1977年 社会市民連合結成に向けて

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全国代表者会議(1977/09/03〜04)

 箱根で開いた夏期講座と代表者会議には、三十一都道府県から二百名の方が参加しました。(代表委員挨拶は次掲)

 第一日の講座につづき、第二日は「社会市民連合のめざすもの」や「規約」などを中心に社市連のあり方や運動について活発な意見を交換しました。

 この代表者会議は、中央から地方へきめたことをおろすというやり方ではなしに、みんなの手で社市連をつくりあげていくという考えから、ここで何もかも最終的に決定するわけではなく、意見をくみいれて、結成大会までによりよい内容のものにしようという趣旨で開かれ運営されました。

 したがって、出た意見はその後の運営委員会でそれぞれの課題に生かしていくことにしましたが、いったいどんな意見があったのか、紙幅の関係から要旨を羅列することになりますが、ここで簡単に紹介しておきます。

さまざまな提案が 「規約」を形づくってゆく
 「規約」については「社市連のめざすもの」で社市連は新しいタイプの革新政党で、トータルな社会改革と政権をめざす政党であるとうたっているが、この趣旨を規約の中にもるべきであるという意見があった。

 また、社市連は個人の自由参加によって作られるものだから、基礎単位は個人ではないか、調整委員の機能はクラブには必要ないか、普通会員と協力会員の区別は必要ない、会員を党員とよべ、代表委員は一名にし、副代表を設けよ、社市連を組織していく上で顧問制度もほしい、会員の一年契約というのは普通の組織と違う点だがどんな意味があるのか、といった声があった。

 このほか、財政問題も述べられたが、これと関連して協力会員の会費も全国センターヘ一部納めてはという提案、規約の細部は地方の事情に応じてきめてよいのではという意見や、規約最終案は地方代表をいれた委員会でやって欲しいといった意見があった。

論議が白熱した「社市連のめざすもの」
 次に「社市連のめざすもの」では、自主管理社会主義の党と明言せよ、原案は都市指向型ではないか、市民を国民に言いかえてはどうか、支持者をふやすために物価、農政、婦人問題や未組織労働者の問題をとりあげよ、選挙には積極的にとりくめ、安保解消のプロセスをもっと能動的に示せといった具体的提起ともいうべき意見があった。

 また、社市連のあり方に関連して、社市連の理念や路線は活動の中から作りあげていくべきだ、政党としてきっちりワクをはめる必要はない、運動体としての位置づけでよいという声や、政党と規定するのは当然で、社会主義の革新政党である、革新の革新をはかる目的を明確にせよという意見が述べられた。

 社市連は本部、支部の関係ではなく、地域組織自体が運動の本部という考えに立って、政策の公開討論などをおこないこれを市民に示していくような運動をすべきだ、政策の結論だけを発表するのではなく、政策形成の過程も知らせた方がよいという発言もあった。

 このほか、機関紙拡大、財政確立、市民運動のすすめ方などについても積極的な立場から質問、意見が出された。


代表委員挨拶

  連合時代における社合市民連合の課題

江 田 五 月

 第一 連合時代のプロローグ (略)

 第二 これからの政治課題および政治展望

 政治情勢の見方について以上の点を基本的に踏まえれば、これからの政治課題および政治展望は自ら明らかとなります。この点について、私は、三つの点を述べておきます。第一は、政治不信の払拭、第二は、政治勢力の再編、第三は、政治目標の設定であります。

 第一の政治不信の払拭の点は、国民の政治参加の問題であります。連合の時代は、国民が政治の主役となる時代であります。連合の当否は、常に、国民の支持の有無により判定されます。ループの短いフィードバックのシステムです。このシステムが機能するかどうかは、国民が、政治の舞台で主役としての役割を果たすかどうかにかかっています。

 ところが、長く続いた「一・五大政党対立時代」に淀みきった政治に対応して、国民の政治不信は抜き難いところにきています。これに、政党と政治家はどう対処したらよいのでしょうか。

 この問題は、既にここ数年にわたる最大の政治課題とされているので、各党ともさまざまの応急施策を実行に移しています。しかし、問題の根は深く、政党の体質にかかわる問題であり、応急施策や声明などで国民の目先を変えることによって解決される問題ではありません。私たち社会市民連合のように、名実ともに市民参加を基礎とする政党づくり、政策づくりを実行し、政治を国民の身近なものにすることによって初めて可能になります。参加、公開、自治、分権の実現であります。

 今回の選挙では、私たちの目指した目標は必ずしも達成されませんでしたが、この課題の実現が私たち社会市民連合の目指す主要な目標であることには何の変化もなく、さらに、この実現こそが、真の政治改革の導火線であることを確信しなければなりません。

 第二の政治勢力の再編の点は、連合時代の政治過程の実践に当たる勢力の構成の問題であり、同時に、政党の位相についての従来の座標軸の作り直しの問題であります。連合にいたる折衝の過程は、国民の前に公開される必要があります。それにより、国民は、連合の当否を判断しうるのであります。

 しかし、現在のように、実際には連合の政治の実践に当たっている勢力の内の多くの部分が、一つの政党の中に入っていて、折衝の過程が裏舞台で行われていると、暗いイメージと薄汚れた取り引きを免れることができません。自民党と社会党の双方の分裂が必要なのであります。そして、従来の政治イデオロギー中心につくられた座標軸を改めて、現実の政治の中で機能しうる座標軸に従って、政治勢力を再編成することが必要なのであります。

 私はこの際、社会党のことについて一言申し上げておきます。社会党が分裂の危険を孕んでいると申しましたが、そのことは、社会党が分裂するであろうという予測を立てていることを意味しません。むしろ、予測としては逆であります。社会党=総評ブロックの形成から今日にいたる歴史的経過に鑑みれば、社会党には、分裂のエネルギーすら残っていないと見る方が正しいでしょう。保守化と硬直化は、単に社会主義協会向坂派のみが独占しているからではないからであります。

 しれし、私たち社会市民連合は、革新の再生のための社会党の外からの改革を目標の一つとして結成されたのであります。父江田三郎にとって、社会党は、自己の身体髪膚と同様であり、社会党と決別することにより、父は生命を失ったのであります。父としては、これでもなお、社会党を長く支持してきた国民の祈りと願いを社会党が受けとめず、自身を改革して革新の再生を図る歩みを踏み出さないことを知れば、断腸どころではない思いでしょう。

 社会党は、今や他党でありますが、敢えて革新の再生のための脱皮を望みたいのであります。社会市民連合にとって、革新勢力の新たな結集と再編のために積極的な役割を果たすことは重要な責務の一つであります。連合の時代に国民の期待を担いうる人々が、旧態依然の社会党という枷を断った場合、私達は、一切のこだわりと面子を捨てて、国民のために、この人々と共に新しい政治に身を呈するでしょう。

 政治勢力の再編成について、もう一つのことを述べておきます。それは、中道派政治勢力の存在が次第に顕在化してきているということであります。既成の革新勢力は、中道派の存在を認めたがりませんが、客観的事実を無視する態度と評さざるを得ません。

 たしかに 「中道」という言葉の意味はあいまいですが、政治路線における中道とは、現在の制度を漸進的に改革しようというものであり、同時に、従来のイデオロギー的保革対立の図式を否定するものであります。現実に即して、その現実を、少しずつ改革していくのですから民主主義的な革新勢力というべきであります。

 その勢力は、先の総選挙と今回の参院選の洗礼を経て、定着したと言えましょう。現在もっとも実現の可能性のある政権は革新中道連合政権であり、これが保守の一部を含むこともあり得ましょう。私たちがめざす将来の日本の政治設計は、このような政権の樹立を通して実現されていくのです。

 第三の政治目標の設定の点は、漸進的改革が目指すべき進路の問題であります。保守政治を転換するには、なお時間が かかりましょう。五五年から二十年、四五年から三十年、一八六八年の明治維新から百年余続いた現体制は、依然として 生命力を保持し、その政治構造は強固です。しかし、同時に、明治以来のヨーロッパ型の先進・近代・工業国に追いつき、 追いこすという目標が完成されたいま、世界中が同時に行きづまりに逢着し、日本もまた地殻の大変動にまき込まれているということも事実であります。わが国の経済と社会の近代化の歴史が始まって以来の大転換の時代が来ています。

 これまでは金と物を中心とした社会であったと言えましょう。それがあまりに行き過ぎた場合に、例外的に調整と制御が行われてきています。しかし、今や、調整と制御が例外ではなくなりつつあります。私たちはこの調整と制御を中心に据え、金と物を中心にした社会をかえて、人と心を中心とした社会を作らねばなりません。

 この大転換を予測しつつ、現状を打開し、明治以来の体制を変革する役割を演ずる勢力はまだ登場していません。私達は、今は小さくとも、そうした主導勢力となりうる可能性を秘めた集団であることに確信をもとうではありませんか。政治の大転換が不可避となっている時代に、力をもち、イニシアチブを発揮できるのは、組織の大きさではなく、政策と運動の質とその党のもつ威信如何にかかっているからです。


  第三 当面の政治課題

 このような政治課題および政治展望のなかで、私たち社会市民連合が当面果たしていかなければならない課題について申し上げます。第一は、政策連合の遂行、第二は地方選挙への取組み、第三は労働組合との関係の設定であります。

 第一の課題は、われわれのめざす革新中道連合による政権の実現のための政策つくりの運動であります。政策による提携とか連合の活動は、政権構想を準備するに当たって必須の基礎作業であるばかりでなく、それ自体が一つの現実的な政治活動でもあります。連合の時代を担う諸政治勢力が政策ごとに折衝し、調整し、実際の政治行動を組織していく経験を積み重ねていくことにより、政権連合の準備ができてくるのであります。これを政策連合と呼びます。

 例えば公明党の社会福祉政策は、私たちの政策とほぼ一致するため、その実現のプロセスと政策の細部の検討についての共同作業が可能でしょう。環境政策、とくに環境アセスメント法の実現については、公明党や社会党の政策と、私たちは基本点で一致できるでしょう。分権と参加を中心とした地方自治体強化の問題については、さらに広く、民社党や新自由クラブとも協調し、協力できる可能性が十分あります。クリーン・エネルギーの研究・開発、投資の増大については、さらに多くの政党間の協力が可能です。このように政策的に一致し、協力し得る課題を明らかにし、政策連合のための活動をただちに始めようではありませんか。

 同時に、私たち社会市民連合内部での政策立案活動および政策実現活動も強化していかなければなりません。政策的課題としては、不景気と政府の無策からくる雇用問題の深刻化、高齢者層の増大傾向といった厳しい問題があります。そのなかで、福祉政策の確立が急がれているのであり、総合的社会福祉政策立案のための活動に重点的に取り組まなければなりません。また、年金制度の矛盾は爆発寸前まできているし、医療制度のジレンマは、健康保険制度の崩壊すら招きかねません。これらの解決策を積極的につくりあげていきます。

 エネルギー政策もまた重大な岐路に立たされており、今日、石油大量消費型経済構造を温存したまま、一九八〇年代の石油輸入を安易に想定するならば、経済的、社会的混乱を招くことは明らかです。私たちはこの混乱を避け、安定成長、高福祉型社会に接近する必要があるのであり、そのため、将来にわたっていかなるエネルギー政策をとるかということを、今日内外の英知を結集して検討することが必要です。

 第二は地方選挙への取り組みであります。自治と分権の確立のためには、たんに理念を叫ぶだけではなく、地方選挙を重視し、積極的に候補者をたててこれに取り組み、地方自治体の政治のなかに、革新中道政権の橋頭堡をうちたてていく必要があります。可能な限りの候補者をたてて地方選挙にのぞみ、組織の拡大をはかります。

 東京都社会市民連合は区会議員選挙において各区二名以上の立候補を追求する意向であり、また釧路市、町田市および大宮市においても、それぞれの社会市民連合で、市議会議員選挙に取り組む方向を打ち出しているのであり、これらの地方選挙を国政の改革のうえでも重要な意味をもつものととらえて、社会市民連合全体として積極的に取り組みます。

 最後に、第三の労働組合との関係の設定の問題であります。労働組合は、元来は個別利益の追求をめざす組織でありますが、個別の利潤追求を目的とする私企業にとって社会的公共的義務と責任の認識が重大な課題となっているのと同様に、労働組合もまた普遍的利益の観点を貫くことが自らの個別的利益にも通ずるものであることを直視すべきでありましょう。

 現代の労働組合には、個別利益の追求が、普遍的利益との関連で、どう調整されるかを意識し、その調整の場に自らをすえる必要があるのであります。それだけ労働組合が社会的に大きな存在になっているということであります。その労働組合が、政党と癒着関係をもつと、政党も労働組合も本来の機能を発揮することができず、不幸な事態に陥るのであります。

 政党と労働組合の関係についての理念的検討が、今ほど必要とされている時代はないでしょう。その詳細については別途報告がありますが、いくつかの具体的問題につき指摘しておきます。

 先般の総評大会で、は労働組合の三つの顕著な変化がみられました。一つは大幅賃上げ論から実質賃金の確保への転換であり、二つは労働組合の「参加」についての積極的態度であり、三つは実質的な社会党一党支持の放棄の方向をあきらかにしたことです。

 社会市民連合としては、これらの変化をすべて高く評価します。特に、政党支持については社会党だけではなく、公明党支持についても具体化しようということですが、労働組合の方針と政策的に合致するすべての政党に対して門戸を開く方向で検討されることを期待したいと思います。

 次には、企業のもつ公的性格がさまざまであるように、労働組合も、そのもつ公的性格はさまざまであります。公務負およぴ公共企業体の労働組合は一般に強い公的性格をもっているといえましょう。

 もちろん、そのことを理由に労働者の憲法上の権利であるストライキ権を剥奪するのは正当ではなく、官公労働者のスト権奪還の要求は正当と考えます。同時に、労働組合の公的性格に応じて、それぞれの労働組合に自律が必要であることも強調しておきたいと思います。

 例えば、労働組合は、公共の施設である列車を私物化して、これらに落書きをしてよいのでしょうか。また、業務の遂行を停滞させることを自己目的的に追求しているかの如き印象を与えては、労働運動の国民からの遊離を招くだけでしょう。いま、労働組合がこれらの点に反省を加えようとしている動きがありますが、これは高く評価すべきであります。その動きが、単なる人気取りに終わらないよう望みます。


 社会市民連合のめざすもの (メモ)

一、(1) 社会市民連合は新しいタイプの革新政党であって、たんなる思想団体でもなく、市民運動のセンターでもない。

(a)一定の要求ないし政策を実現するための運動組織(カンパニア)ではなく、恒常的政治組織である。

 (2) 社市連は革新政党である。しかし既成の革新政党でなく、新しい型の革新政党である。

(a)五五年体制の崩壊過程で、保革それぞれの側で自己革新が行われ、新自由クラブと社会市民連合が生まれた。
 しかし、五五年体制の崩壊という事は二つの面での崩壊であって、一つは路線上、二つは党の在り方においてである。
 新自由クは主として後者の点で改革の試みがなされているが、前者、路線上の革新は行われていない。
 社会市民連合は路線、党の在り方の両面で革新された新しい革新政党である。

(b)これまで保革対立の図式は、せんじつめれば古いイデオロギーあるいは古い体制観による保革対立の図式である。
 世上いわれる左右の序列もこれによる。外交、防衛における対立も、国内政策における対立もほぼ同様である。

 現代の保革をはかる尺度は、たとえば旧来の意味の資本義か社会主義か、市場経済か計画経済かなどの軸ではなく、管理社会か自由な人間の連合体かなどの紬であろう。
 また政策面では従来の分配と所有をめぐる争いよりも、エネルギー、食糧、資源、環境問題等の現代の新しく、かつ最も困難な問題に対して、社会的公正と制御にもとづく解決策を提起し得るか否かにかかっている。
 その尺度をかえることによって、左右の序列は入れかわったり逆転する。

二、理念は、自由な社会主義、あるいは市民社会主義である。
 われわれが新しい社会主義(体制)を目ざすというとき、それは自由や人権、平等や連帯といった社会主義の本来の理念にそって、現存制度を改革してゆくことである。
 (具体的な政治、社会、経済制度がどうなるかは別に述べる。また社会主義について付言すればこれまでの論争は手段をめぐる対立が多い。しかし、すべての社会主義者が自由な社会のために本来めざし、解決しようとした課題は、資本主義の無政府性を克服するための社会的制御と社会的公正であり、それを実現する手段は十九世紀とは異なる。)

 要するにわれわれがめざす社会体制は自由を前提にした連合(連帯)、連合を前提にした自由な社会であり、それによって社会全体が一つの統合を維持する社会である。それ市民の立場からいえば、理想の市民社会といってよく、社会主義者の立場からいえば自由な社会義体制と呼んでよい。くりかえせば、自由な社会主義あるいは市民社会主義は、少なくとも次の三つの原則を含む。

(1)今日の資本主義体制と経済、社会の在り方を改造する。
(2)集権的、官僚主義的なソ連型社会主義モデルを否定する。
(3)その社会は市民社会の公瓢である自由、人権、平等、連帯等の諸価値を尊重し、拡張し、制度化する社会であり、具体的には制御、公正、分権と勤労者の自治(自主管理)を実現する社会である。

三、体は小さくとも、知的、運動的威信を発揮できる党である。

(1) 政治は変わりそうで変わらない。誰もが変わることを望みながら変わらないのは、確かな社会改革の展望を示す勢力がないからである。革新の側が、自由民主党に代わる新しい政権政党たりうることを示すような信頼できる革新的代替政策と国民の共感を得る革新的運動を用意することに成功していないからである。

 社会市民連合は小さな政党として登場せざるをえなかったが、政治の連合と流動、再編成が不可避となっている時代は、力を持ち、イニシアチブを発揮できるのは、組織の大きさではなく、政策と運動の質である。それによって、多様な階層、職業にわたって存在する「改革者」を結集する。

(2) 社会市民連合は、政治的機能においては柔軟である。われわれの社会改革に対する考え方はラジカル(根本的)であるが、しかしその実現方法は漸進的である。改革が根本的であるがゆえに実現方法は漸進的なのである。

 すなわち制度と意識の変革の累積のためには一定の実現期間を必要とするからである。

 それと同様に政治的機能においても柔軟でなければならない。われわれのめざす当面の政治連合は現代的な革新中道連合である。

(a) 現在の政治情況における最大の課題は、まずなによりも自民党の一党支配を崩すことである。そしてそれに代わる 新しい政治は、路線的には中道志向であり、その政権は保守の一部をら含むこともあり得る革新中道政権である。

(b) 政治路線における中道とは、漸進的改革の過程を意味する。現に各革新政党(特に共産党)もその政策はすべて中道志向である。

四、市民に開かれた党であり、市民が参加して作る、市民社会の公理を体現した自由な開かれた党である。

 既成政党は党の在り方においても崩壊したと先に述べた。保守党はその金権体質、財界ゆ着の体質、革新は大手労組、圧力団体とのゆ着等である。しかし党の内部では保守は割り合い自由であり、それが長期政権の一つの秘密でもあった。しかし革新側は党の内部においても中央集権化し、その古いイデオロギー観とともに、教条、硬直、閉鎖性を生んだ。

 われわれと既成革新政党の組織完の差異は「民主か集中か」「多元連合か一枚岩か」「調整か統制か」において一目瞭然である。こうした組織原理をもつ組織は外部に対しても、大衆運動、市民運動の自主性、自律性を尊重し、タテの関係でなく、ヨコの関係で協力することになる。

(注)市民と労働者
 市民とは、労働者や農民と区別されたり対置される特定の階層、階級を意味する概念ではない。

 あらゆる階層をつらぬいて組織への従属から解放され、自主的判断、社会的関心、市民的な自律性をそなえた人間類型である。

 したがって、市民概念は労働者を除外するどころか自立した労働者の自発的結合体である労働組合運動の役割重視する。

 以上の意味において社会市民連合は市民の党であり、国民の党である。
 以上、一は性格、二は理念、三は機能、四は組織――規定とみてよい。


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