2002/07 五月会だより No.100 ホーム主張目次たより目次前へ次へ

 

―― あっせん利得処罰法改正に全力 ――

延長国会は漂流状態 江田五月

150日の通常国会は、7月末まで42日間延長されました。構造改革、景気と雇用などが課題のはずでしたが、改革は掛け声だけ。景気も、依然として危険水域です。小泉首相がサミットでカナダ旅行の最中に、市場は大荒れしました。いつ経済が崩壊してもおかしくはありません。

延長国会では有事法制やメディア規制法案は影が薄くなり、健保と郵政。しかし健保法改正案は、改革先送りのツケを、国民につけ回すだけのものですから、認めることは出来ません。郵政は相変わらずの玉虫決着。

このままでは、何のための国会延長か国民にはわかりません。指令塔不在の漂流状態です。

錬金術の根絶を

政治とカネのことが、これまでに例を見ないほど大問題になりました。参議院では議長だった井上裕さん、衆議院では派閥領袖だった加藤紘一さんが、秘書の疑惑で辞職。辻元さんのこともあります。鈴木宗男議員は、遂に逮捕されました。知事や市長の不祥事も相次ぎました。こうした経過を振り返れば、国会がここでしなければならないのは、政治の錬金術を根絶することだと思います。

あっせん利得処罰法改正の与党案が、衆議院から参議院に回ってきました。処罰対象者に国会議員の私設秘書を加えるというだけの内容で、現状を考えると、一歩前進とさえ言えません。そこで私は、他の野党の皆さんと一緒に、錬金術を根絶できる内容の対案を提出しました。主要な点だけ上げれば、(1)行為者に、親族や私設秘書も加える、(2)請託や影響力行使という要件を外す、(3)契約と行政処分に限定しない、(4)要求や約束も罰するなどです。委員会では、普段は閣僚が座る答弁席で頑張っています。

人権擁護法案、心神喪失者処遇法案も、私が法務ネクスト大臣として担当します。

政権交代の基盤作り

政府も国会も、1日も早く一新しなければなりません。この国会は再延長はなく、8月からは、国会外での仕事が待っています。小泉首相の自民党は、国民の期待を裏切り、失速と迷走に入りました。1日も早く、民主党をしっかりさせ、政権交代の準備を完了しなければなりません。それには、3つのことが大切です。

まず9月の民主党代表選挙です。党内には、人材もエネルギーも知恵も、十分あるのですから、これを精一杯国民の皆さんに示して、民主党のイメージを一新することです。菅幹事長の責任は重大です。次に、10月には補欠選挙が5つあります。不戦敗は許されません。そして来春の統一地方選挙。

衆議院選挙の候補者選考も大詰め。これらをすべて精一杯頑張り抜くことによりはじめて、その後に来る私の選挙も見えてくるのだと思います。まさに猛暑の土用稽古です。頑張ります。ご支援下さい。


東ティモール 招待され独立式典へ

グスマォン大統領就任演説1975年の独立直後に、インドネシアに軍事占領され、民族自決闘争を続けてきた東ティモールが、5月20日、ついに独立。国連や欧州各国は、一貫して自決権を支持しましたが、日本は足を引っ張り続けました。私は、86年に超党派の議員懇談会を立ち上げ、支援を続け、独立式典に招待されました。住民投票以来4回目の訪問です。

前日夕刻から歌や踊りの行事が続き、20日午前0時を期して、国旗を掲げて独立宣言を発し、花火が盛大に打ち上げられました。会場は砂浜、演壇はちょっと大きめの小屋掛けで、質素なものです。しかし国際社会は暖かく、クリントン前大統領、メガワティ大統領、ハワード首相、唐家セン外相などが揃いました。日本は外務副大臣と私。

人材養成、インフラ整備など、国づくりはゼロからのスタートです。交戦相手でないのに占領した地域でもあり、日本の誠意のある支援が求められています。精一杯応援したいものです。


中国の電力事情を視察

5月の連休中、民主党内有志の研究会で、中国の電力事情の視察のため、上海と抗州を訪ねました。

上海郊外の石炭火力発電所は、まだまだ拡大中です。脱硫はしていますが、脱硝は不要とのこと。心配です。

抗州の西湖は雨。芭蕉の「象潟の雨に西施がねぶの花」を思い出しました。


危機感全面に「江田五月会 拡大幹事会」

−活発な議論を、今後の活力に−

4月21日、久しぶりの「江田五月会 拡大幹事会」がホテルニューオカヤマで開催されました。あいにくの雨にもかかわらず、県内各地から代表的支援者約100名が参加され、3時間余に及ぶ真剣で活発な議論が交わされました。

江田議員は「国会は政治と金、秘書問題など情けない状況になっているが、蓋をしてはいけない。浄化して前に進むべきである。民主党は自民党勢力と激しくぶつかり合いながら《市民の政治で、この国を構造改革する》ために戦っている。岡山県ではここ数年苦しいせめぎ合いが続いているが、決して保守王国と呼ばれるような地域であるはずはなく、音を上げたら負け。今後の2年間は天下分け目の戦いであり、道を開くために踏ん張り、乗り切っていこう。今日は積極的に意見を出していただきたい。」と挨拶しました。

若井市議は推薦せず

若井岡山市議の民主党離党問題や田淵衆議院候補予定者の辞退等についても、事実経過がオープンに報告され「若井市議の次回選挙は、五月会として推薦しない」との説明に対して、会場からは特に意見は出ませんでした。

続いて議事に入り 「2004年7月の江田参議院選、2003年春の統一地方選、2年以内の衆議院選の三大選挙を戦うために、事務局体制を強化し7月からスタートを切る。また、『五月会だより』手配り、バス旅行、国政報告会などを有機的に組み合わせて、五月会が常に動いている体制を作る。」と事務局から提案しました。

これに対して「次期参議院選挙は1人区であり、大変な危機であるのに弛んでいるのではないか」 「江田さんならではの政策を訴えるべきである」 「天下分け目の戦いというが、民主党は分かり易いはっきりとしたイメージを示す必要がある」など参加者から意見が相次ぎました。

江田議員は「自民党との違いは、民主党はシビリアンコントロール厳守。市民の草の根ネットワークで平和と人権を守る」と答弁。選挙を戦うには、《なぜ江田が良いのか、なぜ民主党なのか》の明解な選択の旗を市民に示すことが求められました。


私と江田五月会 ― 五月会だより100号記念特集 ―

1977年、江田議員は参議院全国区選挙に全国第二位で当選、国会議員活動をスタートさせました。その翌年6月、「五月会だより」創刊号が誕生しました。それから24年。「五月会だより」は支持者の皆様方と、ずっと一緒に歩み続け、今回100号を迎えました。

100号を記念して、皆様方に「私と江田議員」「私と江田五月会」をテーマに原稿を募集しましたところ、たくさんの原稿をいただきました。共に闘った選挙の思い出、江田議員とのなれそめの思い出、励まし…。思い出はつきません。

次の150号、200号へむけ頑張りましょう。


よくぞ続いた四半世紀 岡山市 江田五月会会長 河原昭文

「五月会だより」100号おめでとうございます。東京霞ヶ関、弁護士会館十六階の日本弁護士連合会副会長室でこれを書いています。

四半世紀の間、よく続いたと感慨一入です。

私は江田君が参議院〜衆議院に転じた一九八三年(昭和五十八年)から本格的に応援しはじめ、四回の衆議院選挙の全期間、本隊車にのりました。日数では、他の候補者の応援に行くことが多くなった江田本人よりも多くなりました。江田君は四回ともトップ当選。四回目は念願の10万票をはるかに超え、細川内閣に科学技術庁長官として入閣しました。思いではつきません。これからもお互いに元気でいたいものです。


感謝 長島架橋〜ハンセン病勝訴まで  邑久郡  細木武友

長島五月会は、平成六年九月一日発足しました。長島五月会を語るとき、其の前身に触れなければなりません。昭和二九年故江田三郎先生のご指導の元に、日本社会党長島支部を結成し、社会民主連合に移り、長島五月会と成って、今日に至っています。

江田先生は、ハンセン病に力を注がれ、特に長島架橋の実現、ライ予防法の廃止、昨年のハンセン病の訴訟の全面勝訴にご尽力下さいました。これからも、五月の庭に咲くサツキの花のように、人々から愛される政治家と成られますよう念願してやみません。


よっし!! のりちゃん行くぞ!!   岡山市  佐藤典子(旧姓 安岡)

両親が以前から、江田議員をとても支持していたこともあり、私も当然のように江田熱烈支持症候群に感染してしまった。大学2年、二十歳になるのを待ちかねて江田選挙軍団に入りました。最も心に残るのは、平成5年衆議院選挙の岡山市横井上小学校での江田演説会の応援演説でした。大勢の人が集まり、足の震えが止まりませんでした。

続いて選挙カーで、当時の1区を北から南、南から北へ。毎朝、江田議員の「よっし!!のりちゃん行くぞ!」と、気合をいれていた声が耳に残っています。選挙での応援団には、同年代の若い学生達も多く、中には北海道から応援にかけつけた人もいました。

結果はブッチギリの一位当選。そして科学技術庁長官就任。嬉しかったです。

若かった私も、今は2児の母。この子達の将来の為にも江田議員には、これからも頑張っていただかねば…。子育てが一段落したら、また選挙カーへ乗ります。
江田議員、待っててください。


知れば知るほど素敵な江田さん  勝田郡  定森裕子

江田さんと出会ったのは、かれこれ17年程前になる。結婚を機に岡山県民になってからである。実のところ、その頃の私は江田さんの事を余りしらなかった。

夫は、会社の組合を通じ、江田選挙に当初から係わっていた。選挙になると、私そっちのけで選挙運動に専念する夫に、相当な不満を抱いていた。私より大切な「江田なる人物は、いったいどのような人物か、これは一度とことん知らなければ。」と思った。

江田さんは、知れば知るほど、とても素敵な人であった。その時から私は江田さんの事を、密かに「さっちゃん」と呼び、夫に負けないくらい熱心に応援する様になった。個人的に細々と応援していたが、今では素晴らしい仲間が出来た。「勝手連」と称し、集っては江田さんの話題を中心に政治談義に花を咲かせている。最近では、江田さんとのメールの交換がとても楽しみな私である。


江田三郎さん以来   岡山市  神崎次郎

私が県教組青年部に籍を置いていた頃、時々会合で、江田三郎先生にお会いして話し合ったことがありました。三郎先生はエネルギッシュで明るい人でした。たまたま私の弟が江田・安宅両氏と高校での同期生だったことから、私も同窓生だということになり、その後いろんな会合で、お会いして、世間話や、現在の政治や、政治家の問題や岡山の県政・市政の話題などについて話し合うようになり、そのほかも含めて、現在に至ってます。


秘書中心に研究会を  津山市  額田克海 

メールマガジン・書いているご本人は大変でしょうが、動向がよく判り、興味深く読んでいます。ただ、政策についての意見等は少なく、一般市民の関心とかけ離れているように思います。

江田五月いかに才ありといえども、全ての政策に通ずるというのは、無理というものです。そこで各秘書が、それぞれの政策担当となり、その下に研究会でも作り、結果をご進講申し上げたら如何でしょうか。又、民主党のネット市民会議にも参加したらどうでしょう。


墓前に立ち感無量  御津郡  菅 規矩

主人(故菅道夫)は教職を退きましてから江田五月会建部町後援会のお世話を致しましたが平成七年に亡くなりましたあと、何も分かりません私が、陰のお手伝いをさせていただいて居ます。

江田三郎先生の没十年ご供養の席で、秋山長造委員長より五月先生に国際的感覚を持たれたスケールの大きい政治家になって頂きたいと温かい激励をされましたこと記憶して居ます。心より五月先生のお人柄をご尊敬して居ます。どうぞ誰もが充実した人生が送れるよう、生活しやすい日本、勤勉な国民に対する政治家をご期待して居ます。後援会の皆さまと共に益々のご活躍を心よりお祈りして居ます。

つい先日、江田三郎先生・光子さまのお墓参りをしました。
 墓の前に立つとき見ゆる向いの山
 夫の恋ひにし 故里の山
光子さんの句を想い感無量でございました。


英気を養いに来てください  阿哲郡 羽場頼通

県北の哲西町は、かつて江田五月さんの知事選で自民党に勝った実績があります。はた・ともこさんの選挙でその再来を狙っていますが、壁はなかなか厚くてまだそこまで行っていないかもしれません。いつか、あっと言わせてみせます。

今年の春には、五月さんが哲西に来てくださいました。国政の報告ももちろんですが、鯉が窪の散策や山野草の天ぷらなど、自然を楽しんでもらいました。リフレッシュにはもってこいのところです。広島県との県境には「若山牧水の歌碑」もあり、秋には特産の中国栗もあります。五月会の皆さんにも来ていただいて、英気を養ってもらい、五月会のパワーアップに役立ててください。


江田五月会と私  岡山市 江田五月会前会長 河原太郎

私は、昭和五十八年江田君が衆議院総選挙に立候補するについて五月会の会長になった。江田君と大亀さんに頼まれたのだ。お二人が話に来られたが、その話の中で記憶しているのは「何人かの顧問をお願いするが、高齢の方が多いので、会長も相応の年齢の人がいいと思うので」という大亀さんの言葉だけである。

それから十二・三年間私は会長という名誉を与えて頂いた。その年12月から何回かの総選挙で江田君はすべて最高点であったが、これは江田君の人気と大亀さんの卓越した采配の下で働いて下さった方々の御労苦の賜物である。私は、政治というものについて貴重な勉強をさせて頂いただけで功績らしいものは何もない。江田五月会に感謝するのみである。


「江田先生は中央で大変必要な人」  倉敷市 久保田政栄

倉敷女性の会発足四年、これといった支えは出来ませんでしたが、会員がこころよく、仲良く、五月さんを中心に会合できていることが、何よりの宝だし、会出席をたのしんでします。

過日、東京赤プリで開催された「全国江田五月会交流会」に参加の機会を得!「まあ!平素思ってはいたものの、五月先生は、中央で大変必要な人だと痛感し、日本の将来のため元気で活躍をしていただかにゃならん人だ」と思いました。

最長老の会員として、知識は及ばず、智慧の面から見守りたいと思います。
今年も、二本の梅の木は豊作、漬け込んで、先生の健康を守ろうと、張り切っています。

先生には元気でガンバッテいただきたいと思います。


代表質問に心わくわく  総社市  長尾八重子

始めに五月会だより100回記念を迎えるにあたり喜ばしく思うと同時に一人でも多くの市民が政治に対し思い考えるようになりたいものである。新聞を読んでも首をかしげ、テレビを見ても涙する事の多い今。政治に対しては、其の時々のの貴重な課題について五月会だよりは的確に教えてくれる。

二月七日の代表質問も心わくわくして見ましたが、重要課題に対しての持ち時間が、余りにも少ないなぁ!と私のほうが気が気では無かった。所でお願い!今の私の一番心配なのは、学校の週休二日制、学習内容の3割削減の教育現場の改正。私にも6年生と高校生の孫がいます。

特に私は次世代の若人を育てる源となるべき小・中・高の教育のあり方。最良の方向に持っていける人は江田議員において、他にはいない。頑張ってほしい。多くの国会議員中で身近に五月さんと呼ぶ事の出来る私たち、女性の会会員は幸せだと思っています。

光子夫人には、大変可愛がって戴き、あの白い割烹着姿が今でも懐かしい。又、江田三郎さんが地方講演の先々で収集された干支の置物を家族全員のを頂戴し思い出として大切にしている。私は、自身の体いとわず黙々と、それこそ一生懸命議員を支えている京子夫人が素晴らしいと思うと同時に頭の下がる思いがする。市民の代弁者として江田議員には、体をご大切に頑張ってほしいと願っている一人です。


京都にて   邑久郡  吉田かよ子

昨年十二月一日「江田五月と行く京都日帰り旅行」に主人と参加した。大変快適な旅行日和で、昼食の湯豆腐も美味しく頂き、気分良くそぞろ散策していたところ、白地のシャツに黒の前垂れ、股引姿もいなせな二十歳前後であろうか、ビジュアル系の若者に声を掛けられた。「京都の思い出に人力車に乗りませんか?」。声の主は観光人力車の青年車夫だった。

車上の人となって驚いた。乗馬ほどではないが目線が高い、見るもの全てが新鮮だ。若者は走りながら通り過ぎる町並みを判りやすく坂道では息を切らしながら案内してくれた。辻で通行人に出会うと必ず車を停車させ道を譲る、「おおきに、どうぞお先に」、同業者に出会うと「おきばりやす、おおきに」彼の京言葉がなんとも耳に心地よい。

彼は笑顔で「わたしは年配の方や、年上の人と話すのが大好きです。人生の先生です。いろんな勉強が出来ます」。彼は「学ぶ」と言ってくれたが、逆に私が青年から教わった思いがする。「心優しい思いやりのある言葉は心の潤滑油」である事を。今時の若者も、まだまだ捨てたものではないな!

何とも清々しく、心洗われた京都の一日であった。


江田シニア応援団結成が縁  倉敷市 石井英輔

私が江田先生とお会いしたのは1996年の岡山県知事選挙からである。旧制中学時代の大先輩である一安貞治氏とはいろいろな点でご指導いただいていたが、県知事選挙では、倉敷地方でかつて労働運動のリーダーを務められた方々が、父君三郎先生が政治にロマンを求められた情熱に共感され、その理想と夢を五月先生に託され、先輩後輩15名で「倉敷早島地区シニア応援団」を結成されたのに私も加わり、一安さんと私が事務局を担当させていただいた。それ以来ご指導を賜っている。


江田お父さんと私   岡山市  庄真理子

私の名前は庄真理子。江田さんの御長女も真理子という名前である事を知ったのは、私が13歳の時で、初めて選挙というものを、見た年であった。この年、お父さんは素晴らしい成績でトップ当選をされた。あれから20年私は33歳となり4人の子の母となり、長女はもうじき10歳。私が初めて選挙を見た年令にあとチョット。13、4だもん。クラス別対抗球技大会に向け一所懸命練習して勝っても負けても泣いたり笑ったり純粋に一所懸命な日々であった。江田さんの選挙は実にこの球技大会によく似ていると子どもながらに思っていたものである。

江田さんの周りでお父さんを応援する皆さんはかけねナシでお父さんの為に働き、皆たすけ合って協力され、最後には必ず勝利する。それはきっとお父さん自身が小さい事にも心を込めて一つ一つ事にあたり、そして何より、お父さん自身がお父さんを支え、応援する皆様に感謝の心を忘れない日々を過ごされているからに違いないと、もう一人の娘、真理子は思うのである。仲人をして頂いたから、ではなくて心からそう思うのです。頑張って下さい、還暦を越えて、お父さん。


再来年へ向け臨戦態勢 1〜5区へ担当者 連絡事務所開設も

二年後の江田選挙を控えて、江田五月会事務所は選挙をにらんだ新体制を七月一日スタートさせました。事務局スタッフを一新、1〜5区に担当者を張りつけ、各地に連絡事務所を開設しようというものです。

まず江田五月会事務所は、事務局長に大亀幸雄さんが復帰、事務局次長に須藤暁子さん(総務)湯川憲比古さん(政務)があたります。

地域担当は、一区=小林孝徳さん(新人)、二区=佐藤忍さん、三区=木下素典さん(美作担当)、妹尾勝幸さん(東備担当)、四区=岩崎榮太郎さん(NTTOB)、五区=湯川憲比古さん(兼務)という顔ぶれです。また、地区連絡事務所も倉敷、津山、総社三市で物色中で、早急な開設を目ざしています。

こうした人員配置とは別に、企画会議を定期的に開いて、五月会活動の方向づけをするなど、エンジンが全開しています。五月会事務所や五月会の活動に皆様のご意見をお待ちしています。


総社市長選で竹内市長再選

4月21日投票の総社市長選は、二期目を目指す現職の竹内洋二市長と新人候補の一騎打ちとなりました。民主党岡山県連は竹内さんを推薦しましたが(一期目の選挙でも実質的に応援した)、労組の一部が新人候補を推薦したために、連合岡山が自主投票となり、難しい選挙になりました。

総社市総決起集会民主党岡山県連では江田五月代表が告示前日の総決起集会で熱弁をふるい、出陣式では、江田代表、はたともこ副代表、森本徹磨幹事長代行が参加しました。3月には来岡した菅直人民主党幹事長も総社市で演説会を行い、竹内さんを応援しました。

選挙は大接戦で、竹内市長が勝ちました。「市民が主役」の市政を目指す竹内市長には、市町村合併や総合病院問題、財政改革など課題が山積しています。民主党県連としても、竹内市長にしっかりと政策提言をしていきます。


江田三郎・光子さん偲び150人

江田三郎さんと光子さんが亡くなられて、今年で25年と7年になり、5月11日「江田三郎・光子さんを偲ぶ会」が岡山市内で開かれました。会場には二人の色紙や額、油絵などが飾られ、三郎・光子さんの古い友人たち150人が県内外から参加しました。

三郎さんがよく口ずさんでいた「からたちの花」「船頭小唄」を参加の女性がコーラス、遠くからかけつけた阿部昭吾さんや楢崎弥之助さんたちをはじめ、参加者が次々とマイクを持って二人との思い出を語りました。

なかには「私と江田三郎さんは…」と話しただけで、感極まって涙声になる人もあり、三郎さんの大きさを感じさせました。

また、偲ぶ会に先立ち、5月9日には「江田三郎メモリアルコンペ」が開かれ、東京からの多数の参加者を含め、県内外から74人のエントリーで、楽しくにぎやかな一日でした。


桂浜 カツオ 琴平 バス旅行

6月1日、五月会旅行の第二弾として、高知、桂浜へ。桂浜で坂本竜馬と一緒に太平洋を眺め、カツオのたたきを堪能。帰途、讃岐・琴平町を散策し帰ろうというもの。

バス十台で、総勢四百四十三名。早いところは早朝5時30分出発という地域もありましたが天気は真夏日並みの快晴。

江田議員と京子夫人はバスが止まるたびにバスをのりかえていただき皆さんに挨拶。江田議員の楽しい挨拶に車内では笑いが絶えませんでした。

昼食は三部屋に分かれての食事でしたが、皆さん、カツオのたたきを楽しんでいました。

高知をあとに、帰途ちょっと寄り道をして琴平で少し散策しました。琴平といえば「こんぴらさん」ですが散策時間が短かったため参道周辺の散策で終わりました。

天気は最高、大きなトラブルもなく、よい一日でした。

参加された方の感想は…


ご協力いただき32市町村で手配り 五月会だより99号

五月会だよりは98号(昨年十一月発行)から五月会の皆様方に手配りのお願いをしていますが、99号(三月発行)でも皆様方のお力添えをいただき、相当数の手配りができました。

内訳は岡山市内では八十三学区のうち三十学区、残る倉敷市など七十七市町村では三十一市町村が完全または一部手配りをすることができました。

事務局では、一部手配り学区や市町村では完全手配りを目ざし、全く手のついていない学区・市町村では一部地域だけでも手配りが出来るよう皆様のご協力をお願いして行きます。

ご近所の二十部でも三十部でも結構です。五月会だよりの手配りにご協力下さい。


新人です!

このたび江田事務所へ採用していただきました小林孝徳です。第一区を担当させていただくことになりました。支持者の皆さまに、民主党江田五月先生の考えを伝えていきたいと思っております。また、多くの人から信頼を頂けれるよう、足を運び種々な意見に耳を傾けれるようになりたいと思っております。今後とも御指導宜しくお願い致します。

こばやし・たかのり 倉敷市出身 京都学園大学卒


スケジュール (活動日誌にリンク設定しています)

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 五月会だより手配り事務局会議
 牛窓町酪農家とBSE問題懇談会
 日本裁判官ネットワークシンポで模擬裁判劇に出演
 参院予算委でBSE問題70分質問
 参院法務委で裁判所職員定員など40分質問、ピアニスト中村紘子さん宅でホームパーティー
30  菅幹事長と総社市で講演会、総社・岡山で街頭演説、柵原町五月会国政報告会
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 備中町3ヶ所で国政報告会
 津山・東備地区の組合挨拶まわり
 英大使館エリザベス皇太后弔問
 秘書制度でTV朝日取材
 邑久光明園ハンセン病勝訴記念碑除幕、山陽TV「国政報告」
 黒住教ご神幸で玉串奉奠
 高梁市支持者挨拶まわり
 加茂町議選応援、奈良市「春の舞踏会」、総社市長選決起集会
 大前研一さんの一新塾で講演
 東京・多摩市長選応援
 江田五月会拡大幹事会
 組坂部落解放同盟委員長らと人権擁護法案協議、人権擁護法案で障害者などから意見聴取、新潟県長岡市で参院補選応援
27  事務局会議、岡山中央メーデー、党県連と連合岡山定期協議、岡山市九幡で四ツ手網政治談議
29  百間川フェスタ、和気町藤まつり・町制50年式典、小野桂華さん県文化賞受賞祝う会
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09
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 成田発中国訪問・上海上総工会主席の包信宝氏主催の夕食会
 上海郊外の外高橋発電工場視察・意見交換、杭州へ
 上海発・成田空港着
 江田三郎偲ぶ・ゴルフコンペ
 江田三郎ゴルフメンバーと懇談
 事務局会議、くらしき作陽大音楽ホール落成式、江田三郎・光子偲ぶ会、
事務局スタッフ会議
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 高梁市議選応援、哲西国政報告
 おはよう7:30、出雲市・松江市で島根県連と街頭演説・懇談
 瀋陽亡命者連行事件で新聞取材
 精神障害者対策対案を記者発表
 東ティモール独立式典に国会議員代表として招かれ成田出発、バリ島デンパサール着
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 デンパサールから東ティモール・ディリ着、
 アナン国連事務総長主催の外国来賓レセプションでデ・メロ事務総長から「大変熱心に支援してくれた」とアナン氏に紹介、クリントン前米大統領・唐家せん(王へんに旋)中国外相らと会話、独立式典出席、午前零時ル・オロ国会議長が独立宣言
21  ラモス・ホルタ東ティモール外相と会談、東ティモールからデンパサール経由で成田へ
23  ハンセン病患者・元患者追悼式と国賠訴訟勝訴1周年の集いで献花と挨拶
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 アゼリア会・岡山市岡南・富山・高島三地区で国政報告会
 富山スポ少ソフトボール大会、芥子山学区民大運動会、旭操学区ソフトボール大会、江田五月会企画会議、新見市長選で石垣候補と党県連政策協定、岡山市西大寺・浦安・築港新町三地区で国政報告会
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 東京江田三郎を偲ぶ会
 江田五月会高知一日バス旅行
 高梁川河川敷水防演習、岡山弁護士会代表と岡山大学法科大学院協議、党県連倫理委員会
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 福岡市で時局講演会
 鳩山代表と党憲法調査会協議
 岡大医学・歯学部献体ともしび会総会、超低床の岡山路面電車試乗、自治体議員フォーラムin中国、岡山大学法科大学院創設期成設立総会、玉龍会出展作品制作
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 あっせん利得処罰法の野党4会派改正案提出(江田提出責任者)
 民主党大躍進パーティー
 山陽TV「国政報告」
 新スタッフ採用試験
 国会コーラスリサイタル・山東昭子さんと司会、国会延長
〜24 スタッフ宿泊研修会
 皇居お茶会に招かれる
 山陽TV国政報告

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