2001年12月18日 目次 1     戻るホーム憲法目次

民主党憲法調査会「中間報告」 (第一作業部会:総論)

民主党憲法調査会(会長:鹿野道彦)


新しい国のかたちと日本の憲法の姿
−第一作業部会「中間報告」−

T.いま、なぜ論憲か。

 私たちは、半世紀以上も荒波に耐えてきた憲法の柔軟性、そのしなやかさに改めて驚く。それはまた、如何に現在の日本国憲法が国民生活と国民意識の中に深く定着してきたかを示唆している。

 私たちは、日本国憲法は戦後の平和国家日本の確立と持続に極めて大きな役割を果たしてきたと受け止めている。日本という国が長い平和を享受することができたということにとどまらず、人権意識や民主主義をこの国に深く根付かせることができたのも、日本国憲法という土台があってのことである。それどころか、国際平和を願う日本国民の感情を広く世界に伝える役割も充分に担ってきたと自負している。

 だが、私たちは、その一方で、憲法の運用において惰性に流され、曖昧さのつきまとう憲法解釈のままに、国際社会の要請や時代の変化に鋭く反応する気概をこの国の人々から喪失させているのではないかとの一抹の懸念も抱いている。他国の紛争はともかく、「日本が平和であればそれでよい」といった偏狭な一国平和主義や、他人のことはともかく、「自分のやりたいことをやっていればいい」といった極端な個人主義を産み落としてきたのではないかと心配している。

 とりわけ、90年代を迎えて、世紀末転換期に応えるかのように、情報化、グローバリゼーション、地球規模での市場経済化などが一気に加速した。政治的には、ポスト冷戦時代の新しい国際秩序の構築を模索するときを迎え、社会的には、移民の増大や一層の南北格差の拡大、そして地球環境問題の切迫化などの挑戦を受けている。
 この新たな変化に、日本はどのように応えていくのか。受け身ではなく、自らの主体性と自発性で、能動的に国際的責務を果たしていくべきではないか。新しい世紀にふさわしい国家戦略の確立と展開が求められている。

 国内にあっても、経済の長期低迷のみならず、倫理観の変化や教育の荒廃を受けて、安心・安全・効率の社会が脅かされている。遺伝子治療やいわゆるインターネット革命がもたらす新型社会犯罪の発生などのように、「未知との遭遇」ともいうべき新たな不安にも直面している。政治の分野では、政官業の癒着を生み出してきた中央集権型国家から市民参画型の分権型社会への転換が求められている。自由な市場の活性化と同時に、市場の暴走を制御する新たなルール作りも必要だ。

 私たちは、戦後日本が自分たちの憲法を制定する歴史的場面に立ち向かいながら、自ら持てる知力のすべてを出し尽くし、その成立のために実に生き生きとした議論を戦わせてきたことを知っている。いま一度、この国の活力を信じて、日本という可能性に充ちた社会の再生に向け、活気ある憲法論議を巻き起こし、21世紀の新しい日本にふさわしい憲法のあり方を大いに議論するときを迎えていると思う。

 そもそも、国のかたちの骨格をなす憲法は、世界の変化にも動じない普遍的な原理をうち立てるととともに、新しい課題にも対応できる優れた対応力・包容力も持っていなければならない。常に歴史を振り返り、新しい課題に挑戦する進取の気風をもって憲法をも議論のテーブルにのせる能動的な姿勢が、いま必要だと考えている。

 日本国の憲法をどのように議論すべきか。それについて、私たちは、第一に、日本という国のあるべき姿を描き、第二に、その望ましい姿を構造的に創りだす基本法としての憲法のあり方を検討するべきだと考えている。
 
ここに提案する草案は、そのための議論の素材として、新しいビジョンを提起し、この国のあり方の方向を示し、そして憲法について私たちは何を討議すればよいのかを投げかけるためのものである。民主党が主張する「論憲」を真摯に推し進めるための問題提起にほかならない。


U.21世紀の新しい日本のかたちを創り出すために

1.豊かな可能性を持つ国・日本を生かす。

 日本は、長い歴史と豊かな自然と変化に富んだ四季に育まれた文化や伝統を持つ魅力あふれる国である。この国には、世界に誇ることのできる勤勉で誠実な人々がいる。この優れた特性を生かし、国民と共に、21世紀の新しい日本、「最良の国・日本」を築いていくべきである。

しかし、今日の現実は、長い不況と将来への強い不安から、日本社会は黄昏時を迎えているのではないかとの声を生み出している。日本はかつての元気をなくし、自信喪失に陥っているかのようであり、少子高齢社会の到来や終身雇用制の動揺、急速な情報社会化、市場主義の蔓延が国民生活の将来に不安をもたらし、これに教育の荒廃やモラルの崩壊、猟奇的犯罪の発生などが伴って、このままでは、日本社会の土台が崩れるのではないかとの不安も生まれている。

 この国にいまもっとも必要なことは、社会の再構築だと言わねばならない。経済の停滞も深刻であるが、長期的には日本社会の基礎体力の衰弱そのものが課題となっている。経済はもとより、この「社会の再生」にチャレンジすることが、いまこの国に最も求められている課題である。
 社会の再生なくして、少子高齢社会に対応する社会サービスの確保も、市場社会や官僚世界に蔓延しているモラル・ハザードの防止も、教育再興も実現することはでない。いまこそ、「強靱な社会の構築」が何よりも優先されなければならない。

 個人の自立と確かなモラルによって支えられた共同社会(コミュニティ)に基礎を置き、国民一人ひとりの自由な創造性が発揮される社会、すなわち「最良の国」日本の実現を私たちはめざすべきである。世界に向けても、日本は、「最強の国」でも「最大の国」でもなく、文字通りの「最良の国」になることを高らかに宣言することが必要だ。それは、世界の国々や人々から信頼され、世界とともに行動する日本となることに他ならない。

 国のかたちを構想するとき、何よりも必要なことは、国民と国民のエネルギーを信頼することから始めることである。時代の転換期に臨み、社会の再生に向けて改革すべき点を大胆に変革する勇気と、国民に基礎を置いた新しい政治が確立されるならば、日本は生まれ変わることができると私たちは信じている。

 日本は、実に可能性に満ちた国である。古代以来、中国・朝鮮半島やオランダ、南東アジアなどとの交流を経て豊かな文化を築き上げ、近代においてもヨーロッパ先進諸国の文物を積極的に輸入しつつ日本文化に一層の厚みを創り出してきた国である。それは、対立と排除の文化ではなく、「融合の文化」、「重ね合わせの文化」であり、いわば絶えずそのイノベーションを受け入れる「寛容で柔軟な文化」であった。ここに、いわゆるリベラリズムの源流を見ることができる。この多様性に満ち、新しいものを受容する進取の気風あふれる「柔軟な文化」を糧に、その可能性を新しい時代に向けて切り拓くならば、必ずや世界にも誇れるすばらしい「最良の国・日本」を創造することができると確信している。


2.個人の自立と共同による「社会の再生」をめざす

 私たちは、不公平を拡大し、人々に不安と不満をもたらす弱肉強食社会に通じる「市場万能主義」にも、依存心を増長し、個人の尊厳と自立した人格の破壊に通じる「福祉国家至上主義」にも与しない。市場原理の機能を強く支持しているが、社会と政治の積極的役割についても重視している。特に、市場主義と利己主義の行き過ぎは社会のモラル基盤を危ういものとし、不公正や不平等を放置するゆがんだ構造を創り出すことにもなる。
 私たちは、個人の選択の自由を広く容認しつつも、ルールを守ることや社会を支えるモラルを大切にする立場に立つ。

 21世紀は、国際人権の時代とも言われている。世界のどこに暮らす人々であっても、大量の人権侵害が繰り返される状況については、国際的な規模でこれを防止しその支援を行う時代である。私たちは、日本がそうした国際活動に率先して大きな役割を果たせることを望んでいる。国内外を問わず、人権や個人の尊厳が尊重される新しい社会の姿を追求していく。
 私たちは、個人の自由な選択が保障される社会の形成につとめる。それとともに、国民生活の安心と安全が守られるセーフティネットの整備に徹する。「経済には可能な限りの自由を、生活には最大限のセーフティネットを」である。「自由で安心な社会」の構築が私たちの基本目標なのである。
 これからの日本は、人と人、男と女、国と国、人間と自然等の間の「対等」「互恵」を基本に、「自立」と「共生」が織りなす社会の実現をめざしていくべきである。「自助」も「公助」も必要だが、何よりも人々が互いに結び合い助け合う「共助」の世界を大切にする社会を築くべきである。

 これらの基本理念を形に変えるため、私たちは、新しい政治手法として、「新・民主主義」の確立を提唱したい。政府にすべてを依存し、行政の対象者として位置づけられた受益者民主主義や請負型民主主義を脱却し、義務よりまず権利が先行するという戦後民主主義の弱さを克服して、人々が共に支え合い、すべての分野で「国民一人ひとりが主役となって自ら参画し責任を負う新しい民主主義」の時代を切り開くことである。


3.分権連邦型国家を創り出し、新しい民主主義を確立する。

 私たちは、21世紀日本の姿は、分権連邦型国家でなければならないと考えている。明治維新以降のわが国は、文明開化・軍国主義・戦後復興という三段階のプロセスを通じて、欧米に「追いつき追い越せ」という目的の下、中央政府が権力を独占し、地方自治体は、その補完的役割を担わされてきた。しかし、権力の集中を必要とするキャッチアップが実現されたことで、その役割も終わりを迎え、今日では官依存の風潮を残す弊害だけとなっている。
いまや、個々の住民の多様なニーズに対応でき、住民による参加と監視がより容易である地方自治体こそが、行政の主役としての地位を占めるべきときである。「地域のことは地域で決める」「自分たちのことは自分たちで決める」という国民主権と民主主義の原点に立ち返り、「分権連邦型国家」への転換を大胆に進めていくべきだと考える。

 また、国民の「知る権利」に基礎を置いた情報公開の徹底があって初めて民主主義が十分に機能し、国民の自由な力が発揮できる。分権改革と情報公開の徹底は、まさに、新・民主主義革命にとって不可欠な条件である。

政治が行政をコントロールし、その政治を国民が選挙を通じてコントロールすることによって、初めて「国民主権に基礎を置く政府」が実現する。時代はいま、必要な改革を迅速に実施する強い政治のリーダーシップを求めており、国民はまた、政策決定過程が透明で、官僚の抵抗によって改革が骨抜きにされることなく、国民のための政治が展開されることを望んでいる。首相権限の明確化、政治主導の省庁運営の確立、行政監視能力の強化、さらなる情報公開の実現、行政改革の徹底推進などを可能とする新たな統治制度を検討すべきである。


4.国際社会と協働する「平和創造国家」日本をめざす。

 私たちは、国際社会を与件として、これに依存する国の姿をかえなくてはいけないと考えている。日本は、これまで日米関係を重視するあまり、自前の対外政策と自己主張を持たず、世界の国々から「顔の見えない国」として見られてきた。しかし、日本は、世界平和の中でしか生きられない国である。資源小国であり、国際交易の利益を大いに享受している日本にとって、世界平和はまさに国の存立基盤そのものなのである。それはまた、国際平和と国際社会に信を置き、未来を切り開くことを決意した戦後日本の出発点でもあった。
 「平和を享受する日本」から「平和を創り出す新しい日本」へ、すなわち「平和創造国家」へと大転換していくことが重要である。

 とくに、国連の効率的体制の確立に日本自らその積極的役割を果たすとともに、国際平和の創造により有効な活動ができるよう国連活動の活性化に取り組んでいくべきである。
 冷戦時代の終わりとともに、世界に開かれた海洋国家でもある日本は、自らの創意工夫で、新たな地域的平和秩序の形成に挑んでいくべきときを迎えている。とりわけ、「アジアの中の日本」の地位と役割を明確にし、アジア太平洋地域における外交的リーダーシップを発揮していく必要がある。

 今日の世界は、いわゆるグローバリゼーションの大波の中で、民族や国境を越えたコミュニケーションを促進する一方、米国もしくは先進国の「一人勝ち」状態を定着・加速させ、地球規模の不公平と不安を拡大している。こうしたことが、他方でのリージョナリズム(国境を越えた地域主義)やローカリズム(地方主義)、民族主義の復興、原理主義の活性化をもたらしている事実にも目を向ける必要がある。
 私たちは、平和主義と人権保障を掲げ、経済的な先進国でもある日本が、このグローバリゼーションが生み出す地球規模の新たな課題にも果敢に挑戦し、その解決に向けて率先して取り組む国となるのを望んでいる。


V.今日における憲法論議の前提条件と基本的な課題

 憲法は、その国の「統治機構」のあり方および普遍的な「人権保障」を明示し、その下における国のかたちを方向づける基本法である。わけても近代憲法は、「国制」選択の結果を確定する重要な役割を担ってきた。すなわち、君主政体か共和政体か、国権主義か民主主義かを決する重大な意義を近代憲法は担い続けてきた。

 従って、それは第一義的に、「国民国家の創設」もしくは「再建」の基盤的枠組みとして機能するものとされてきた。すなわち併存する国家間対立の世界における国の独立を確保するという歴史的使命をも担って、国民統合の実現と国民主義(近代ナショナリズム)を形成する枠組みとしてそれは機能してきた。近代日本では、明治の大日本帝国憲法、戦後の日本国憲法制定時に直面した歴史的局面である。

 しかし、21世紀初頭における憲法論議は、そうした国民国家創設及び再建の時代とは異なる国際政治もしくは国民的課題に直面している。

 そもそも、それはいまや「国制」の選択として役割を期待されてはいない。少なくとも、成熟した産業国家においては、民主主義は国と国民生活の与件であり、国民国家という枠組みを確保するという課題はもはや過去のものとなっている。第二に、国という枠組みの下で、ナショナリズムを発揚し、国民意識とその共通言語=国語を確立するという歴史的使命もまた、過去のものである。

 そして、こうした事情が、今日の憲法論議を激しいイデオロギー対立とは異なる次元での、いわば政策的・戦略的レベルでの論争スタイルを求めている背景ともなっている。われわれは、国粋主義に立ち返る守旧的な憲法論議にも、憲法論議をあたかも国制選択の問題として和解できないイデオロギー対立の問題としてのみ取り扱う思考にも組みしない。

 では、今日における憲法論議は如何なる視点から展開されるべきであろうか。以下の諸点について、その基本的方向性を整理する必要があると考える。


1.新しい課題と国家の役割についての再定義

 私たちは、いま、地球環境問題やグローバリゼーションの光と影、個人の自己決定の尊重とモラルの確立、表現の自由と映像及び言葉の暴力とのバランス、政府の統治能力の向上と参画型政治の促進、そして国家主権の重視と国際協調の実現など、様々な新しい課題の挑戦を受けている。
 そこで、最初に、21世紀初頭における日本が直面している新しい課題に対して、国家はいかなる役割を期待されるべきかを論議する必要がある。とりわけ、以下の5つの課題について再整理する。

@ グローバリゼーションと国家の役割

 21世紀の新しい国家は、国内の安心と安全、繁栄と公正の確保に責任を負うと同時に、国際社会における社会的公正と人権の保障、平和と安全の確保、地球規模のバランスのとれた繁栄に大きく寄与するものでなければならない。
 情報化の加速とともに急進展するグローバリゼーションは、二重の課題を突きつけている。問われているのは、一つは、国家もしくは国境の稀薄化であり、いま一つは、新しい国際協調のあり方である。グローバリゼーションの陰の部分を補い、光の部分を促進する国家の役割を明瞭にすべきである。<国民益>と<国際益>との調和を積極的に考慮すべきである。

A 市場と国家の役割

 私たちは、自由な市場のための環境整備を優先する。しかし、国家には、その市場経済がもたらす弊害をコントロールし、国民の安心と人間的豊かさを保障する義務があると考える。
 明治の近代国家創設以来続いてきた開発途上国型の国家運営は終わらせ、「市場のことは市場に委ねる」と同時に、明快なルールに基づく政府と市場の運営を確立すべきである。しかし、市場の弊害から人々を守る新たなルール作りを進める必要がある。また、ルール違反に対しては公正厳格であるための仕組みを確立するべきである。それとともに、十分に整備されたセーフティネットの確立を政府の責任として明示する。

B 地域及び個人の自己決定と国家の役割

 自由主義の立場に立つ私たちは、地域及び個人の自己決定が何よりも尊重される社会を創り出すことが国家の責任だと考える。これからの社会に必要なのは、個人や地域をいわば上から保護するのではなく、その自立を支援する政府の実現である。また、国民の知る権利や環境権などのほか、生命倫理、情報倫理の確立など、いわゆる「新しい権利」の確保についても検討する必要がある。
 ただし、例えば、尊厳死の受容と生命の尊重の両立をどう考えるのか、個人の自己決定とコミュニティの維持・発展との関係をどうはかるのか、など困難な課題に直面している。個人の自己決定と併行してコミュニティの維持・促進についても政府は責任を持ち、性の解放とモラルの確保、情報の自由と表現の暴力の抑制など倫理的問題について公正な関与が可能な仕組みについても検討する必要がある。

C 国家とアイデンティティとの関係

 国民一人ひとりのアイデンティティを一つのものに限定することはできないし、望ましいことでもない。この前提に立って、日本人及び日本国としての統一したシンボルの確立と尊重を促す必要がある。
 このためいわゆる国旗・国歌問題については、新たな次元で議論を起こし、新しい時代にふさわしい日本のシンボルとして明記し定着させていくことが望ましい。また、戦後50余年定着してきた象徴天皇制はこれを維持する。
 ただし、国民のアイデンティティは、国際共同体、地域社会、ネットワーキングなど多重複合型のものへと連なることを明示することも必要である。

D 国家と国民との関係

 国民主権は、いかなる時代においても普遍的なものである。同時に、国際社会と国民利益との調和に配慮し、より賢明な選択ができるよう国家はその役割を果たす必要がある。
 このため、国民投票制度やオンブズマン制度など、代表制と国民参加を同時に生かすことのできる新たな仕組みの創設を検討する必要がある。また、地域分権を促し、国民の直接選択や直接参加の機会を飛躍的に拡大する方向をめざす。このため、分権連邦型システムの構築を検討する。


2.憲法の最高法規性と根本規範の再定義

日本国憲法の根本規範たる「平和主義」「国民主権」「基本的人権の尊重」は、今後も遵守する。しかし、「国際協調主義」「権力分立」についてその明確化または再定義する。また、国家主権のあり方については、国際社会及び国際法との関係を考慮してその相対化を再検討する。

@ 国際法規と憲法との関係

 国際社会との協調と共生が歴史の流れとなっている今日、「主権の移譲」を含めて、国際機関と国家のあり方について抜本的に見直す必要がある。日本は、国際社会の責任ある一員として、その積極的な役割を果たしていくことを内外に宣言すべきである。
 20世紀後半の世界は国際法秩序が整備された時代であり、各国の憲法も、そうした国際法体系の中で位置づけられ、歴史的・政治的意味を持つようになった。憲法は、国内にあっては「最高法規」としての性格を保有しつつも、国際法体系の中では「一つの法規範」に過ぎないとも言える。具体的に、EUでは、ヨーロッパ共同体法が各国憲法やその他国内法の上位法として機能している実例が少なくない。日本の憲法論議においてもこの観点からの議論と再検討が必要である。

A 普遍的な法としての人権保障と憲法

 私たちは、日本を人権保障を促進する国として自らを位置づけ、率先して基本的人権の確立に取り組むべきだと考える。特に、先進国と途上国との人権格差を是正する環境整備において主導的な役割を果たし、世界に誇りの持てる国づくりをめざすべきである。
 人権については、フランス人権宣言以来、国際人権法がその法的規定を行っており、各国にあっては憲法及びその他の国内法によってその具体化を裏付けるという形になっている。それは、一国の憲法といえども合理的な理由なくして普遍的な人権を制約することはできないとの国際慣習が広く定着していることを示している。日本国憲法が規定する人権条項も不断にその国際人権保障との関係において再吟味されなければならない。
 わけても、人権の前国家性をどう理解するか、プライバシーの権利、環境権、自己決定権など「新しい人権」についてどう規定すべきか、表現の自由とその限界についてはどうか、多文化社会におけるマイノリティの人権はいかにして確保されるか、そして人権保障機構のあり方はどうするか、等々の課題に挑戦する必要がある。

B 権力分立及び統治機構のあり方と憲法

 中央集権型の政治・行政システムと決別し、分権型の政治・行政システムへの転換を推し進める。同時に、転換期にふさわしい政治的リーダーシップが可能な仕組みを確立するとともに、国民参加の新たな制度化を促すべきである。
 その国の民主主義の仕組みや統治機構をどのように定めるかは、極めてドメスティック(国内的)な問題である。従って、この点でいくつかの先進事例の参照を求めることはあるとしても、国際法によって強い規定を受けるということは基本的にあり得ない。その基本は国民の創意工夫に委ねられている。
 いわゆる権力分立の考えをどう捉えるか、首相公選制の議論とともに議院内閣制について如何に再整理するか、首相の権限についてはどうか、議会の二院制はそのままでよいか、政治(内閣)と行政との関係をどう解釈するか、あるいは国民投票制度導入を進めるべきか、等々を是非検討すべきである。
 同時に、分権連邦型国家への転換をどうはかるのか、憲法8章にいう「地方自治の本旨」とは何か、地方公共団体の二層制はこのままでよいか、中央政府と地方政府との関係はどうすべきか、基礎自治体の単位はどうするのか、等々の課題にも応えなくてはいけない。

C 国権の発動としての安全保障政策の制約と憲法

 日本は、国権の発動としての「戦争」の放棄、「武力行使」の禁止を高らかに宣言し、国連傘下の国際紛争解決には積極的・主体的にその役割を果たすことを明瞭に謳うことが必要だと考える。
 日本国憲法は、「国権の発動」としての「武力の保持及び行使」を原則禁止している。これは国連憲章の基本原理に沿うものであり、国際紛争の解決は基本的に国連を中心とする国際機関の行動に委ねるとした思想に立つものである。したがって、日本が国連加盟国としての行動原則を優先する限りにおいて、国権の発動としての武力の保持及び行使について自ずと強い制約が存在すると理解すべきである。しかし、このことと日本の国益を考慮し、一国として如何なる安全保障政策を選択すべきかといった論議とは必ずしも相反するものではないし、それは国際連合憲章との整合性の中で実際的に構想されるべき課題である。
 とりわけ、近年新たな意味でクローズアップされている国際平和維持活動(PKO)について日本はもっと積極的に関わるべきではないか、国連の集団安全保障と日本の役割はどすればよいか、地域的安全保障体制の構築にどう関わるべきなのか、「戦争の違法化」と国連の強制執行型活動との関係をどう捉えるのかなど、検討されるべき課題は多い。

D 憲法尊重義務と違憲立法審査制の確立

 憲法は、国民と政府によって尊重されるべく基本法である。そのためには、国民が憲法に対する高い信頼感を抱くよう工夫することが欠かせない。その条文を可能な限り明瞭なものとすると同時に、その公正な運用を保障する制度的仕組みを十分に確保する必要がある。
 わが国における憲法問題の最大のテーマの一つは憲法の具体化を保障する司法審査が十全に機能していないという点にある。このため、憲法の実現に際しては常に「司法の限界」が焦点となり、その「司法消極主義」が問題とされてきた。憲法がその国内の「最高法規」として機能するかどうかはこの違憲立法審査機能によって担保されるべきものであり、独立の憲法裁判所あるいは憲法院の整備を含め、改めて検討・議論すべきである。

 
 最後に、21世紀日本の方向をどう定めるかという国家戦略に関する課題がある。これは例えば「世界の中における日本」「東アジア地域と日本」という国家戦略的課題への回答であると同時に、官僚主導型政府運営から国民主導の政府運営への転換をどう位置づけるかという国のかたちに関する政治選択の問題への回答である。それと同時に、そうした国家戦略・国のかたちに合わせた統治機構もしくは政治指導のあり方を確定する作業に連なるものである。それはまた、21世紀の新しい世紀における日本及び日本人のアイデンティティを方向付ける枠組みともなろう。


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