんな今の時代の趨勢、少子高齢化の中で大学がどれ程、数が増えてきているのか、そういう状態でどれほど不健全であるのか、これを直すのにこういう基準で、そんな基準を新たにつくるのに手品じゃあるまいし、明日明後日急にできるものではなく、時間がかかります。新たなしくみをつくるのには時間がかかる、そんな時間かけている時じゃない、大体、田中文科大臣、あなたおかしいよという声が随分起こりました。結局、今の基準、今の制度で適切に対処します、適切に対処するということは認可をすると言うことをいって、もう書面だしたのか、まだ出していないのか、ということがありました。さあ、これはどうでしょう。

(学生) 3 つの大学に審議会で審査され、動いていたわけで。文科省の役人はどこまで大臣に説明しているのか。経過を理解した上で、政治家田中さんが私は認めないというなら、それも判断だと思うが、果たしてどこまで理解されていたのか。

(学生)大臣になって初手柄を焦ってしまったのではないか。

(学生)いきなりダメといわれても施設もつくって準備もしてきている。大学の方が可哀想。

(江田)それに対しては認可、不認可というのがまずあって、認可をすることによって大学をつくっていいとなるわけです。なので認可を受ける前に大学の建物をつくったり、人を雇ったりなんていうのがそもそもけしからんわけで、困るからっていったって、そんなことは考える必要ありませんという意見もある。

 

(学生)大学側は文科省といろいろ詰めてきて、ほとんど不認可になることはないのが現実なので、 3 大学も一応は大丈夫だろうということがあったかも知れない。

(学生)認可してから準備すべきというのも一つだと思うのですが、今までの経過がそうでもないなかで、すぐにやるのはどうなのかな。審議会の意見を覆すのはあまりなく、今回は文科大臣の方に無理があった。しかし、大学が多すぎるというのもありますので、次回はやって欲しいなと思います。

(江田)この議論はもうちょっと整理をして考えないといけないと思うのですが。仮に不認可の決定通知が大学に届いて、これを取り消す訴訟を起こせるか起こせないか、これは行政違憲訴訟の法律の話です。多分、起こせると思います。恐らく、大学、学校法人とか、県とか、第三セクターとか、いろんな主体があって、これが申請をして認可をするという構図になっていると思います。許可、認可、特許それぞれ行政処分によって若干の法律の性質が違うのですが、しかし、認可も国民に権利を与える行政処分で、それを申請する側がいて与えなかったら、それは自由裁量でも、生かすも殺すも認可権を持っている人の全くの自由だというのではありえない。一定の要件が整ったら認可をしなければいけないという構図の中で申請があって、そしてそれに対する答えとして不認可をやったら、僕は今回の不認可処分は違法だと思います。何故違法かというと、それは不認可の要件は満たしていない、逆に言えば、認可する要件は満たしている。行政処分を考える時に、ここを何故問題にするかというと、政治主導と官僚主導とはどういう構造になっているのかということですね。政治主導とは行政の手続きなんか全部無視して、とにかく政治家がこれはこうだと言えばそれを通す、官僚がみな協力するのが政治主導、それができずに官僚の言うとおりになるのが官僚主導かというとそれはそうじゃないでしょう。例えば今の、この大学の設置についての手続きのしくみ、あるいはそこで考える是非を判断する基準など。これをどういうふうに変えるか、今のままでいくのか。それとも大学の設置の基準を厳しく、大学がどんどん増えるという状況をやめるようにしていくのか、そういう大きな方針をたてるのが政治家、これは十分、官側の皆さんの意見も聞いて勉強して、そして皆さんとも相談して合意を作って、新たな大学の基準をこうしましょう、新たな手続きはこういうふうにしましょう、それをきっちり作っていく、これは政治主導でやれることだと思います。だから田中文科大臣が今の大学、この少子高齢化の時代にこんなに大学が増えて粗製乱造になって、大学生が遊ぶのか、遊んでいるのかどうかは知りませんが。いくら怪しからんから今の状況を変えようと思っていても、政治主導でやるなら政治主導でやるいろんな手続きがあるので、それを抜きに私が政治家です、私が決めるんですでは政治主導というより、独裁になってしまいます。それはまずいので手続きはどうなって来るのかといいますと僕もそこの専門家でないのでわかりませんが、今言われた通り、長期間にわたり相談づくでやっているはずです。秋田・・だいがく、今までの短大を 4 年生の大学にしたい、そういう思いがあって、そういう需要があって、地域的にはそういう事情が恐らくあるのでしょう。その公立の短大にとってもそういう事情があるのでしょう。これを文科省と相談をして、実務家レベル、それより高いレベル、様々な皆さんと相談をして、段取りを踏んで、こうこうこういう工程表でやるので、この段階で建物をたてたらどうでしょうか。あるいは教員を集めるのをやってみたら、教員の集め方がずれていたらこう変えなさいよ、建物についてはこういうところが耐震構造が弱いんじゃないのとか、そんなことをずうっとやって、審議会の中でそういうものをインプットしていって、最後に審議会がこれは認可ですということを答申した。だから、もしその過程で文科大臣が一定の政治的な判断があって、その基準については、ここのところをよく見て下さい、本当にこれで適合しているかどうか、世の中のためになるかどうかなど、基準をその途中で高いものにして、そこへ合うような努力ができるかできないか、できればよろしい、できなきゃダメとするならいいけれど。そして最後になってさあいよいよ荷造り終わりました、後はもう宅急便のところへ持っていくだけ。そこまで来て NO というのは、これは裁量権の乱用ですね。この場合、そういう手続きを踏んできたものについての最後の裁量権者、決定権者の決定というのは、自由裁量の話ではありません。覊束(きそく)裁量と言う言葉があって、裁量権が覊束されているんです。羈束裁量が裁量の幅を逸脱してしまった場合には、これは裁量権の乱用、違法ということになるので、政治主導といえどもそういうことはできません。行政手続きは安定的に進んでいかないと、突然、行政手続きの中に別の要素が入ってきて、その手続きが違反ということになると、それこそ法的安定性が覆る、法の支配の行政ということでなくなる。法の支配でなく、恣意の支配になってしまう。そういうことを政治主導というのではありません。

 

【マニフェストと覊束性】

そこが時々、間違うことがあり、民主党政権 3 年の間に、そのあたりの間違いというのは多分、他にもあったのではないかと思います。八ツ場ダムなんかそういう傾向がちょっとあり、いろんな手続きや基準(洪水)を踏みこんだところまでいければよかったのですが、民主党はそこまでそれをやろうとしたんだけれど、やっぱりそういう手続きをきちんと踏み、そして基準について、例えば洪水の基準などいろいろもっとこういう基準で判断しろとか、いろいろあり、最終的にそうした基準についてもいろんな皆さんの理解が得られて八ツ場ダムが中止ということになるのであれば、それは一つの方法で、政治主導で一定の行政手続きを踏めばいいのです。しかし、いくら政治主導でやろうとしても、そういう手続きをきっちり踏めるだけの客観的な立法事実がなかったので、ついに八ツ場ダムは中止という決定をすることはできなかったのです。しかし、中止の決定だけではすまないので、そういう治水工事などをする場合の一定の新たな基準を官房長官の方で発表して八ツ場ダム自体については続けようということになったのだと思います。まあそうした事を問題提起すること自体は政権交代の成果なのです。田中文科大臣については選挙が間近でその成果をやや急ぎ過ぎたのかなと。新潟、田中さんの選挙区で赤信号が灯っているということもあって、ちょっと焦ったら秋田の方でハレーションがおきたとか、いろいろです。ぜひ、政治を見る時に、きっちり論理を研ぎ澄ましてこうしたことを考えてみなきゃいけないので、仕分けをしながら考えて欲しいです。

八ツ場ダムは選挙公約との関係ではまずく、マニフェスト違反にもなります。そこでマニフェストとはなんですかということの話になります。野党時代のマニフェストでどこまで拘束力があるのか。そもそもマニフェストというのはそういう意味での羈束性があるのかどうか。いくら約束してもできないものはできない。いや約束したんだから、事情変更があろうが、もともとの思い違いがあろうが、何があろうがやるのだ、それはよくないのです。その代わり、できない時はこういう理由でできませんでした、といわなければいけません。普通の民間の約束でも、約束は守られるべしと近代法の大原則ですが、それでも守れないことがあります。その時には正直に守れませんと。先週の終りから今週にかけてのことを話しました。

 

【予算編成】

(学生)総選挙の話と予算編成の関係は。

(江田)今、来年度の予算の編成作業はずうっと進んでいて、各省から概算要求はあがり、概算基準をつくって押さえて要求してもらっているが、さらに押さえて、一律カットでやれとかやっている最中です。おそらく、最後の特別枠とかあって大臣折衝で見せ場をつくって、最後に政府予算案をつくる。暮の 27 、 28 日にずれ込む。 22 日の投票でもできなくはない。やっていますからね。それこそ政治主導か官僚主導かですが、政治家が鉛筆を舐め舐め、いくらのお金つけますからなんて、そんなことやっていてはどうにもならない話で、各省の会計課と財務省の主計が細かく相談して積み上げてやってきている話です。その間に積み上げの部分もあるし、シーリングの部分もあるし、まあ役人の皆さんとせいぜい関わるのは各省の政務三役がやっています。もう一つは補正予算です。これをどうするかもやっている最中です。ところが今の常態ですと民主党政権で来年度予算を本当に最後まで仕上げるのかどうか、これは大きなクエッションと、私が言うのもどうもと思いますがそのクエッションマークに目をつぶって嫌だ嫌だといって、予算編成を民主党といったって、どこかで息詰まる。仮に 22 日投票日で政権が代わったら、その政権のもとで最後の仕上げをやってもらう、それは国家国民のためにはよいのです。それが仮に年をあけても構いません。年内編成は基本だが、諸般の事情から年をこえて最終的に政府原案が決まったってそれは構いません。通常国会は年 1 回召集、 1 月の 20 日過ぎですから、その間に予算ができれば構わないのです。むしろ逆に年を超えて、通常国会冒頭に解散になったら、それまでに予算ができていればいいけれど、政権が代わったら、もう一辺全部見直す事になるのではなかなか大変です。そこは年内に投票を終わるという事で乗り切れると私は思います。

 

【二院制】

今日は二院制というのをテーマにします。

日本の二院制は大変な困難にあっています。だからもう二院制を止めようと主張する人もいるのですが、二院制は日本だけでないのです。むしろ世界では二院制の方が多く、アメリカ、イギリス、仏、独、さらに中国だって二院制なんです。中国はそもそも議会制民主主義なのか、それは脇においといて。全国人民代表大会、日本の衆議院に相当するものと、全国政治協商会議、日本の参議院に相当するといわれている、二つの議会があります。世界中、二院制ですが、ではねじれは日本だけなのか。そんなことありません。日本も今ねじれていますが、一番最近の例でいえばアメリカがねじれです。アメリカはオバマ大統領が再選され、同時に上下両院の選挙がありました。上院選挙、これは 100 人の定数で 1/3 づつ 2 年ごとに改選です。今回は 33 人改選でもともと上院は民主党が強く、民主党が善戦し 2 名増え 55 名になりました。 55 対 45 ですから、民主党が強いのです。ところが下院の方は 435 名全部改選ですから、共和党が過半数で多数となりました。大統領は民主党ですから、議会にいろいろお願いしても簡単にいかなくなりました。だから上下両院でねじれていると同時に、大統領と議会でもねじれています。大統領選挙の結果がでたら、わずか 1 〜 2 時間後にその話(財政の壁)が出てきて、英語で何と言うのか聞いてみたら、 fiscal cliff (フィスカル・クリフ)というんですね。何かというと前の政権でつくった減税措置が終わり、増税につながるといった事です。もう一つは財政支出の枠が縮まるという事です。増税になるから国民生活には打撃があるのにも関わらず、その分財政出動で手を差し伸べる際には、財政の出動枠が限定され、その分が重なって財政の壁にたちまちぶつかって、哀れ、車は大破するという、アメリカ経済、家庭生活が大混乱に、すぐ直面するということが言われています。少なくともなだらかにしないといけませんが、そのためには議会の理解が得られないといけません。その理解が得られるのか。たちまちオバマ政権は議会の側の妥協と合意の作業に取り組まなければならないのです。アメリカはその前からずうっとねじれで、ねじれのためになかなか議会の理解に苦労して思う通りのことができない、アメリカもなかなかねじれは大変です。その他にもねじれは多かれ少なかれいろんな国であるので、別に日本だけがねじれで困っているわけではないのです。

ただ、日本の二院制とその他の国の二院制でかなり違うのは、日本は衆議院と参議院ともに、全国民を代表する選挙された議員により構成している憲法の規定があります。全国民を代表するとはどういう意味かというと、選挙区を代表するものではありません。選挙区は選ぶ母体、方法ではあるけれど、議員はそれぞれ全国民を代表している。地域代表ではありません。職能代表というグループ代表でもありません。これは明らかです。経済界の代表、お医者さんの代表、芸術家の代表、中国なんかは芸術の代表とかやって政治協商会議をつくっている、日本はそうじゃないんです。全国民の代表する選挙された議員で構成され、もっと悪いことにその選挙制度が本当に似たような選挙制度になっています。選挙区があって、その選挙区から個人名投票で議員が選ばれる、もう一つ比例区があって、政党の得票数に応じて議員の数が割り振られて、そして議員が選ばれる。この点では衆議院も参議院も同じです。衆議院は選挙区を小選挙区で 1 名ずつ選ぶ、そして比例区はブロックごとになっています。参議院は各都道府県で選ぶ、比例区は全国一本です。その違いはあるけれど、有権者からみれば、まずは選挙区で個人名を書いて、比例区で政党名を書くというのは衆議院で、参議院は政党名でも個人名でもよいとなっているけど、いずれにしても政党を考えながら投票していく。細かくみるとこんなに違うからいいだろう、大きくみるとこんなに似たような制度で二つ院ができています。それは世界史にあるんですか。というと恐らくそれはないです。

 

【米英の二院制】

アメリカでいうと下院選挙区は各選挙区、州で割り振られている。マサチューセッツ州の第何選挙区とかからでていく。上院は州の代表者になっている、各州で 2 名。全く選ぶ基準が違っていて、上院の方は州の利害を主張したって、別にどうもけしからんとはならない。各州代表で、大きな州も小さな州も同じですから、同じだけど議員の活動は大きな州は、それはカリフォルニアなんてもの凄い人数を代表しているわけですから、議員活動は大変です。従ってカリフォルニア選出の上院議員の部屋へ行きますと、日本の議員会館が立派だとかいわれていますけど、とんでもないのです。もっと凄いです。 1 階と 2 階があって、両方がばあっと大きな部屋があり、そこに何十人もスタッフがいてパソコンをやっている。そういうことになっています。

それがイギリスに行きますと、庶民院 (House of Commons) と貴族院 (House of Lords) で。庶民院は小選挙区で一人一人選ぶ、比例区はありません。小選挙区だけです。政党のイニシャティブ、リーダーシップがそこにあって、例えばブレアという人は、若い時に最初に労働党でやってこいといったのは、一番労働党で勝ち目のない選挙区を割り当てられ、そこで一生懸命やった。そこでこれだけの実績を残した、自分が当選しなくとも。わかった、じゃお前よくやった、次はここで選挙やってみなさい、だんだん楽なところへ変わっていく。政党がイニシャティブを取った小選挙区制で、 House of Commons が作られていく。 House of Lords は選挙がありません。貴族ですから、定数もありません。貴族の特徴というのは世襲ですよね。いくら何でも民主主義の世の中で世襲が国会の中にあるなんて、それはないでしょう。しかし世襲の貴族から貴族院議員の権限を奪ってしまうわけにはいかないので、イギリスでは一代限りの貴族に限定(息子や娘にその貴族は引き継がれない)しました。こういうことで House of Commons でかなりいろんな役目を果たした人たちが、引退といってももったいない、大所高所からご意見番でやってもらうために、生涯貴族にして、国政に関わる。これも結構ひとつの知恵です。

 

今日私は中曽根康弘さんのお奥さんの葬儀に行って参りましが、中曽根さんがあれだけ業績あげていても、小泉さんがもう年だから辞めてくれと言われたら、辞めるわけです。イギリスだったら貴族にして、中曽根弘文さんには引き継がれませんよとなって、大所高所からものが言える。大所高所から言うのであって、貴族院は強い力はありません。法案が House of Commons から出てきたのにブレーキをかけるとか、もうちょっと考えてみるなどは言えるけれども、日本みたいな NO です、こういう権限は貴族院にはないのです。そういう制度設計がされているわけです。これがドイツだったら、各州の上院と一人一人が選ばれてくる全国の下院と役割分担ができているとか、こういうことになっているのですが、日本の二院制というのはそこがうまい設計になっていないので、そこが悩みの種です。

 

【日本の二院制】

日本はもともと二院制なんです。戦前は衆議院と貴族院、衆議院は選挙で、貴族院は貴族で公候伯子男です。今の若い皆さん、公候伯子男という言葉知っていますか。知らない、そういう世代か、そうですか。貴族院は相当強い権限を日本では持っていました。枢密院というのがあり、憲法をひらくと最初に日本国憲法にある、枢密院の批准をへて・・・とあります。そういう二院制だったのです。戦後、この二院制はやはりまずいということになりました。身分制度をなくし公候伯子男はなくなり士農工商ももちろんなくなり、全部平等です。そういう平等のもとに貴族院をおいておくのはできない、従って一院制が提案されたのです。 GHQ が関わったのは確かですが、しかし、日本国民が選挙をして新しい議会を作って、そこで憲法を決めているわけです。世論というのがどこまで頼りになるのかは別として、あれ程熱狂的な歓迎のもとにできた憲法というのは世界中そうないのではないかというぐらい熱狂的歓迎のもとに憲法ができているわけで、 GHQ に押し付けられたことではないと思いますが、結果的に、 GHQ が関わったことは事実です。その GHQ の最初の草案は一院制だったのです。日本側が一院制は辛いです、これまで二院制でやってきたので二院制でやらせて下さいというので、急遽、二院制に変えました。その時衆議院と参議院の役割を、どういうふうに制度設計していきますかと検討する暇もなく、早急に進められたのではないかと思います。そういう経過で二つの院の役割分担が十分にできていません。しかし、内閣総理大臣、あるいは条約・予算、あるいは 2/3 、あるいは 60 日、いろんなことが入っているのです。その程度で十分制度設計ができたというにはちょっとたりない気がします。若干の優越をつけたとはいえますが。しかし、二院制ならもう少し、選挙制度をもうちょっと考えるとか、一般的には衆議院は国民を数で代表して、その数の力で内閣総理大臣を選んで、内閣総理大臣と衆議院は拮抗関係にあります。方や不信任案を出せる、片や解散ができる、参議院の場合はむしろ数というより質で国民を代表します。従って参議院は理の府、良識の府とされています。しかし、今の参議院が良識とどう関係するのかよくわかりません。それは定性的なことはいえても、それが制度化されているかというと、必ずしも制度化されていないのです。まず、憲法改正の発議というのはどういう制度設計になっているかというと、衆議院と参議院の各院でそれぞれ議員の総数の 2/3 以上の発議で憲法改正を国民投票にかける、といった制度になっています。しかし衆議院と参議院にかける大本の原案をどこで作るんですか、それは内閣で作りますとはなってないのです。内閣は憲法改正についてはものが言えません、なぜなら内閣は憲法を順守する義務があります。憲法を変えるというようなことを内閣にやらせたら、内閣は好きなようにいろいろやるわけで、そんなことはできません。そうすると誰が憲法を発議する、いや自然に発議たって、衆参の 2/3 をとった案が別々の案だったら、どうやって国民投票するのか。別々の案では国民投票は成り立ちません。やはり同じ案で衆参ともに 2/3 をとって国民投票にかけられなければいけないのですが、どういう手続きでそういうことにするかという手続きがありません。つまり、最初、一院制で憲法改正のことなども制度設計したけども、二院制になったから急遽、両院の発議を書き加えただけで、どうやって国民投票にかける案を決めますかということが出来ないのです。するとどこかでそれを決めなきゃいけませんが、国民投票の方法は別に定めるとかそういう規定もありません。しかし、ないからこのままにしておくというのでは、憲法改正の手続きがないわけですから。だから、ここはやはり法律が欠けている部分ですので、そこの部分はちゃんとつくらなければいけないと憲法改正国民投票法というのをつくり、両院の憲法審査会の合同審査会をつくり、そこでいろんなことを両院相談して改正の原案をつくるようなことができるしくみは一応つくりました。だけれども、もともとの憲法の中に全くそういう頭がなかったわけですから、これはやっぱり、慌てたんだなとしかいいようがありません。その様な、日本の二院制になっています。

 

【国会議事堂】

笑い話というか、国会の正門に立ってみると、真ん中にとんがり帽子があって、左側が衆議院、右側が参議院。議長をやっている時に、小学生の見学団が来て、質問といって議長さん、どうして左が衆議院で右が参議院なんですか。これは困った。どうしてですかね。どうだと職員に聞いたらわかりません。わかりませんけど多分こうじゃないか。衆議院と参議院だとこれは変わらない。だってともに全国民を代表する選挙された議員で構成するのですから。衆議院は変わってないのです。参議院はずうっと昔から参議院ではないのです。参議院は貴族院ですね。こっちは貴族です。今は参議院はもともと貴族なんてことはいいませんけど。参議院は貴族、衆議院は庶民です。庶民と貴族とはどっちが上なんですか。貴族があったらですが。当然貴族ですよね。位が高い方が何故右なんですか。そこで思い出すのは、お雛様です。左大臣が右にいる、右大臣は左にいる。何故か。お雛様から見ているから。自分から見て左、左大臣の方が位が高い、右大臣が右で位は左大臣より負ける。それが原型なんじゃないかという人がいて、なるほどなあと。あるいはそうじゃなくて、イギリスをまねたのかもしれません。

衆参はいろんな違いがあるんです。衆議院には天皇陛下がくる場所がありますか、ありません。これはイギリスと同じです。イギリスは House of Commons には女王とか来る場所はありません。それは庶民のところに王様がくるなんてとんでもない。だけど王様も国会にこなきゃ、いろいろ用もあるし。参議院の方には天皇陛下が座る席があります、本会議場に。衆議院は議長席のすぐ後ろのドアが開いてそこから入ってくる。参議院は議長席の後ろにドアはありません。カーテンがある。カーテンを開けたら天皇陛下がお座りになる席があり、そこは開きません。本会議が開かれている時にそのカーテンは開かれることはありません。しかし、開かれる機会があります、それは開会式です。開会式は衆議院議長が主催をして、場所は参議院の本会議場で行います。その時はカーテンが開いて天皇陛下がお見えになってそこへ座って、お言葉を述べられる。天皇陛下がそこに座るまでに直接来られるわけではないんです。正面の門があいて中へ入ってきて脇から通ってきて、国会のとんがり屋根の一番下のドア、開会式の時にしか開きません。衆議院も参議院も別に玄関がありますから。国会の玄関というのは、天皇陛下が開会式にお見えになるとき、外国の客が来るとき、衆参の選挙があった時の最初の登院、それだけしか開きません。長い階段がある、これを天皇陛下がのぼってこられる。のぼっていく時の先導は衆議院議長、陛下の後ろを参議院議長がついていく。のぼりきったところに天皇陛下がお休みになる御休所というところがあり、中をみると立派な柱が、漆で作られています。バウムクーヘンのように、漆をどんどん塗ってこういう柱を作っています。そこの部屋には天皇陛下とお付の侍従と衆参の議長、副議長しか入りません。開会式の時には衆参の議長、副議長がそこにいって挨拶をし、衆議院議長が扇動して、参議院の議場に入ってくるわけです。これがね、あまりにも階段が長いんですよ。横路議長も足が悪いし、天皇陛下自体がだんだんお年をめされてきているので、もう長い廊下は止めようか、エレベーターがあるのだから。この時代にエレベーター使っちゃいけないなんて、そんな堅苦しいこと言わなくともいいじゃないか。僕の議長時代に企んで何とかできないかと、できませんでした。ところが、この前みたらエレベーターを使っていたんです。そのご休所の前に柵があって、見学する人を整理する木の柵があって、じっとみると貴族院備品と焼きごての判子が押してあります。天皇陛下の右前に小さい何の看板もかかっていない小部屋があります。これは何の部屋かというと天皇陛下のトイレで、使われたことはないそうです。そういうものをみると国会の表玄関の話じゃない、いろんな面白いことが国会の中にあるんです。その他にもとんがり屋根があるでしょう、一番上の方に 広いホールがあるのです。この大理石のホールはなかなか立派なものですけど今は使われたことはありません。それどころはあそこに行った国会議員は数少ないのですが、僕は議長で見に行ったことがあります。戦後 GHQ を迎えてダンスパーティーをやったのに使われたとか。また、本会議場の上の方に屋根裏部屋があるんですが、屋根裏部屋に行くと、貴族院議場という銅のプレートがあったり、何とか工務店とか書いてあります。それから落書きがあります。これは多分当時作った職人さんが後世に一つ残してくと落書きを書いたのでしょう。国会議事堂というのは長い歴史がいろんなところに刻まれています。

表玄関入ったところに銅像があって、伊藤博文、大隈重信、板垣退助の 3 人の銅像がる。四隅あるんですけど3つしかありません。4つ目というのは、議会はどこか空きスペースがいるんです。それが全部埋まってしまって身動きとれないというのは議会じゃないので、どこかに空いたスペースがあって、そこはいつもそういうふうになるということを象徴しているんです。そんな説明があったり。いや違う、あれは将来、私があそこに建つためにあるんです。いろいろ説明は様々であります。

全国から石材を集めて作っているんですね、今の議事堂は。その全国から集めてきた大理石の中には、アンモナイト、化石がはいっている石材があったり、石の博物館だといわれるようなので、どこかで国会見学を日程にいれていると思うので、その時には一般の見学よりやや、こんなとこがあるよとお見せするプログラムにしていますので。余計なことを見ていくと結構面白いので、是非見ていただきたいと思います。

2012年11月9日−第7回「二院制の意義と問題」 ホーム講義録目次前へ次へ