1987/06/16 社民連十年史/明日の連合にむかって

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政権をめざす野党結集に向けて
  社・民の歴史的和解の必要性と課題

社民連書記長 阿部 昭吾

 社・民の和解が現実味を帯びた背景

 「戦後政治の総決算」を掲げた中曽根政権がスタートして四年半余を経た現在、わが国はいまだかつてないといっていいほどの先行き不安にさいなまれている。すなわち、雇用問題、国内における南北問題といわれる過疎・過密問題、高齢化社会の急激な到来の対応問題、貿易摩擦等々、中曽根政治のツケは日本の社会全体に暗い影を落としている。

 このままでいいのか、一体、日本はこれからどうなるのか――そのような時代認識において、労働界はむろんのこと、野党陣営のなかでも深刻な受け止め方がなされてきた。いま、試みられている社・民の歴史的な和解に向けての動きは、このような深刻な時代認識を底流としているものであると私は思う。

 野党が真に政治的機能、役割を果たせるようになる――換言すれば、自民党に代わって政権を担当しうる政治勢力になっていかなければ、いま日本が直面している難局は乗り超えられない。自民党一党支配四〇年の惰性の延長線上では、日本はこのむずかしい局面を打開できないのである。この時代認識において、野党各党には共通の認識が生まれつつあると私は思う。

 と同時に、この十一月二十日に全民労連(「連合」)が発足し、全的統一も若干のタイムラグをおいた形で日程にのぼりつつある。このような大きな流れのなかで、一連の野党結集の動き、とりわけ社・民がいつまでも背中合わせのままでいてはいけないという考え方が大きく起ってきたと私はみている。

  売上税結集の教訓

 昨年のダブル選挙中、中曽根首相は“間接税は導入しない”と国民に固く約束しておきながら、三〇四議席のおごりから、選挙が終わるやいなや掌を返すように公約を踏みにじり、大型間接税の最たるものというべき売上税をしゃにむに押し込んできた。

 これに対するに、社・公・民・社民連の野党四党は、私の二十年余の国会経験のなかでいまだかつてない結集をもって対決した。果たして野党は固いスクラムを組んで中曽根政権の暴挙を阻止しうるのか――当初、だれもが一抹の危惧を抱いていたと思うが、野党は終始変わらぬ固い結束によって売上税導入とマル優廃止を粉砕することに成功した。このような野党四党結集ができたのも、四年数カ月の中曽根政治によってもたらされた日本の現状に対する深刻な認識が野党各党に共通してあったからだと私は思う。


 政策的一致をいかに求めるか
 野党間にはたしかに政策上の違いがあり、ことに社会・民社間には相当の隔たりがある。そのなかにあって、公明党が野党結集のためにこれまでねばり強く果たしてきた役割は非常に大きい。公明党は社・民の間にあってこれまで多くの苦労を重ねてきたが、今回の売上税粉砕のための結集にしても、公明党のこれまでのかなりの長期にわたる努力が土台にあったことを忘れてはならないと私は思う。

 また、政策についても、公明党がいま展開している政策の枠組み、あるいは幅――このあたりが社会党と民社党が政策的に大きく一致するひとつの土台たりうるのではないか。換言すれば、野党が大きく統合する姿をつくっていくためには、公明党が展開している政策がひとつの重要な要になるという認識を私はもってきた。

 と同時に、全民労協は毎年「政策・制度要求と提言」を発表しているが、これも大枠としては、野党が政策的に大きく結集するひとつの枠組みになると私は認識していた。

 また、今回の売上税粉砕のための野党結集が成功したもうひとつの要因として、社会党が石橋・田辺執行部のもとで、「新宣言」をまとめていたことも忘れてはならない。そして、この新宣言路線のもとで社会党の政策が肉づけされていくならば、公明党が展開している政策の枠組み、あるいは全民労協の「政策・制度要求と提言」をひとつの拠りどころとしながら、若干の相違点はあったとしても、順次、政策的なまとまりをつけていくことができるのではないか――私はそのような認識をもっていた。


 社民連の二分会派をめぐって
 
一方、われわれ社民連は、昨年のダブル選挙以降、国会内会派として社会党に二名、民社党に二名加わるという前例のない二分会派の形をとっている。ダブル選挙以前にも中道三党の国対は密接な連携を保ち、そして公明党を媒体として社・公・民・社民連の四党国対もしばしばもたれていた。そのうえに立っての二分会派だったわけだが、二分会派をつくるにあたっては、当時の社会党・山口国対委員長、公明党・権藤国対委員長、民社党・小沢国対委員長とわれわれの間で、国会内会派をどうするか、プライベートな協議を行っていただいた。

 その際、実は、われわれ社民連の当初の方針は、民社党は二名必要ということから民社党には二名、あと二人は社会党と公明党に一名ずつ国会内会派として加わるという三分会派の形をとることだった。ところが、最終的には権藤国対委員長を通して、“公明党はほぼ現有勢力を維持しえたから、四名しかいない社民連がそこまで気配りすることはない”という当時の竹入公明党委員長の判断が伝えられ、われわれはいまのような二分会派の形をとったのである。

 そのような経緯を経て、ことし一月には野党四党による売上税粉砕協が結成され、今国会の最終段階では野党四党は足並みを揃えて牛歩戦術をとった。とくに民社党の場合、従来、牛歩戦術とか審議拒否はしないという党是をもっていたが、今国会においては、国民の大多数が売上税導入に反対している状況下、国会内の戦術として牛歩戦術が有効であるとして積極的に牛歩戦術に踏み切った。これまで、ともすれば社会党、公明党と民社党の間には国会内の戦術をめぐって若干のズレがあったが、今回は寸分のスキもない結集がはかられたのである。

 また、売上税をめぐって国会が緊迫している最中に行われた統一地方選挙では、野党は全体として勝利し、とくに社会党は大勝利をおさめて、売上税粉砕闘争に大きなはずみをつけたことは周知のとおりである。

 「田辺・春日会談」「春日・山岸会談」

 二つの会談が行われた背景
 売上税廃案が確定的になったあと、民社党の春日常任顧問は四月二十八日の『週刊民社』のコラムに、“売上税でこれだけ団結した野党は、その教訓を将来に発展させる必要がある”という趣旨の一文を書かれた。春日常任顧問は、率直な言い方をすれば、従来、社会党とは相容れないというスタンスをとってこられただけに、私はこのコラムにおける同氏の一文に非常に注目した。

 ついで、五月八日の読売新聞に「野党結束が売上税粉砕/続けたいスクラム/将来に向かい現実路線で」という見出しの春日常任顧問のインタビュー記事が載った。ここで春日常任顧問は、『週刊民社』での論議をさらに発展させ、“小異を残して大同につく心構えで協力し合っていけば、将来に向かって野党政権の展望が開けてくる” “売上税のけじめがついたら、……現実路線に立ってスクラムを組もうとの話し合いができる。そんな雰囲気が醸成されつつある”と述べられていた。

 この前の五月七日の同紙には、社会党書記長の田辺誠氏のインタビュー記事が掲載されていたことでもあり、田辺氏もこの春日常任顧問の発言を関心をもって読まれたことであろう。つまり、春日氏は社会党とは相容れない方だと思っていたら、売上税結集のスクラムをさらに発展させようといっておられる、と。ここから、おそらく、田辺・春日対談がまったくプライベートな立場でもたれるようになったということだと思う。

 また、これまた話題になった春日・山岸会談については、山岸全電通委員長は、かねてから野党結集のために社会・民社は和解をすべきであるとの主張を高く掲げられていた。すなわち、社会党と民社党がことごとに背中を向けあっていたのでは野党結集はできない、社会党と民社党は歴史的和解をすべきである、と強く主張されてきた。したがって、山岸氏も春日氏の一連の発言に注目され、会談をもたれたのではないかと思う。


 江田三郎さんの墓前にて
 もうひとつの出来事として、五月二十四日、岡山県において江田三郎さん没十年墓前供養が行われた。この没十年の墓前供養にあたって、私たちは社・公・民の江田さんゆかりの方々に参加してくださるようお願いしたところ、当日、社会党からは多賀谷衆議院副議長、山口書記長、田辺前書記長をはじめ十数名の国会議員が出席された。また、佐々木・前民社党委員長とともに「新しい日本を考える会」などを通じて江田さんと深い関係にあった公明党の矢野委員長は、訪中を控え準備に追われて墓前供養には参加されなかったが、生花と心のこもった長文のメッセージを寄せてくださった。民社党からは、佐々木前委員長は所用のために参加されなかったが、永末副委員長が参加してくださった。

 そして、江田さんの墓前で、多賀谷衆議院副議長、山口書記長、永末副委員長、田辺前書記長らがこもごも立って、“われわれ野党はこの結集を発展させて大きく団結し、自民党に代わるべき政権をめざして全力をあげる”と挨拶されたのであった。これも、いま野党が野党結集に向けて動きだしているひとつの雰囲気を象徴していると私は思う。


 社・民の和解は時代の要請
 ただ、田辺・春日会談、春日・山岸会談があのような形で明るみに出たことはあまり好ましいことではなかったと私は思う。というのは、田辺氏にしても、春日氏にしても、党内でこれからいろいろ相談をしながら積み上げていく時間が必要だったろうと思う。田辺・春日両氏とも現在は比較的フリーな立場にあるとはいえ、党として今後にどのように対処していくかということにつながっている以上、この問題は当然、将来は執行体制のなかで考えなければならなくなってくるからだ。

 また、従来から社・民の歴史的和解を訴え、それを全電通の運動方針として謳っている山岸氏にしても、そのために実際に動くについてはいろいろ相談しなければならないところがあったことだろうと思う。

 そのような手順が踏まれる前に明るみに出たため、運び方に若干の狂いが生じたといえるが、しかし、大きな流れとしては、社・民の和解、野党結集は時代の要請であると私は確信している。

 その際、全民労協議員団の存在と役割は非常に大きなものがあると思うし、さらにまた、労働界全体の統一をひとつの土台にしながら、市民レベルのエネルギーをいかにして大きな統合・結集の土台にしていくか――国民レベルのまとまりのうえに野党結集をはかっていくことがきわめて必要だと私は考えている。

  野党結集に向けて

 大同につくことを第一議として
 社・公間で政権協議が再開されたが、これはきわめて大き意義をもっている。なぜならば、社会党と公明党が政策課題を中心として、さらにもっといえば戦略構想まで含めて大きな政権構想がまとまっていくことが、野党結集のひとつの拠りどころになっていくからである。当然、公・民間でもさらに話し合いが進められるだろうし、十一月の「連合」結成を機に労働界全体の統一もさらに進んでいくだろう。その間に社・民の雪解けが加速されていけば、野党結集は大きなうねりになる。その意味で社・公の政権協議は重要であり、ぜひ大きな前進の実を出してほしいと願っている。

 前述したように、野党間にはたしかに安保・自衛隊、対韓政策、原発などの基本政策をめぐってかなりの差異がある。しかし、今回の売上税粉砕、マル優廃止粉砕の教訓を野党が大きく生かすならば、春日常任顧問がいわれるように、“小異はお互いに飲み込んで胃の腑でこなしていこう。大異は凍結して棚上げしながら順次解決していくようにしよう”という対応ができるはずである。

 自民党をみても、ハトもいればタカもいる。また、経済政策では積極財政論者もいれば緊縮財政論者もいる。その相違は大変大きなものがある。したがって、野党が政権をめざすのならば、小異を残して大同につこうといういまの流れは現実のものになっていくのではないだろうか。

 事実、大久保公明党書記長は、五月十六日の読売新聞でインタビューに応えて、“社・民の歴史的和解はわれわれのもっとも歓迎するところだ”と端的に指摘し、さらに社・公・民でシャドウキャビネットをつくろうということまで提唱されている。これは私たちとまったく同じ認識であり、意を強くしている。


 野党の選挙協力に関して
 また、この三月に社・公・民の各委員長と私たち社民連で党首会談をもたせていただいたとき、矢野委員長は次のようなことを強調されていた。つまり−

 《三〇四議席対二〇〇余議席という一〇〇議席近い差がある状況を次の選挙でどうするか、これが最重要の課題だ。野党が二〇議席程度を取り戻すことは考えられても、五〇議席、六〇議席をひっくり返すのは一筋縄ではいかない。したがって、これはまだ公明党のなかでも私見だが、とくに野党空白区では、全民労連ができることでもあるし、野党は団結して闘っていくことを考えてはどうか。

 その場合、できることならば無所属候補を立てて野党が全体として協力し合う形がいいのではないか。原籍は社会党でもいい、公明党でもいい、民社党でもいい、社民連でもいいが、それぞれ党公認候補ではなく、無所属として野党全体で推薦して闘うことができれば、もっと成果があると思う》
 と。

 また、私は民社党会派にいる関係上、春日常任顧問のお考えを聞く機会があったが、同氏は選挙協力に関して次のようなことをいわれていた。つまり−

 《国政レベル選挙で時期が決まっているのは二年後の参議院選挙だ。これがダブル選挙になるのかどうかわからないが、参議院選挙で考えると、一人区が二十六もある。この一人区で野党が団結しなければ、「自民党さん、どうぞ議席をとってください」というに等しい。野党が団結して二十六の一人区で闘えば、一〇くらい取るのは決して夢ではない。

 また、二人区にしても自民党独占区がたくさんある。これも野党が団結すれば相当の可能性がある。三人区、四人区の場合は各党揃い踏みのような性格があるが、それでも選挙区ことにある程度話し合うことも可能ではないか》
 と。

 このように、それぞれ私見であるにせよ、二年後の国政選挙に向けて野党の選挙協力が構想されているのであり、ここにも野党結集の大きな流れをみることができる。


 野党結集と社民連の役割
 率直にいって、社民連が政党として大きくなり、独自で日本政治革新のために役割を果たすということは容易なことではない。われわれの念願は政権をめざした野党結集ができあがることであり、野党結集が大きく進むならば、われわれはいつ砕け散ってもいいと考えている。砕け散るときには野党結集に向けて大きなエネルギーを出す――これがわれわれの歴史的な役割ではないかと思う。

 前述したように、社・公・民結集のために公明党が果たす役割はいろいろな意味で非常に大きいが、われわれも分をわきまえながら、いつ砕け散ってもいいという覚悟で誠実な努力をしていきたい。野党結集にあたってはリベラル派の結集という幅のあるものが望ましいという声があり、われわれもそれに同感なのだが、いずれにしても、全体として前に進んでいけるよう、なしうる役割を全力をあげて遂行したいと思っている。

  「連合」結成と野党再編

 先進国型の政治・経済社会にあっては、勤労者・サラリーマンは社会の主役にならなければならない。しかし、残念ながら日本の労働運動はかなりの長期にわたって主役ではない場におかれてきた。しかしいま、労働運動の復権に向けて大きな流れが生まれている。つまり、「連合」結成から全的統一へという流れであり、この流れはもはや定まりつつあると私は思う。労働運動が国民社会のなかで責任と使命と役割を果たすためには、労働界の統一は不可欠だからである。

 ただ、労働運動の復権といっても、昔のイデオロギー先行型に戻ることはない、国民的な観点に立つ政策・制度要求とその実現のための運動を紬にして――要するに「政策と力」によって国民的な大きな結集の柱を形成していく。これこそがこれからの労働運動に期待されていることであり、日本の労働運動もそのような歩みをすでに始めているのである。

 労働界がそのような努力を積み重ねているなかで、労働運動と密接な関係にある野党がバラバラであってはならない。野党がバラバラであるかぎり、大同団結に向けて真摯な努力をしている労働界の足を引っ張ることになるが、これまで述べてきたように、野党結集に向けて野党にもひとつの流れが生まれてきた。この流れを大きな潮流にしていかなければならない。

 労働戦線の統一から野党戦線の統一へ― これは江田三郎さんの持論だったが、現実はまさにそのように進もうとしている。本誌(『社会労働評論』)七月号で永末民社党副委員長が指摘されているように、「(政党を)支える労働組合が溶けあった形でひとつになれば、複数の政党はいらない」。そのためには、再三述べるように、基本政策における乖離を順次なくしていかなければならないが、この点でも全民労連(「連合」)がひとつの役割を果たしていくのではないかと私は考える。

         (1987年6月16日)
社会労働評論八月号掲載


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