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政 策 実 績

参議院議員時代(IV)2001/1〜12

  1. 議員懇会長として、ハンセン病問題全面解決へ全力投球する
     (1) 控訴せず
     (2) 国会決議
     (3) 補償法成立
     (4) 最終解決へ
  2. 国連選挙監視団として、東ティモールへ
  3. 民主党憲法調査会事務局長として、中間報告をまとめる
  4. 参議院憲法調査会団長として、アメリカ憲法実情調査
  5. 司法制度改革推進に一貫して取り組む
  6. 法務ネクスト大臣として、商法改正の修正を実現
  7. 福岡事件を契機に、最高裁の情報公開を前進させる
  8. 裁判官弾刻裁判で、判決文を作成
  9. NPO委員長として、四野党共同のNPO支援税制法案を提出
  10. 座長として、民主党の国内人権救済機関設置の中間報告をまとめる
  11. 消費者団体(生協)と連携して、食品衛生法抜本改正に取り組む
  12. 自衛隊法改正<防衛秘密>について、歯止めの質問


1.議員懇会長として、ハンセン病問題全面解決へ全力投球する

まえがき

2001年4月5日に超党派の「ハンセン病問題の最終解決を進める国会議員懇談会」が結成され、私が会長に就任した。この問題は、国会議員になって以来、私のライフワークの一つで、一貫して取り組んできたが、特に5月11日の熊本地裁の判決から、6月15日の補償法成立までの約一ヶ月間は、文字通り全力投球した。

(1) 控訴せず

2001年5月11日の熊本地裁の画期的な原告(患者・元患者)全面勝訴の判決(「らい予防法」は憲法違反、国会の立法不作為の違法性も厳しく認定)の第一報を本会議場で受けて、直ちに、控訴断念と立法へ向けて、行動を開始した。

民主党議員による緊急国会質問をセットし、厚生労働省、法務省、衆参議長、首相官邸などへ申し入れを行った。原告団・弁護士のみなさんたちと連日の働きかけの結果、5月23日、ついに小泉総理は「控訴しない」という見事な決断をした。

(2) 国会決議

2001年5月15日からは、国会決議の議論が始まった。野党側の決議案は私が起案した。与党との交渉は当初から難航したが、控訴断念以後の最終段階では、国会の立法活動と損害賠償責任についての最高裁判例の解釈をめぐって、国会の責任を認める野党と認めない与党が厳しく対立した。

一時は決議は無理かとも思ったが、最高裁判決については「理解しつつ」という言葉で両者の解釈の余地を残し、一方で隔離政策に対する反省と謝罪の文言を入れて決着し、6月7日衆議院、8日参議院で同一文の国会決議が行われた。最後の最後まで担当したが、綱渡りの協議だった。

(3) 補償立法

ハンセン病補償立法についての協議は控訴断念後から始まったが、与野党間の協議は最終的には国会決議の協議と並行して行われた。私はどちらも野党側の最前線に立った。

6月5日の与党案、6日の野党案をもとに、前文と本文について詰めの協議を行った結果、前文には国会決議の内容を盛り込み、本文では修正(請求期間を1年から5年に延長、沖縄県の扱いを本土並とする等)を加えることで合意。6月15日に成立、22日に施行された。裁判に参加していない患者・元患者も含めて補償が実現する事になった。大きな成果だった。

(4) 最終解決へ

補償立法は実現しても、全面解決への課題は山積しており、議員懇談会の活動も継続したが、2001年12月25日、ハンセン病対策協議会で国(厚生労働省)と統一交渉団の間で、確認書が締結された。謝罪・名誉回復、在園補償、社会復帰・社会生活支援、真相究明等について具体的な施策が確認された。

また、12月27日には熊本地裁での遺族・非入所者の和解も合意された。これによって、ハンセン病問題の最終解決は大きな山を越えた。真の最終解決へ向けての努力はまだ続くが、この1年の大きな成果に参加することができて、私自身にとっても特筆すべき活動となった。

政策情報:ハンセン病判決について


2.国連選挙監視団として東ティモールへ

2001年8月30日の東ティモールの憲法制定議会選挙に対する国連の選挙監視団に、民主党監視団の団長として参加した。東ティモール問題も長年取り組んできたライフワークの一つ。独立国家建設へ向けて仕上げの段階だ。

選挙はほぼ順調に行われたが、今回の訪問では、最大勢力のフレテリンのル・オロ党首をはじめ、社民党と民主党の党首、無所属の女性候補3名や上級裁判所の女性裁判官とも会談した。アフガニスタンとともに、ほとんどゼロからの国づくりとなるが、日本の政府やNGOが貢献できることは非常に多い。

東ティモール・制憲議会選挙を見る


3.民主党憲法調査会事務局長として、中間報告をまとめる

2001年12月18日、民主党憲法調査会の中間報告を発表した。私は事務局長として、全体のとりまとめと、第3作業部会座長として「人権」を担当した。

中間報告は5つの作業部会(総論、統治、人権、分権、国際・安保)の報告からなる。焦点の国際・安保では、国連のPKO活動への全面参加と憲法との関係を論じて、いくつかの選択肢を示した。

人権については、「新しい人権」「外国人の人権」「人権保障機関」の3つの論点を提起した。2002年夏には最終報告をまとめる予定。民主党の結束のために全力を尽くしたい。


4.参議院憲法調査会団長として、アメリカ憲法実情調査

2001年1月7日から約1週間、参議院憲法調査会の派遣議員団長として、アメリカを訪問した。今回は私の発案で、ロックフェラー上院議員や最高裁のオコナー判事(女性)などの議会・司法関係者だけでなく、人権・環境などのNPO・NGO関係者や、ジェリー・ブラウン・オークランド市長をはじめ、多くの地方自治体関係者との会談も行って、21世紀の新しい「国のかたち」の議論をした。また、大統領選挙の結果をめぐる混乱と、その中で憲法の果たした役割も確認した。

アメリカ憲法、旅日記

憲法調査会会議録(訪米調査報告)


5.司法制度改革推進に一貫して取り組む

司法制度改革は、最近の私の最大テーマの一つで、民主党のWT座長として、また前半は参議院法務委員会理事として、後半は法務ネクスト大臣として、一年間を通して取り組んだ。

2001年6月12日の政府の司法制度改革審議会の意見書には、民主党の主張した法曹人口の飛躍的増大や国民の司法参加(「裁判員制度」)も盛り込まれ、「市民の司法」実現へ前進した。11月9日には司法制度改革推進法が成立。私が質問で主張した推進本部のリアルタイム公開の附帯決議も実現した。

民主党は司法制度改革にどう取り組むか


6.法務ネクスト大臣として、商法改正の修正を実現

2001年12月5日に成立した商法改正法案(コーポレートガバナンス)は、株式会社の取締役の株主に対する損害賠償責任を軽減する、与党提出の議員立法で、その原案は民主党として到底賛成できるものではなかった。

私は、民主党のこの問題の責任者(法務ネクスト大臣)として修正(代表取締役の賠償責任を年収の2倍から6倍へ、取締役は2倍から4倍へ、株主総会決議は特別決議とする、訴訟提起できる株主は現行どおり、株主の異議権は1/20から3/100へなど)を実現して(これも厳しい交渉だったが)、賛成することを決断した。


7.福岡事件を契機に、最高裁の情報公開を前進させる

2001年2月に発覚した福岡事件(高裁判事の妻の犯罪をめぐる判事と検事の馴れ合い問題)については、法務委員会理事として、法務省・最高裁から再三にわたって事情聴取をし、3月15日の参議院法務委員会での集中審議では90分の質問を行った。

3月14日に、マスコミと国会の法務委員に限定配布された最高裁の「調査報告書」を、最高裁当局との緊張したやりとりの後、3月24日に私自身の判断で、あえて私のHP上に全文掲載した。

4月2日には最高裁も自らのHPに公開を決定。3月29日付の事務総長通達で司法行政の情報公開もすすんだ。また11月6日の私の法務委員会質問で、最高裁の人事評価会議や弁護士任官協議会の情報公開をすすめる、との答弁があった。これも前進だ。

政策情報:福岡事件について


8.裁判官弾刻裁判で、判決文を作成

2001年9月から11月にかけて、東京高裁の村木判事の児童買春事件に対する弾劾裁判が行われた。三権分立の民主主義のもとで、裁判官の罷免は国会の仕事だ。私は弾劾裁判所の主任裁判員として、合議の実質的まとめ役を果たし、判決文の作成にあたった。裁判官をやめて以来25年ぶりの判決文作成で、緊張した仕事となった。

判決の焦点は、既に刑事事件として禁固以上の有罪判決を受けた裁判官が、国家公務員法によって当然失職するのか、そうではなくて、弾劾裁判で罷免されるのか、という点だった。

判決は、憲法の規定、国家公務員法と裁判所法の違い、裁判官弾劾法の規定、裁判所法の制定過程、当然失官と弾劾罷免の違い(弾劾罷免では法曹資格が容易に回復されない)などを考慮のうえ、罷免の訴追を受けた裁判官が、裁判官弾劾裁判所の罷免の判決があってはじめて失官の効果が生ずると解するのを相当とする、とした。


9.NPO委員長として、四野党共同のNPO支援税制法案を提出

民主党NPO委員長として、2000年10月にまとめたNPO支援税制法案の民主党案をもとにして、2001年3月、通常国会に野党共同提案として国会に提出することになった。

政府提出の法案では、税制上の支援を受けられるNPO法人はきわめて少数になる(実際そうだった)ので、野党共同提案の意義は大きかった。しかし、衆議院の段階では自由党との協議が時間切れで間に合わず、3党(民主・共産・社民)の提案となった。それでも、何とか粘って、自由党との協議を重ねて、参議院では、野党共同提案の法案を提出することができた。NPO支援税制の今後にとって、意味のある提案になったと思う。

政策情報:NPO税制について


10.座長として、民主党の国内人権救済機関設置の中間報告をまとめる

2001年12月6日、民主党の国内人権救済機関設置WTの座長として、中間報告をまとめた。国連人権委員会決議(パリ原則)に基づいて、いわゆる3条委員会として政府とは独立した、準司法的機能を持つ人権救済機関(人権委員会)を設置する内容だ。

政府が検討している案では、この機関は法務省に設置することになっていて、権能も弱い。民主党案は、内閣府に設置して、法務省(検察・入管行政・刑事施設等)などの公権力による人権侵害も対象とし、調査権限や尊重義務のある提言機能も持つ強力な機関で、救済訴訟を起こすこともできる。


11.消費者団体(生協)と連携して、食品衛生法抜本改正に取り組む

2001年1月23日に地元のコープおかやま(生協)のみなさんと懇談したことがきっかけで、生協の食品衛生法抜本改正運動に協力することになった。早速、民主党内にチームを結成。請願の紹介議員にもなった。従来の「業者行政」から「消費者本位行政」へと大転換をして、行政の責務、消費者の参加、情報公開などを規定する内容だ。通常国会では請願は採択されなかったが、秋の臨時国会では採択。

狂牛病問題で、この問題はさらに重要な政治課題となった。農水省と厚生労働省に分断された食の安全行政を抜本的に改革する必要がある。2002年に引き続き取り組む重要課題だ。


12.自衛隊法改正<防衛秘密>について、歯止めの質問

2001年9月11日のアメリカ同時多発テロに対する、テロ対策特別法・自衛隊法改正や自衛隊の派遣承認の問題で、民主党は揺れた(PKO協力法改正では一致結束した)。

テロ対策法は、国会の事前承認の修正が実現せず、反対でまとまったが、自衛隊法改正には衆議院では議論されなかった「防衛秘密」条項が盛り込まれていることが明らかになって、参議院で大きな問題となった。そこで私が民主党を代表して緊急質問をすることになった。

私はまずシビリアンコントロールの重要性を確認。その上で、防衛秘密の指定の方法、登録簿の公開、実質秘の司法審査、指定解除、標記と通知の関係などを質問。さらに、秘密への接近につき、情報公開法との関係、共謀の成立に防衛業務者が不可欠であること、教唆でも正犯が想定されない場合は成立しないこと、業務者でない者は漏えい罪の正犯となる余地はないこと、教唆や扇動も具体的危険がなければ成立しないこと、報道の自由・国政調査権・国民の知る権利や基本的人権を侵害してはならないこと、などを質問。明確な答弁が得られて、歯止めができた部分も多かった。

施行まで1年の間に、さらに厳重にチェックし、むしろ防衛情報について積極的情報公開が実現するよう努力したい。

国会会議録:参院・外交防衛委員会


参議院議員時代 (III) 2000/09〜12

1.NPO委員長として、NPO支援税制民主党案をまとめる

2000年10月10日、NPO委員長としての最初の仕事で、NPO支援税制の民主党案をまとめた。これは10月18日の民主党税制調査会でも決定された。この内容は、一定の要件のもとで、法人税を公益法人並とする。NPOへの個人・法人の寄付を所得控除・税額控除の対象とする。税制支援を受けるNPOの審査は独立した第三者機関で行う。地方税については国税に準じて地方自治体の裁量にゆだねる、というもの。この内容での法案は、2001年の通常国会に提出するために、現在国会の法制局と詰めの作業中。

2.参議院法務委員会理事として、少年法改正案の修正を実現

2000年11月28日成立した少年法改正は、大変な問題法案だったが、参議院の最終段階で何とか「5年後の見直し」規定の修正を実現することができた。この法案は、既に衆議院の段階で無修正で民主党も賛成して可決されており、参議院の段階での修正は容易でなく、大変な苦労をした。さらに付帯決議の内容にも力を入れ、「家庭裁判所の充実・機能拡張」 「少年問題に関する地域的ネットワークの構築」 「被害者保護の法整備」 「修復的司法の検討」などを盛り込んだ。

参考記事 少年法について(活動日誌から抜粋)


参議院議員時代 (II) 2000/01〜2000/09

民主党司法ネクスト大臣として(1999/09〜2000/09)

1.民主党司法制度改革案をまとめる

2000年7月12日に民主党の司法制度改革案「市民が主役の司法へ 新・民主主義確立の時代の司法改革」 をまとめ、党議決定した。司法ネクスト大臣就任時には、自民党と比べて全く立ち遅れていた状態だったが、内容的にも十分自信のもてる改革案が出来上がった。2001年7月の政府の司法制度改革審議会最終報告へ向けて、特に「法曹一元」と「陪審制・参審制」の実現のために力を尽くしたい。

2.「犯罪被害者基本法案」(民主党案)を提出

2000年4月6日、民主党として「犯罪被害者基本法案」を党議決定し、議員立法として衆議院に提出した。政府は、刑事訴訟手続きや少年法改正などで部分的に被害者への配慮をしているが、民主党案は、国連の「被害者人権宣言」をふまえて、犯罪被害者の権利を確立し、被害者への社会的支援を体系化した画期的なものだ。

3.児童虐待防止法とストーカー行為規制法の成立

2000年5月17日に「児童虐待防止法」 18日に「ストーカー行為防止法」が成立した。いずれも全会一致で成立した議員立法で、民主党議員の努力の成果といえる。特に「ストーカー法」は、民主党の小沢鋭仁衆議院議員が早くから立法の準備をし、竹村泰子参議院議員が国会質問で取り上げたことが早期実現につながった。両法案とも司法ネクスト大臣として、成立まで深くかかわった。

4.盗聴法廃止法の提出と商法改正案の修正

1999年8月に成立した通信傍受法(盗聴法)は稀代の悪法だ。自公政治の最も醜悪な産物といえるもの。私は民主党司法ネクスト大臣として、2000年3月21日、法律施行前ではあるがあえて「盗聴法廃止法」を、民主・共産・社民の発議と二院クラブ・無所属の議員の賛成者も加わって、参議院に提出した。(通常国会では廃案になったが、臨時国会でも提出した) これについては今後とも取り組んでいく決意だ。

会社分割制度を創設した商法改正では、労働者保護のために、労働者との事前協議を義務づけた修正を実現し、質問の中でいくつかの確認を行った。

5.警察改革

政策目標に掲げた内容を盛りこんだ民主党の警察法改正案法改正以外の警察改革の文書を2000年4月26日にまとめた。(これは司法ネクスト大臣と松本ネクスト大臣との共管。法案は2000年10月18日に衆議院に提出)

これとは別に2000年3月から4月にかけて、参議院の行政監視委員会と予算委員会、法務委員会などで連続して警察問題について質問。特に行政監視委員会理事として、警察の情報公開、交通違反のもみ消し問題、警察のウラ金問題などについて、調査・資料請求をした。交通違反もみ消しに関する警察庁のコンピューター管理の改善などで、一定の成果があったと思う。


参議院議員時代 (I) 1998/07〜1999/12

1.金融国会

1998年秋の金融国会で、参議院「金融問題及び経済活性化に関する特別委員会」の民主党・新緑風会の筆頭理事として、金融再生法の制定に力を尽くした

特に、「不動産権利調整法」はゼネコン徳政令になり、法的処理をゆがめるものとなるので、野党全体のまとめ役として成立させなかった。これは後に、「特定調停法」として、よい形で成立することになった。チェック役としていい役割が果たせたと思う。

2.情報公開法と男女共同参画社会基本法

3.民主党の行政改革の基本方針をまとめる

1999年5月に民主党行政改革プロジェクトチームの座長として、政府の中央省庁改革の不徹底さを批判し、民主党のめざす行政改革の基本方針をまとめあげた。その要点は、首相と内閣の権限を強化し、その首相と内閣の強力なリーダーシップで、「官から民へ」 「中央から地方へ」の行政改革を断行するというもの。そのための「首相府設置法案」と「内閣府設置法案」 「内閣法改正案」の立法作業を行って、6月に通常国会に提出した。

参考記事 行革の目的はわが国の構造改革(99/06)

4.国際人権 (東チモール問題)

東チモール問題は、日本の国会議員の誰も取り組んでいなかった1986年以来ずっととりくんできた。1999年8月、ついに国連のもとで独立か自治かを決める住民投票が実現した。私は8月29、30日、31日の3日間、仲間達と一緒に東チモールに行って住民投票を見届けてきた。感無量だった。今後も、日本政府および日本と世界のNGOの人たちとともに、東チモールの独立と国家形成に最大限の協力をしていきたい。

参考記事 再び東チモールへ(99/11)

5.オウム新法

これについては、「第二破防法」だと言って批判する人もいるが、政治の責任として決断した。きっかけは1999年3月の参議院予算委員会での私と野中官房長官(当時)とのやりとりだった。6月にも同様のやりとりがあった。しばらくして野中氏と非公式に話し合って、団体規制法と被害者救済法を超党派の議員立法で成立させる方向の合意ができた。自民党の杉浦正健衆議院法務委員長(当時)とも話し合った。その後、破防法を改正したい法務省の動き、自自公政権の成立などがあって超党派の議員立法ではなくなったが、私も民主党の司法ネクスト大臣となり、政府案の修正(対象をオウムに限定するなど)をさせることによって民主党も賛成することを決断した。

参考記事 参院・法務委員会 会議録(1999/11/25)


政策目標(2000/12/20現在)

民主党2001年参議院議員選挙政策

1.司法制度改革

国民にとって高価で、不便で、時間がかかり、敷居が高くなっている司法を、国民主権の理念に則り、「市民が主役の司法」へと改革する。

今の約2万1000人の法曹人口を、弁護士を中心に10年で5万人に拡大して、国民に身近なものにする。最後は10万人にする。そのため「ロースクール」構想を実現する。そして早急に、弁護士らの中から裁判官を任命する制度(法曹一元)をスタートさせる。最後には官僚裁判官の制度は廃止する。

そのため、2005年から判事補採用をストップする。そうすると2015年には判事補はいなくなり、2045年にはすべての裁判官が弁護士らからの任命となる。これで「法曹一元」が完成する。

市民の司法参加である「陪審制」「参審制」を実現する。

参考記事 民主党司法制度改革案「市民が主役の司法へ」

2.民主党憲法調査会事務局長として

「論憲」の立場の民主党 (民主党は国会における憲法調査会の議論において、はじめに憲法改正ありきの立場はとらない。同時に憲法改正をしてはならないとの立場もとらず、21世紀の「この国のかたち」を構想する立場から、あらゆる問題について議論をしていく) をしっかりとまとめて、5年以内に結論を出すことを目標とする。

 参考記事 正しい論憲の姿勢で柔軟に未来を思考すべきだ
2001/12/18 民主党憲法調査会 中間報告

3.国際人権

  1. 東チモールの独立国家形成にこれまで通り積極的に協力する。

参考記事 東チモール独立のために(文春文庫「私たちが生きた20世紀・下」掲載)

  1. ビルマ(ミャンマー)の民主主義と人権の確立に努力する。

4.行・財政改革

  1. 公共事業を大幅に減らして、財政赤字ゼロ(公債の残高が増えない状態)をめざす。

  2. 国と地方の財源比率を2対1から1対2にする。

  3. 特殊法人や国直轄の認可法人の5年後の全廃をめざす。

5.警察改革 

  1. 公安委員会の改革(独立した事務局、選任は内閣が立案、国会への報告etc.)

  2. 監察制度の改革(公安委員会が監察する《外部監察》)

  3. オンブズパーソン制度の導入(まず都道府県公安委員会に設置する)

  4. 情報公開の推進(警察、公安委員会)

  5. キャリア制度の見直し(当面の改革と抜本的改革)

政策目標(追加)

1.NPO支援税制の実現 (民主党NPO委員長として 2000/09/09〜)

21世紀の市民社会において重要な役割を担うことになるNPO法人(特定非営利活動法人)の活動を支援するため、税制上の支援策を実現する。

2.少年法の5年後の改正

2000年11月28日成立した改正少年法の付則の5年後見直し規定と付帯決議(家庭裁判所の充実・機能拡充、少年問題に関する地域的ネットワークの構築、被害者保護の法整備、「修復的司法」の検討、など)をふまえて、5年後に真の少年法改正を実現する。

参考記事 少年法について(活動日誌から抜粋)


民主党アンケート (2001/01/15)

121世紀中に実現したいこと

地球憲法の制定21世紀は「地球市民」の時代です。地球上のすべての人が、人として尊ばれ、地球の政府、国の政府、地域の政府に、政治参加できるよう、すべての国の憲法の基本法として、「地球憲法」を作ります。

221世紀中になくしたいこと

主権国家のエゴ20世紀は、主権国家のエゴの衝突で、世界大戦を2度も経験しました。この愚行の根を絶つため、その反省から生まれた国連を大切にし、さらに改革、発展させて、「主権国家」のエゴをなくします。 

>>民主党参考文書


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