江田五月 活動日誌 2001年3月(26〜31) | >>日程表 |
今日は、10時から予算委員会。23日の峰崎さんの質問から始まった締めくくり総括の続きです。土、日に、広島地震と森首相の訪ロがあり、その関係の質問から始まって、不良債権処理問題など、厳しい質問が続きました。
12時前に一時中断して、議員総会と本会議。「公立義務教育諸学校の学級編成及び教職員定数の標準に関する法律等の一部を改正する法律案」という同じタイトル出されたで、内閣提出と参議院議員提出の2法案が議題です。民主党を代表して石田みえさんが、穏やかな口調ながら、しっかりと筋の通った質問をされました。
終了後13時20分から、法務理事懇談会で、明日の委員会の持ち方を決定。13時35分から、裁判官弾劾裁判所の裁判員会議。
14時から予算委員会再開。15時半過ぎに質疑を終了し、野党3会派提出の修正案を否決、原案を可決。直ちに議員総会と本会議。修正案、原案の記名採決をし、17時半、全て終了。
明日からの打ち合わせなどのあと、会派の役員で一杯やりました。
今日は、8時からNC法務部門会議とコーポレートガバナンスPT(日野市朗座長)の合同会議。論点は、(1)株主代表訴訟の位置づけ、(2)責任軽減、(3)補助参加、(4)訴訟提起できる株主の範囲ですが、単なる便宜主義的利益考量ではなく、本格的な会社運営理論が必要ですし、あるべき市民社会モデルの中での会社の姿も、しっかり考えなければなりません。
9時から、NC法務部門会議と内閣部門会議の合同会議。「危険運転致死傷処罰法案」の検討。危険運転が原因となって事故が起きたと構成するのかどうか、議論になりました。中座。
10時から、財政金融委員会に出席し、野党4党を代表して、共同提案したNPO税制法案の趣旨説明。10時半から11時45分まで、櫻井充さんの質問に対し答弁しました。やはり、内閣提出の法案は、欠陥だらけだと思います。同時刻の常任幹事会は欠席。
12時から常任役員会。国会役員会や常幹の報告。笹野貞子さんの離党が認められ、会派を離れます。寂しいことです。
12時50分、法務理事会。13時過ぎから2時間弱、法務委員会。裁判所関係2法案につき、千葉景子さんが質疑。全会一致で可決。附帯決議を付けました。次いで、衆議院議員提出の「債権譲渡円滑化法案」と「土地再評価法案」の趣旨説明。質疑は29日です。
終了後、岡崎トミ子さんにお願いした総務委員会でのNPO関係の地方税法改正案の審議に顔を出し、15時半に財政金融委員会に戻り、大淵絹子さんの質問に答弁しました。中座。
17時から1時間、緊急の常任幹事会。22日に離党騒ぎを起こした田中甲さんが、15時に離党会見をしたので、その対応の協議です。労組依存をやめようとの主張は、甲さんの言うほどかどうかは別として、納得できる点もあります。民主党のために献身的努力をしてきたことも、評価できます。しかし、党の命運をかけた選挙の最終盤に、何の脈絡もなく、やみくもに離党を振りかざし、遂に聞く耳持たずで離党を強行することは、政党幹部の採るべき行動ではありません。除籍相当との意見を付して、倫理委員会に付託し、早急に結論を出すようお願いすることになりました。参考:「離党にあたって」田中甲
今日は、9時半から議員総会。10時から本会議。年度末で期限切れとなる法律を延長する法案など、3月31日までに成立させなければならない法案を、「日切れ法案」と呼び、3月末はその処理に追われます。今日も、裁判所の職員定数法案(4月1日の採用が出来なくなる)など、12法案が成立しました。
内閣提出の租税特別措置法改正案は、賛成122対反対91で可決成立。従って、NPO税制は政府案のとおり成立したわけです。4野党案は、2委員会で審議中のまま、会期末に廃案ということになります。次は国民が、選挙で答を出す番です。
国会同意人事の採決では、情報公開審査会委員の内、清水湛さんが賛成125体反対89で、批判が目立ちました。少年事件で話題の草加事件で、最高裁で破棄された東京高裁判決を下した裁判長です。
11時過ぎ、山形の阿部昭吾元代議士。お元気です。12時から、国対・理事合同会議。15時から、民主党憲法調査会の打ち合わせ。
15時半から、国内人権機関設置WTの会合。私が座長、福山哲郎さんが事務局長です。湘南ふくしネットワークオンブズマンの相川裕弁護士、DPIの金政玉さん、自立センターの樋口恵子さんからヒアリング。障害者はいつも差別されていて、「あきらめ上手」になっています。訴えを待っていては、人権救済は出来ません。
17時半、NC男女共同参画・人権・消費者部門会議に遅れて出席。DV法は「配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律」という法案がまとまり、成立へ向かっています。危険情報の公表につき、議員立法を考えていて、田島純蔵弁護士からヒアリング。
薬害エイズの安倍被告に無罪判決。刑事事件は、社会の要請で有罪無罪を決めるわけには行きません。しかし腑に落ちないところがあります。(1)予見可能性の判断は、血友病の最高権威である安倍被告にとってであるはずなのに、「当時は危険認識は浸透していなかった」などと、一般の血友病専門医にとっての判断をしたのではないか、(2)結果回避義務の判断で、生命への危険と投薬の利便性とを比較衡量する際、ウェイトのかけ方に誤りはないかです。医療の敢行性は当然ですし、行為時の知見での判断で良いのですが、その判断が正しいかどうかは、法律判断であって、安倍被告の判断を鵜呑みにしてはいけません。
今日は、8時からNC法務部門会議。小宮山洋子さんがDV法を説明、了承。参議院の共生社会調査会長の提案で、法務委員会に付託され、今国会で成立の運び。画期的なことです。
8時15分から、法務部門会議、NPO委員会等の合同会議で、「中間法人法案」につき法務省と雨宮孝子教授からヒアリング。法人法制の一般法は民法ですが、時代遅れになっています。ところがこのの改正は放置したまま、特別法ばかりを積み重ね、つぎはぎだらけになっています。さらに非営利・非公益の小規模法人のために特別法を作るより、非営利法人の一般法を作って整理する方が適切。しかし同好会や同窓会などに、それまで待てというのも酷でしょう。
9時15分から、司法制度改革WT。最高裁から裁判官制度改革につき説明聴取。良いことは言うのですが、改革の手順が必要です。
9時50分、法務理事会。10時、法務委員会。衆法2法案につき、小川敏夫さんが質疑し、12時過ぎに採決しました。
12時20分、国のかたち研究会。私から問題提起しました。民主党は、千葉県知事選の結果と田中甲さん問題を、深刻に受け止めるべきです。つまり時代は、明らかに市民政治の流れが奔流となってきたのに、民主党は岸辺に立ちすくんで流れを眺めている状況です。その上、甲さんの行動で、民主党がこの受け手になれないと、市民に見られています。民主党の自己認識と市民の認識の間に、大きなずれが生まれつつあります。このまま手を拱いていると、参院選の結果はそのずれをさらに決定的にすることとなり、その先の総選挙の展望はなくなります。早急に、民主党こそが市民政治の担い手であることを、行動で示さなければなりません。
1時半、「ハンセン病問題議員懇談会」の設立総会に関し、記者会見。2時から、民主党憲法調査会の役員会。作業部会の役員を一部変更。3時から、第1、2作業部会合同で、高橋和之教授から「国民内閣制」の話を聞きました。明治憲法の2元型議院内閣制から、新憲法で1元型に変わったことを徹底させることが大切です。
5時から日笠勝之法務委員長主催の立食懇親会。6時から、家西悟さん主催の「血液事業法制定に向けて」のシンポジウム。(1)献血による国内需給体制、(2)安全監視体制、(3)救済制度の確立がポイントです。7時から夕食を取りながら地元問題の協議。
今日は、8時から菅幹事長の主宰する勉強会。第3回目で、講師は佐和隆光教授。イギリスのトニー・ブレア首相のブレイン、アンソニー・ギディンズの「第三の道」の訳者です。今日は「21世紀日本型資本主義は何処へ行く」という題で1時間、聞きごたえのある話でした。平等を「包摂(inclusion)」と、福祉を「リスクの共同管理」と、再定義しようという主張で、単なる中道でなく、やはり「止揚」ですね。国家の「上方統合」と「下方拡散」も同感。お許しをいただき、レジュメをHPに載せました。
9時半、議員総会。10時から30分間、本会議。私の担当の法務委員会ほか9委員会で通過した12法案とNHKの予算案が議題で、すべて可決、成立しました。公立の小中高校で少人数の学級編成を認める法律が成立しましたが、これは例外的に、そうしてもいいというだけで、見かけ倒し。教育改革にはなりません。しかし、私たちの提案した30人学級法案は店晒し。やはりこの政権では、改革は出来ません。
昨夕、月曜日の本会議で「犯罪被害者等給付金支給法改正案」に対する代表質問を依頼されました。週末を挟むので、今日の夕方には、質問原稿を提出しなければなりません。改正される法律は、もともと私が、1977年に参議院議員に当選して、最初に手掛けたもの。思い入れもありますが、急なことで、パソコンに向かって悪戦苦闘。「包摂」と「リスクの共同管理」の考え方で、みんなの手助けもいただきながら、19時にやっと仕上げました。
途中、都内のスタジオに出向き、新人の立候補予定者と写真撮影。良い表情で撮れました。私はその間も、時間を見つけて片すみで原稿の推敲でした。最終新幹線で、帰岡。
今日は、12時過ぎの新幹線で岡山駅に到着する福山哲郎参議院議員と武山百合子衆議院議員を出迎え、13時から16時まで3人で、邑久光明園と長島愛生園の視察を行いました。
民主党に昨秋、ハンセン病問題WTを立ち上げ、私が座長となりました。このチームで分担して、全国の療養所を視察する計画を立て、そこへ、自由党の武山さんが、合流を希望されたのです。
光明園では、牧野園長から若干の説明を聞いた後、監禁棟、標本、慰霊塔を見て回り、自治会の皆さんと懇談。附帯決議の遵守と看護婦による夜間介護を要請されました。少年棟跡にも寄りました。
監禁棟は、療養所長の懲戒権のために設けられ、昭和20年代まで用いられました。懲戒は、何の手続きもなく、苛烈を極めたようです。標本には、かなり大きな胎児も何体もあり、死産というのは不自然。帝王切開なら、呼吸を始めた可能性は十分あるというのが、同行したご近所の田淵雅子さんの話。ハンセン病が遺伝ではなく、細菌感染だというのは、当時でも当然分かっていたのに、なぜこのような処置が許されるでしょうか。
愛生園では、中井園長から若干の説明を聞いた後、収容棟、監房跡、慰霊塔を見て回り、自治会の皆さんと懇談。国家賠償訴訟の原告にならない皆さんへの理解も求められ、超党派の議員懇談会への期待が寄せられました。
その後、訴訟の原告や弁護士さんたちとの話し合い。16時からは、時間の都合上私だけ残り、17時まで生の声を聞きました。さらに17時半まで、弁護士さんや役員の方と懇談。
18時から、森本徹磨県議の県政報告会に参加し、30分ほど国政報告。石田みえさんも大変元気でした。
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